第2話 命をかけて

 本当は四人家族なのに、妹なんていない……?


 不可解な言動に息を呑む。


 それでも依頼人である陽介さんを信じると決めたのだから続きを待つ。


「最初は、家に帰ってこないことを怒っているからそんなことを言うんだと思った。でも違う。本気で言ってるんだ。両親だけじゃない。妹の友達や学校の教師にも確認してみた。だけど、みんな、そんな人は知らないと言ってきた。つまらない冗談か、悪いいたずらかと思ったよ……」


 冗談にしては笑えないし、いたずらだとしても悪質すぎる。

 みんなが協力して陽介さんを騙そうとしているのかと思ったけれど、そんな嘘をつく理由がわからない。なんの得にもならない嘘をつくなんておかしい。


「ふむふむ。妹さんの写真があるなら見せてもらえますか?」

 師匠がお願いすると、陽介さんは小さな声で拒否した。


「妹さんを救うためです。お願いします」

 師匠は頭を下げてお願いする。僕もいっしょに頭を下げる。


 嘘しか言わない騙り部。

 そんな胡散くさい人間の言葉を信じてくれるかどうかわからない。


 それでも騙り部は、人を傷つけたり悲しませたりする嘘をつかない。

 騙り部がつくのは、人を楽しませたり喜ばせたりする優しい嘘だから。


 しばらくして頭を上げると、陽介さんが上着から携帯端末を取り出していた。画面には、秋功学園の校門前で入学式の看板が写っている。そこに書かれた年度を見れば今年のものだとわかる。


 看板の脇には礼服を着た中年女性がうれしそうに笑って立っている。

 しかし、そこに妹さんとおぼしき女の子の姿は見られない。


「すみません。これは……?」


 なにかの間違いかと思って尋ねるが、陽介さんは真剣な表情を向けてくる。

 信じてくれと言わんばかりの強い眼光。


 気圧けおされるようにして再び端末の画面に視線を戻す。

 しかし、目を細めたり凝らしたりしても被写体が変化することはなかった。


「そこに写っているのは母だ。本当なら隣には妹も写っている。でも、消えたんだよ。一週間前はたしかに写っていたのに、いつの間にか消えてしまったんだ。ここを見てくれ」


 携帯端末に顔を近づけてよく見ると違和感に気づく。

 写真の中の礼服姿の女性、陽介さんの母親が顔と体を傾けて微笑んでいる。また、彼女は隣にいる人の肩に手を添えるような仕草をしている。

 隣には、だれもいないはずなのに。


 そもそも高校の入学式で保護者がひとりで写るなんてことあるのか。本来なら高校に入学する子どもの姿があるのが自然じゃないか。

 そう考えたら顔と体を傾けている理由に気づく。そこに妹さんがいれば母親が体を傾けていたり左手を添えたりしている意味も通じる。


 陽介さんがどうして警察へ行かないのか、これで納得がいった。

 いなくなった人の姿がわかる写真がないのに相談へ行けるわけがない。


 しかし、記憶や記録からひとりの人間が突然消えてしまう。

 そんなことがあり得るのか?


 僕の頭では理解が追いつかない。

 まるで世界から嘘をつかれているようで気持ちが悪い。


 陽介さんが嘘をついているという可能性も考えたが、すぐに否定する。

 もし嘘をついているなら師匠がとっくに気づいているはずだ。


 ただ、陽介さんは変なところで嘘をついている。

 それは妹さんとは仲が悪いということだ。陽介さんの両目にできた濃いクマが寝不足だと主張している。これは僕の推測だが、きっと夜遅くまで妹さんを探しているのではないだろうか。

 そんな姿を見ていたらなんとかしてあげたいという気持ちが胸の奥からどんどんわいてくる。


「妹さんも秋功学園の生徒なんですか。兄妹そろって勉強ができてすごいですね」 

 陽介さんの気持ちを落ち着かせる意味も込めて世間話を振る。


 私立秋功学園は県内有数の進学校で入学試験が難しいと言われ、卒業生の多くは一流大学へ進学している。大して頭の良くない僕もギリギリの成績でなんとか合格できた。

 しかし、入学してからも安心はできない。

 文武両道、実力主義、競争主義の教育理念を掲げているため、入学時も進級時も成績順で一組から六組に生徒が割り振られる。

 何組に所属するかは大事だから日々努力するように、と教師は言っている。おそらく一流大学への推薦や海外留学の権利が一組の生徒から優先的に与えられるからだろう。成績が悪ければ当然留年するし、最悪の場合は退学させられる。


「妹の成績は大したことないさ。それでも秋功学園に入りたいと言って聞かなかったんだよ。ぼくは落ちると思ってたが、なんとか入学できたみたいで六組スタートだ」

「え? 僕も一年六組です……」

「なんだって? 妹と同じクラスじゃないか。なぜもっと早く言わなかった!」


 陽介さんが責めるように言葉を浴びせてくる。


坂爪日佐子さかづめひさこを知ってるかい? 髪は肩ぐらいの長さで、黒縁くろぶち眼鏡をかけた女の子だ」

「すみません。入学したばかりで同級生の顔と名前をまだ覚えていなくて……」

「同じクラスだろう! 知ってるはずだ! ちゃんと思い出してくれ!」


 坂爪日佐子さんの容姿や性格など、詳しい情報をもらっても思い出せなかった。


「君はなにも知らないんだな……」


 これだから六組の生徒は、と言われているような気がした。

 被害妄想だとわかっている。

 けれど、なにもできていない事実がのしかかってくる。


「あまり弟子を責めないでやってください。誠実まさみが覚えていないのも無理はありません」


 師匠が優しい笑みを浮かべて頭を撫でてくる。

 だが今だけは、その優しさが辛い。

 高校生としても、騙り部としても、はるかに優秀な師匠に引け目を感じてしまう。


「妹さんは名前を取られて消えたんです。存在しない人の顔と名前は思い出せませんよ」


 その言葉に耳を疑う。

 けれど師匠は本気で言っている。

 たとえ嘘しか言わない騙り部でも、人を傷つけるような嘘はつかないから。


古津詠ふるつよみ。ふざけるのは学校の中だけにしてくれないか?」

「ふざけてなんかいませんよ。それから、私のことは騙り部と……」

「なら聞くが、名前を取られたってどういうことだい?」

「この世には、名取なとりという化物がいるんですよ。その名の通り、人間の名前を取る化物です。特に多感な時期の子どもが狙われやすいです。辛いことや悲しいことがあって落ち込んでいる人のそばにきて、名前を捨てれば楽になれると甘い言葉をささやくんです。名取に対して返事をしたら最期、その人は名前を取られてこの世から消えてしまいます。あ、消えたといっても一時的なもので死んだわけではありませんから。安心してくださいね」


 陽介さんがまた大きなため息をつく。

 眉間みけんには深いしわが刻まれている。

 

 無理もない。

 記録からも記憶からも人が消えるという非科学的な現象が起こり、そのうえ名取という非現実的な存在が関わっていると言われたら誰だって混乱する。


「ふふふ。陽介先輩は自分の目で見たものしか信じないタイプなんですね」

「当たり前だ。化物だか怪物だか知らないが、そんなものがいるなら連れてきてほしいね」

「名取は実体のない化物だから捕まえることも倒すこともできません」

「だったら、そんなの信じられるわけないだろう!」

「信じてください」


 陽介さんの声に被せるようにして師匠が言葉を返す。


「あり得ないと思うかもしれません。嘘と思うかもしれません。それでも信じてください」

「信じろって言ったって……」

「もう、時間がありません」

「……どういうことだい?」

「名取に名前を取られた人間の記録や記憶は、時間の経過と共にどんどん消えていきます。このままでは、陽介先輩の頭からも妹さんの記憶がなくなってしまうかもしれません」

「そんなこと……」


 あるわけない、と言いたかったのだろう。

 けれど、その後に続く言葉はなかった。


 時間がないという事実を聞いたことで冷静になれたのかもしれない。

 少なくとも僕はそうだ。

 今は一人の女の子がいなくなったという事実だけを受け止めるべきだ。


「僕からもお願いします。騙り部は優しい嘘しかつきません。困っている人を助け、泣いている人を笑わせる嘘です。だから、陽介さんも妹さんも幸せにする嘘をついてみせます!」

「その通りだよ、誠実。それでこそ私の弟子だね」


 こんな時だというのに師匠は頭を撫でてくる。まるで姉が弟をほめてやるように。



『午後6時になりました。

 それではみなさん、0番街で会いましょう』



 街に設置されたスピーカーから女の子の声で時報が流れる。


 遊んでいた子どもたちも親に呼びかけられて帰り支度を始めている。


 僕らのすぐ横を真っ赤なランドセルを担いだ女の子が走り去っていく。


 しばらく考え込んでいた陽介さんが眼鏡をかけ直してから口を開いた。


「騙り部」


「はい」


「妹は本当にいるんだ。嘘じゃない」


「嘘だなんて思っていませんよ。私に嘘は通じませんから」


 師匠は嘘でも冗談でもなく事実を述べる。


「お願いだ……妹を見つけてくれ……」


「ご依頼承りました。命をかけて騙らせていただきます」


 師匠は舌をペロッと出して不敵に笑う。

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