事件の経過
百万円の入ったアタッシュ・ケースの置場が空っぽだった。別にないからといって不自然には見えなかったが、まわりにはしかめる顔、眉をくねらせる顔、口をへの字に結ぶ顔、蒼白さで目立つ顔、ぴくとも動かぬ顔、あさっての方向を向く顔をした野次馬のいろいろな反応が、蛾の群がるように押しくら饅頭していたろうけれども、おれはといえば空を眺めても空しいだけなので行倒れを眺めることにした。
墨汁に染まった女の後頭部はひらたく、叩かれた痕が残っていた。投げ出された右手の辺りからは床地が見え墨に濡れていない。その指先にははっきりと読める字が印されていた。
めや
「なんなんですか、これは」
声の主へ振り向くと、そこには大柄の女がいた。TVで見かけたことのあるフィリピン人タレントで名前は知らない。
「いったいなんのさわぎですか」
「さあさね、わたしゃ知りませんです、はい」
「はい、そうですか」
「Yes.」
「そうですか。」
女はじっと様子を見つめて戻っていった。
帯の柄は墨で汚れており、なかなか取れないであろう。
(未完)
【解説】
「食の遍歴・自在の宇宙・オデッセイ・自身を語る」は二〇二〇年頃、はりきって書こうとした新作小説で、結局はくだらないので頓挫した。ワードファイルの題には「町田康的なにか」と書いてあり、まあ、町田の『きれぎれ』的なめちゃくちゃさを狙ったものだが、こういう話はプロットを書かないまま行き当りばったりに書いてしまうので、どこに落ちつくかわからず、たいてい完結できない。
最新の純文学やSF潮流は実験小説じみたことばかりやって袋小路に入り込み難儀な状況である。筒井康隆の『巨船ベラス・レトラス』(文春文庫)を読んだらこれも途中からメタ小説に変貌したが、そこまで複雑ではなく、むしろ北宋社が筒井の作品を無断刊行した事実を筒井がメタ登場人物として告発するさまがゴシップ的におもろかった。しかし豊﨑由美は『正直書評。』で時代遅れと一蹴、私は、いや、そんなことないでしょと思った次第。てなわけでおれもすこしばかり内幕をばらすとすっかと腰を据え、ふところから取り出したホープにカシュッとさいとう・たかをばりのライター音立て、着火し、けむの輪を何重にも浮べた。というような文を喫煙もしたことがない奴が書いたら愛煙家から殴られるかもしれぬなああはははははははははは。
実のところ犯人は百万円をこっそり横取りしようとぬきあしさしあし、ライトを持って薄暗い舞台裏を照らしながら賞金置場に近づいていったのである。しかし、明りのなかにつぎの出演者として手前で待機していた骨董鑑定士兼書道家の男に見られてしまった。そこで犯人はとっさに墨汁のビンを奪って男の頭を殴打、割れて一面まみれたところへケースの大金をぬすんで逃走、ばれないように金をとりあえず隠匿する。
男のほうはダイイングメッセージとして「めや」という文字を残留していた。そこで主人公はなんたらをなんたらというなんたらのなんたらをなんたらするとなんたらしてなんたらになったらなんたらかんたら文句たらたらのあほんだらララララドレミファ。いや、主人公は男が書道家だということを聞きつけ、さらにひらがなが漢字由来であることを思い出し、お得意の漢字知識からめは女、やは也、つまりめやは女也であることを見抜く。すなわち犯人は眼鏡をかけたスタッフの女だと断定。アタッシュケースから持ち去られた肝腎の百万円は、印刷室にあるコピー機の用紙入れに隠されていた。
しかし真犯人はカメラマンの男だった。かれはある大手ユーチューバ―からカメラクルーとして誘われ、TV局を退職するつもりですでに今月いっぱいの辞職届を出していたが、チャンネルの経営方針をめぐって相手が激怒、結局ユーチューブでは働けず金に困窮して、退職前に窃盗に及んだ。実はめやではなく「ぬか」であり、つまり「奴か」という役に立たないダイイングメッセージだったのである。
と最初はビュッフェ、だったのがいつのまにか推理小説仕立てになるという展開がこの小説のミソである。いま考えるとなにがおもろいのかわからんから途絶したというわけ。
食の遍歴・自在の宇宙・オデッセイ・自身を語る どですかでん @winsburg
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