第5話 そして始まる。騙り部による騙りが――。

「うーん、やっぱり適当に番号を合わせてもダメだなぁ」

「誕生日なんてどうですか? 安直かもしれませんけど、定番ですよね」

「やってみようか。陽介先輩。日佐子さんの誕生日を教えてください」


 陽介さんは戸の前に立ったまま小箱をじっと見つめるが、なにも答えてくれない。


「すみません。日佐子さんの誕生日を教えてくれませんか?」

 今度は僕が声をかけてみる。


 そこでようやく陽介さんは気づいてくれた。

「あいつの誕生日は……」


 教えてもらった数字でダイヤルを合わせる。

 けれど、鍵はかかったままだった。


「違いましたね。他に四桁の数字でなにか……なにか……あ、出席番号!」


 暗証番号に出席番号を使う人がいるとは思えない。

 だが、いないとも限らない。

 

 自分と他人の常識は違うと言われたばかりだ。

 他に思いつくものがないし試す価値はある。


「でも学年とクラスはわかるけど、出席番号なんて陽介先輩も知らないんじゃない?」


 師匠が心配そうに聞いてくる。

 その点なら問題ない。


「僕は一年六組出席番号一番なので1601です。坂爪日佐子さんなら十番から二十番くらいだと思うので試してみます。それくらいならすぐに確かめられますし」


 僕は最初の二桁を1と6に設定する。それから三桁四桁目の数字を一つずつ変えていく。


 手に汗がにじんで震える。

 この数字で合ってくれと強く願いながらダイヤルをまわしていく。しかし、二十番まで合わせても開くことはなかった。他の番号でも結果は同じだ。


「大丈夫。別の可能性を考えよう」


 師匠は明るい声と表情で励ましてくれる。

 僕もすぐに笑みを作って意識を切り替える。


 騙り部はいつも笑っているくらいがちょうどいい。

 これもまた大切な教えだから。


 別の可能性を考え始めた時、視界の端に顔色の悪い陽介さんがいた。

 公園で初めて会った時よりもはるかに気分が悪そうだ。足もふらふらで壁に体を預けていないと立っていられないようだった。


「もう……」


「え?」


「もういい……」


 一瞬なんのことかわからなかった。

 だがすぐに事態を理解する。


「ま、待ってください。日佐子さんを救う手がかりが入ってるかもしれないんですよ」

「それで?」

「え?」

「それで本当に妹が戻ってくるという保証はあるのかい?」


 急にどうしたのだろう。

 あと少しで救えるかもしれないというこの状況で……。


「陽介先輩。なにか四桁の数字に心当たりはありませんか?」

 師匠が笑みを浮かべながら提案する。


「ない」

「陽介先輩と日佐子さんの記念日はありませんか?」

「そんなものあるわけないだろ」

「嘘ですね」

「は?」

「今、嘘をつきましたよね。いいえ、今だけではありません。お会いしてからずっと嘘ばかりついています。もう、嘘偽りなくすべて話してくださいとお願いしたじゃないですかー」


 師匠の表情と声がコロコロ変わる。

 今は子どものように頬をふくらまして怒っている。


「なにを言ってるんだい。僕は嘘なんてついてないよ」

「ふふふ。私に嘘は通じませんよ。だって私は騙り部。嘘しか言わない騙り部ですから」


 にわかには信じられない話だが、師匠は嘘を五感で判別できる。


「千と一夜いちやを明かしてみれども騙り尽くせぬこの世の嘘なら騙ってみせよう命尽きるまで。舌先三寸、口八丁手八丁、この世に騙れぬものはない。騙り部一門ここにあり――」


 鈴の音のように美しい声が部屋の中に響く。

 師匠は赤い舌をペロッと出して不敵な笑みを浮かべる。

 そして始まる。騙り部による騙りが――。


「と、突然なんだい、それは……?」

 陽介さんは困惑している。


「騙り部一門に昔から伝わる『始まりの口上』です。自身が騙り部だという主張であり、これから騙っちゃうぞという宣誓でもあります。ま、本来の意味や目的は別にあるんですけどね」

 師匠は両手に持った小箱を胸の前に掲げる。


 それを見た陽介さんがハッとした表情をする。

 黒いセーラー服と朱色のスカーフと茶色の小箱を抱えたその姿が別人に見えたのかもしれない。例えば、いなくなってしまった妹の日佐子さん。もちろんこれは根拠のない憶測だ。


「さてさて陽介先輩。時間がないのであなたのついた嘘を数えていたらきりがありません」

「だからぼくは嘘なんて……」


 この期に及んでも陽介さんは嘘をついていないと主張している。

 けれど目は口程に物を言う。

 嘘を見抜けない僕でもすぐに気づいた。

 陽介さんの両目には大粒の涙が溜まっている。

 今にもこぼれ落ちそうなそれは、彼の本心を表しているかのようだった。


「諦めるのもいいでしょう。依頼人がやめろと言うなら解決しません。でも、本当にそれでいいんですか?」


 師匠が小箱を差し出すような姿勢で一歩、また一歩とゆっくり進む。


「ねぇ陽介先輩。そろそろ素直に正直になりませんか?」

 聞く者の心を穏やかにさせてくれるような声だ。


「自分の気持ちに嘘をつかないでください。そういう嘘は、自分も他人も傷つけますよ」

 今度は悲しげな表情でうれいを帯びたような声を作って話す。


 陽介さんは部屋に入ろうとはしないが、それでも逃げずに立っている。


「この箱から中身を取り出すことは簡単です。鍵を壊すか、箱を壊せばいいんですから。でも、それではダメです。この箱をちゃんとした手順で開けることに意味があるんです。なぜなら、日佐子さんを救うことができるのは、陽介先輩だけなんですから」

 師匠は小箱をそっと差し出す。


「でもぼくは……」

 陽介さんはそれを受取ろうとせず、今にも泣きだしそうな声と表情になっている。


「大丈夫です。日佐子さんが消えたのは陽介先輩のせいではありませんよ」

「ぼくがあんなこと言わなければ……あいつは……」

「安心してください。日佐子さんは無事です」

「だけど一週間もなにも食べていないとしたら……あいつはもう……」


 人間がなにも口にしないで生きていられるのは約三日と聞いたことがある。

 もしそれを過ぎてしまうと……陽介先輩はそれを心配しているのかもしれない。


「名取に名前を取られても死ぬわけではありません。一時的にこの世界から消えるだけです。死んでいるわけでも生きているわけでもない状態なので飲食は必要ありません。ただ……」


「な、なんだい。ハッキリ言ってくれ!」

 陽介さんは詰め寄るように聞いてくる。

 その時、彼の足が一歩前に踏み出された。


「日佐子さんに残された時間は……あとわずかです」

 師匠は小箱を優しく撫でている。

 それから一歩後ろに下がった


「日佐子さんはこの世界に戻りたがっています。助けを求めて声をあげて手を伸ばしています。それなら、こちらからも手を差し伸べて声をかけてあげませんか?」


 師匠の足が一歩また一歩と後ろへ下がっていく。

 逆に陽介さんの足は前へ前へと進む。


「日佐子さんの想いはこちらに届いています。だから、今度は先輩の番ですよ」


 そうして師匠から陽介さんに鍵のかかった小箱は託される。

 しばらくそれを眺めた後に観念、いや覚悟を決めたように息を吐いた。

 それからゆっくりと一つ一つの数字をまわしていく。

 四つ目のダイヤルを合わせる時に陽介さんの手が止まった。


「私たち騙り部一門は、依頼人の秘密は必ず守ります」


 師匠は優しい表情と声で告げる。

 僕も決して口外しないという意味でうなずく。


 それを聞いて安心したのか、最後の数字が合わされる。

 カチッという小さな金属音と共に錠が外れた。


 箱の中には、銀色の指輪と写真が入っていた。

 装飾のない指輪の裏側には『Y to H』と刻まれている。

 写真には陽介さんと見知らぬ女の子が写っていた。


 肩まで伸びた髪と黒縁眼鏡をかけているその子が誰なのか、僕はすぐに気がついた。二人とも楽しそうに笑っていて本当に仲がよさそうだ。


「日佐子……戻ってきてくれ……」

 陽介さんは、祈るように両手を組んで待ち焦がれた人の名前を呼ぶ。


 次の瞬間、音もなく少女が現れる。

 最初からそこにいたかのように床に座っていた。


「あっ……ああ……」

 日佐子さんはうわ言のように口を開く。

 両目は充血して髪は大いに乱れてひどく怯えている。


 陽介さんがかけ寄るのと、日佐子さんの目から涙があふれたのはほとんど同時だった。


「日佐子!」


「陽介」


 二人の声がちょうど重なる。

 陽介さんの声はとてもうれしそうで、日佐子さんの声はひどくかすれていた。


「怖かった……怖かったよ……。真っ暗でなにも見えなくて……変な声が耳元で……」


「日佐子……ごめん……ごめんな……ぼくが悪かった……」


「陽介……やだ……行っちゃやだよ……どこにも行かないで……お願いだから……」


「ああ、どこにも行かない……ぼくはここにいる……ずっといっしょだからな……」


 二人は互いの存在を確かめ合うように、何度も名前を呼び合って強く抱きしめ合う。


「どうか末永くお幸せに」

 師匠は笑顔で別れの言葉をかけてから部屋を出る。

 僕もすぐに頭を下げて退出する。


 戸を閉めて見えなくなるその時まで、彼らは奇跡の再会を喜ぶように抱き合っていた。


 ドアノブにかかった札には『Hisako』の文字が戻っていた。

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