第2話 座右の銘逆転棒

 今、俺の目の前には一人の女の子がいる。多分。

 多分、というのはその女の子が、どうもそこらにいる子と雰囲気が違うような気がするからだ。

 なぜそう思うのかって?

 だってさ、今どき童話の赤ずきんちゃんみたいな服着てる子いる? どこで売ってんの、そんな服!

「ていうかさ、そもそもここ俺の無意識領域じゃないの⁉」

 俺はたまらず声をあげた。

 あたりは真っ暗闇で、俺と女の子がいる辺りだけ、まるでスポットライトが当たっているかのように白い。

「お前……」

 見た目小学3年生位のその女の子が、手にした白い靴べらをペシペシ鳴らしながら低い声で呟いた。

「ひいっ!」

 俺は反射的に自分の足を庇った。というのも、さっきあの靴べらで脛を思いっきり叩かれたからだ。

「今朝……あたしの尻尾を踏みやがって……許さん」

「は? 尻尾?」

 よく見てみると、女の子のふわりと広がった黒いスカートから、なにかニョロンとしたものが出ている。

 それは黒くてふさふさした毛が生えている……そう、うちの飼い猫リンダの尻尾にそっくりだった。

「あっ……今朝リンダの尻尾踏んだな、そういえば」

「っざけんなっ!」

「わあっ、ごめんなさいっ!」

 俺はすかさず土下座した。

 こ、これは夢だ……今朝尻尾を踏んだリンダに対する罪悪感が、こんな悪夢を見せるんだ……そうに違いない!

「貴様のことは、前から気に入らなかったんだ」

 可愛らしい女の子の声は、明らかに不機嫌だ。もうこうなったら、ひたすら謝り倒すしかない。

「すみませんでした! 今度から気をつけます! どうかお許しを!」

 なんで俺が、自分ちの飼い猫にここまで頭を下げなきゃなんねぇんだ……

「おい! 斉田孝彦!」

「は、はい!」

 なんだよ、フルネームで呼ぶなよ……

「貴様は、自分がどれだけ周りにネガティブ光線を放っているか、知っているか?」

 ネガティブ光線?

「高校卒業後、専門学校に入学するも中退、その後働きもせず“俺なんか消えちまえばいいんだ”を繰り返す毎日」

 ぎくり。

「だ、だってさ……俺、勉強とかめんどくさいこと嫌いだし……」

「黙れ! 貴様は猫か⁉」

 赤い頭巾を被った女の子は、鬼のような形相で叫んだ。

 うっ……なにが悲しゅうて猫から説教くらわなきゃいけないのか……なんかむかついてきた……

「ちぇっ、お前ら猫はいいよな……寝たきゃ寝て、腹減ったらゴロにゃんてゴマすりゃ、ただで食いもんもらえるんだからよ」

 ビュン! ビシッ!

 女の子が手にした靴べらが、床とぶつかって痛そうな音をたてた。

「ごめんなさいっ!」

 俺は即座に額を地につける。

「貴様は人間だろうが、孝彦ぉお……私の大大大好きなお母さんがだな、毎日のようにため息を吐きながら私にこう言うのだ! 孝彦の育て方、どこで間違えちゃったのかしらね……ってな! まったく、聞いてるこっちが切なくなるわ!」

「くっ……おふくろめ……猫にまで愚痴りやがって」

「おぃ、孝彦ぉお」

「はい……なんでしょうか? リンダ様」

 俺はやたら素直に返事をし、正座したまま真っ直ぐに女の子を見た。

「感謝しろ……このが、ようやく私の手に回ってきたのだ。一度きりしか使えないこれをお前に使ってやった!」

 は? やった? 過去形?

「なんですか、その……なんとか棒ってのは」

 ところで、なんで俺はこんなに低姿勢なんだ?

「この一見靴べらに見える棒で人間の脛を思いっきり叩くと、その人間の座右の銘が逆転するのだ!」

「座右の銘?」

「そう、自分がいつも繰り返している、傍に置いている言葉の事だ」

「はあ……そんなものありました?」

「ある、これを見ろ!」

 女の子はスマホの画面を俺に見せてきた。ていうかそれ、俺のスマホだよね?

「なにが書いてあるか読めるか?」

 俺は女の子から自分のスマホを受け取り、画面を拡大した。

「えっと……俺には存在価値がない……消えたい……すべてがめんどくさい……何もしたくない……はい、読めました」

「よし、じゃあ次はこれを見ろ!」

 女の子は靴べらで俺の正面の空間を指した。

「これ……? 岩?」

 それは表面がつるりとした大きな岩だった。

「なんて書いてあるか、近づいて見てみろ」

「はあ……えっと……俺は誰よりも素晴らしい……生きてて良かった……なにもかもが楽しい……トライ&エラー最高……なんですかこれ」

 振り返ると、女の子が腕を組み得意げに笑っていた。

「それが今のお前の座右の銘だ……こののお陰で、ネガティブなものからポジティブなものに変わったのだ!」

「はあ……これ……なんか意味ありますかね?」

「あるに決まってんだろうが! この棒は全国の猫の手から手へと渡ってる不思議道具の一つなんだぞ! 本当にラッキーなんだ、貴様は!」

「はあ……ありがとうございます」

「ふん、まあいい。これでもう、お母さんの憂鬱そうなため息を聞かなくて済む。よし、じゃあそろそろ現実に戻るぞ!」

 パンッ!

 今度は猫パンチかよ……痛ってぇ……

 俺は頬に生じた痛みと戦いながら、白くなっていく意識に身を委ねた。


「あ、いい匂い……」

 気づけば、俺はラーメン屋の前に立っていた。

 この店には何度も来ている。特に行列ができるわけじゃない、ごく普通のラーメン屋だ。

 いやでも、このスープの匂い……いつもより食欲をそそられるような気がする……なんだろ、なにか出汁でも変えたのかな?

 俺は店内に入り、いつものように券売機で醤油ラーメン煮卵チャーシュー入りのボタンを押した。

「なんだろ、脛が痛いような気がする……うわ、何だこれ、アザになってる」

 食券をカウンターに置き、椅子に座って右のズボンの裾をめくると、そこには一筋の線ができていた。

「どっかにぶつけたのかな……記憶にないけど……ん? なんだ、この画像?」

 俺はスボンの尻ポケットから取り出したスマホの画面を見て、首を傾げた。

“俺は誰よりも素晴らしい”

“生きてて良かった”

“なにもかもが楽しい”

“トライ&エラー最高”

 こんなもの、撮った覚えないんだけどな……まあ、いっか、なんだか前向きな言葉だし。

「へいお待ち」

「わあ、うまそぉ〜」

 あれ? 俺いつも無言で受け取ってなかったっけ? まあ、いっか……

「いただきま〜す」

 パキン、と割り箸がきれいに割れる。なんだろう、こんな些細な事もなんだか嬉しく感じる。

 ずるずる、と麺を啜り噛みしめる。

「このモチモチ感、たまんねぇ……絡んでるスープも旨いし……あの、なんか変えました?」

 え、俺自分から店主に声かけちゃってるよ! コミュ障だよ、俺! ま、どうせシカトされ……

「いやあ、なんにも変えてないよ……そんなに嬉しそうに食べてもらえるとなんだか照れくさいな」

 うっそぉ、店主のおやっさん笑ってるよぉお⁉ どうなってんだ、こりゃ⁉

「いや、だって旨いですもん、このチャーシューも絶品だし!」

「そうかい? いや、それ店秘伝のタレでさあ……」

 おやっさんはなんだか上機嫌で話し始めた。

 なんだろ……他人の話って、こんなに面白かったっけ?

「兄ちゃん、本当に旨そうに食ってんな……」

 一つ椅子をあけて隣りに座っていた、見知らぬおっちゃんが声をかけてくる。

「そんなにうめぇんなら、俺のラーメンにもチャーシュー入れてくれよ! 追加の食券買えばいいんだろ?」

「毎度あり!」

 店主のおやっさんはさらに笑顔になった。

 食券の券売機に小銭を投入しているおっちゃんも、なんだか機嫌が良さそうだ。

「あぁ、美味しかった! ごちそうさまでした!」

「おぅ、また来てくれよな!」

 ……俺、もう何回もこの店来てるけど、そんなこと言われたこと一度もないよ……

「はい、また来ます!」

 店を出た俺は、重大なことに気がついた。

「笑ってる……俺……え……なんで?」

 俺、ここ数年笑った記憶ねぇよ?

 目の前を、スタスタと野良猫が通り過ぎる。

 なぜか妙に、うちのリンダの顔を見たくなってきた。

 たいして俺に懐いてるわけじゃないのに。

「あ、そうだ猫大好きなアレ、リンダに買ってってやるか……ついでだから、母さんの好きなやつも」

 俺は足取り軽く、ドラッグストアとケーキ屋に向かって歩き始めたのだった。

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