第3話 名前探し
僕らは0番街を離れて坂爪家を訪れる。
時刻はすでに午後六時半をまわっている。
日佐子さんの部屋へ案内してもらうため、陽介さんを先頭に師匠と僕がついていく。
二階へ上がって細い廊下を進んだ先に部屋が二つ並んでいる。
ドアノブには、それぞれ木の札がかかっている。
右には『Yosuke』。
左の札には名前が記されていなかった。
この札に書かれていた名前も、化物に取られてしまったのだろうか。
「それで騙り部。これからなにをするつもりだい?」
ずっと黙っていた陽介さんがここに来てようやく口を開いた。
「陽介先輩は日佐子さんの部屋を見ましたか?」
師匠の質問に陽介さんは首を横に振った。
「日佐子さんがいなくなったのにですか? 書き置きがあるかもと考えませんでした?」
「理解できないことばかり起こるこの状況で、まともな判断や行動ができると思うかい?」
陽介さんの意見はもっともだ。
むしろこれまで冷静に判断して行動していたことがすごい。さすがは成績優秀な一組に所属し、風紀委員長を務めているだけのことはある。
「それにぼくとあいつは仲が悪いと言っただろ。嫌いな奴の部屋なんて入らないよ」
「ふふふ。嫌いな妹のためにこんなにがんばってくれる兄は、なかなかいませんよ?」
「それとこれとは別だよ。一応、家族なんだから」
陽介さんは顔を背けながら小声で言った。
もしかしたら、これこそが陽介さんの本心、日佐子さんへの想いなのかもしれない
「師匠。この部屋でいったいなにをするんですか?」
「これから日佐子さんの名前や姿がわかるものを探すよ。どちらか一つあれば大丈夫だから。そうすれば名取から日佐子さんを取り戻せる。さあ、がんばって見つけよう!」
「でも師匠。それは……」
ドアノブにかかった名前のない札に手を伸ばそうとする。
「見つけるよ」
師匠は微笑を浮かべているが、その声から真剣さが伝わってくる。
人を悲しませる嘘は決してつかないという覚悟ともとれる。
「名取は倒すことも捕まえることもできない。でも存在を取り戻すことはできる。そのために消えた人の名前や姿のわかるものが必要なの。まだ残っているかどうかは私にもわからない。それでも探す。見つかるまで探すよ。だって騙り部は、優しい嘘しかつかないんだから」
師匠はとびきりの笑顔を見せてくれた。それだけでも信頼できる答えだった。
「はい! 必ず見つけます!」
騙り部一門に入って、古津詠の弟子になって、本当によかったと思う。
「ねぇ誠実。女の子の部屋をあちこちいじくるのって興奮しない?」
師匠……感動を台無しにするようなことを言わないでください……。
「なんでもいいから……さっさと解決してくれないかい……」
陽介さんは苛立った声で早く部屋へ入るように促す。
部屋にはベッド、本棚、机が置かれているだけの簡素な内装。本棚には、高校の教科書やノートしかない。小説や漫画、雑誌などの娯楽本は一冊も見当たらない。
ノートを一冊取ってパラパラとめくってみる。文字も記録の一種だから消されていると考えていたけれど、中には文章がしっかりと残されていた。
意外だ。でも、それなら名前も残っているかもしれない。
一つ。たった一つでいい。
『坂爪日佐子』という名前を見つけるんだ。
ノートをすべて取り出し、最初から最後のページまで一文字も見逃さずに読み込んでいく。
しかし、そんなに都合よく見つかるわけがなかった。
綺麗な字が記されたノートからは、日佐子さんがまじめで知的な女の子だと想像できるくらいだ。いくつか男が書いたような文章もあるけれど、おそらく家庭教師か塾講師だろう。
教科書へ手を伸ばしかけてやめる。高校生にもなって教科書に名前を書く人はいないか。
ため息をつきながら部屋を見まわすと、ひどく目立つ貼り紙を見つけた。
『秋功学園 絶対合格』
毛筆で書かれたその目標は、一筆一筆に魂を込められているかのようだった。
そういえばノートの文字も綺麗で力強さが感じられた。それだけ必死に勉強して受験に
それにしてもここは物が少ない。
他に知っている女の子の部屋が師匠だけなので比較は難しいけれど、女子高生の部屋にしては少なすぎるような。化粧道具や鏡など、女の子が日常的に使いそうなものが見当たらない。友達の家へ泊まるからいっしょに持って行ったのか。
ふと嫌な考えが頭をよぎる。
「あの、師匠。名前を取られた人の持ち物が消えることってありますか?」
机の引き出しの中を探していた師匠から答えが返ってきた。
「あるよ。名前を取られた人は存在が消えるんだから、持ち物が残っていたらおかしいよね」
全身から血の気が引いて顔が青ざめる。
もし本当なら今こうしている間にも日佐子さんの名前や姿のわかるものも消えているかもしれない。
それなら早く見つけ出さないと。
いや、もうすでに消えてしまっていたらどうしよう。
「日佐子さんはたぶん……苗字だけを取られたんじゃないかなぁ」
「苗字だけ? どういうことですか?」
「坂爪が苗字、家族や一族など家ごとの名前。日佐子がその人個人の名前でしょ?」
「それはわかってます。あの、そうじゃなくて……」
「誠実。写真から日佐子さんだけが消えていたり、陽介先輩だけが妹のことを覚えていたり、あれあれ? なにかおかしいなぁと思わなかった?」
「言われてみればたしかに……」
「名取は苗字か名前の片方だけを取る時、それから苗字と名前の両方を取る時の二つがある。前者の場合は片方しか取られていないから日佐子さんの存在が完全に消えたわけではないの。片方しか取られていないと記録や記憶が残りやすいから。ほら、お母さんだけが写っている不自然な入学式の写真や陽介先輩だけが日佐子さんのことを覚えているのがその証拠だよ」
師匠は僕の頭でもわかるように簡単な言葉で説明してくれる。
「写真の謎は簡単。名取が消せるのは名前を取った人に関するものだけだから。ほら見て」
師匠が机の引き出しからアルバムを取り出す。開いたページのポケットには、すべて写真が収まっている。
そのうちの一枚には父親、陽介さん、母親の三人が並んで写っている。けれど、陽介さんと母親の間にぽっかりと不自然な
今なら理解できる。
この写真からも日佐子さんだけが消えてしまっているのだ。
「日佐子さん以外の名前は取っていないから、家族の姿は消せないってことですか?」
師匠はうなずいて別のページを開く。
そこには、いくつも空いているスペースがあった。
「たぶんここには日佐子さんだけが写っていた写真があったんだと思う。だけど日佐子さんの名前は取られているから写真ごと消されてしまった。違いますか、陽介先輩?」
「ぼくはこの部屋に入ったことがないと言っただろ。写真なんて知らないよ」
陽介さんは疲れたような声で話す。
「すみません。そうでしたそうでした」
師匠が平謝りして説明を再開する。
「次に、どうして陽介先輩だけが日佐子さんのことを覚えていたのか。それは陽介先輩が妹のことを想っているからだよ。きっと、放任主義なご両親よりも想いが強いんだろうなぁ」
「ぼくはあいつが嫌いなんだ! 何度も言わせないでくれ!」
「わかってます。想いというのは怒りや憎しみでもいいんです。おそらく陽介先輩は、日佐子さんを誰よりも嫌っているからこそ覚えていられたんですよ」
師匠は、いたずらっ子のような笑みを浮かべている。
「同じように日佐子さんにもこの世に戻りたいという想いがあるはずです。そういった想いが詰まったものを見つけます。それさえ見つかれば日佐子さんを救うことができますから」
しかし、この部屋にそんなものがまだ残っているだろうか。
ノートには、日佐子さんが書いた文章は載っていても名前は載っていなかった。
写真には、家族の姿は写っていても日佐子さんの姿は写っていなかった。
名前の一部を取られただけでこれだけの被害。
もし姓名両方取られていたらどうなるのか。
想像しただけで背筋が凍りつくような恐怖を感じてゾッとする。
「誠実の不安もわかるよ。でも、ここは苗字だけで済んでよかったと考えよう」
師匠はクローゼットを開けて、ハンガーにかかった真新しいセーラー服を取り出す。
名前を取られても服が消えないことはわかった。日佐子さんが秋功学園の生徒というのも間違いなさそうだ。
「もしも名前も苗字も取られていたらこの服も消えてしまっていたよ。名取に両方取られると記録も記憶も一瞬ですべて消えてしまうの。だから日佐子さんは運がよかったよ」
師匠は、セーラー服の内ポケットに手を入れてなにか取り出す。朱色の生徒手帳ともみじを模した校章バッジだった。どちらも校内にいる時は着用を義務付けられている。当然、手帳には名前や写真が載っているはずだが……。
師匠は黙って首を横に振る。
予想していた通りの結果なので落胆はない。
「それから誠実。依頼人の前では嘘でもいいから明るくした方がいいよ。彼らは理解を超えた問題に参っているはず。そんな時に不安にさせるような顔をしたらダメだよ。騙り部はいつも笑ってるくらいがちょうどいいの。だって私たちは優しい嘘つきなんだから。ね?」
「あっ……すみません……」
僕は気持ちを切り替えて口角をグッと上げる。
「誠実は素直で正直ないい子だね。でも、時々考えすぎて動けないことがあるから心配だよ。考えることは大事だけど、時には考えずに動くことも大事。覚えておいてね?」
「はい。それで、次はどこを探したらいいですか?」
「じゃあ誠実はそっちをお願い。ベッドの下を探すのは男の子の方が得意だもんね」
なぜ師匠がそんな結論に至ったのか、あえて考えないことにして作業を始める。
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