第3章【四光】
たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ。
ゴッホ
第三章【四光】
「オリーブ?」
アダムの言葉に顔をしかめたフールだが、アダムはにへら、と笑うだけ。
その間もずっとアダムとイヴのことを観察していたペイジは、アダムとイヴの手をぎゅっと握ってこう言った。
「君たちで試したい事が山ほどあるんだ!!是非俺のところに来てくれないかい!?満足する金額を出すし、クローンだって用意するよ!!!」
「クローン?なにそれ?」
ペイジから発せられる初めて聞く言葉に、アダムとイヴは首を傾げる。
ペイジは事細かにクローンについての説明を始めるのだが、あまりにも専門用語が飛び交っていたためか、アダムもイヴもぽかんとしていた。
それでも説明を止めようとしないペイジを、フールがなんとか止める。
「その辺にしておけ」
「だって知りたいって言うから」
「だからって詳細に話しすぎだ。簡単に、簡潔にでいいんだよ」
「えー、折角俺の得意分野だと思ったんだけどなぁ。分かり易かったと思うんだけど。ね?わかり易かったよね?」
「「???」」
「ほらみろ、頭に?ついてるだろ」
「そうかな?」
どうも人の気持ちを察することが苦手なペイジは、またしても唐突に話しをする。
「君たちを俺の研究所に連れていきたいんだけど、どうかな?いいよね?」
半ば強制的な感じで誘っているペイジに、フールは呆れて言葉が出ないようだ。
あたりを見渡してみると、そこら中に落書きがしてある。
多分この2人が描いたものだろうが、この隔離された空間でどうやって情報を得て描いたんだろうと思っていると、パソコンが見つける。
そこに向かって起動をしてみるが、すでにハードディスクも壊されており、画面が光ることすらなかった。
床に散らばる本を見つけ、両膝をまげてペラペラと捲ってみると、そこに動物や植物の本という情報源があることを知る。
「(なるほどな)」
画材などもあることから、こういったものも全て持ちこんだのだろう。
ペイジたちの方を見てみれば、なぜかまたクローンの説明をしているペイジに気付き、もう一度止める。
「だから止めろって」
「でもちゃんと説明しておいた方が、契約後に話が違うとか言われても困るからさ」
「なんでそういうところちゃんとしてんだよ。別にいいだろ、こいつらがそれを理解してなくても」
「いいんだけど、知りたいって言うから」
「わかったわかった。で?説得は出来たのか?」
「ああ、してなかった」
「しろよ。何しに来たんだよ」
アダムとイヴのもとへ、何をしに来たのか忘れていたのか、それともフールに任せるつもりだったのかはしらないが、ペイジは驚いたような顔をした。
「そうだね」
アダムとイヴは手を握ったまま。
恐怖だとか不安だとか、そういう感情があるのかさえ知らないが、手を握っていることで安心はしているのだろう。
「さっきも言ったとおり、君たちには被検体として一緒に来てほしいんだ。どうだろう?悪い話じゃないと思うんだ。ここにいてもつまらないだろう?俺のところにくればもっと役に立てるよ」
「「・・・・・・」」
「ダメかな?嫌?何が不満?ああ!そうか!俺としたことが、まだ契約の金額を提示していなかったね。そうだなぁ・・・。君たちは本当に貴重な存在だから、年棒・・・一千万とかでどうだろう!?」
「「・・・・・・」」
「ええ?だめ?じゃあ、二千万?三千万かな?もっと欲しいのかな?希望は幾ら?言ってみてごらん?」
「「・・・・・・」」
「どうしようかな。マジシャンとの相談にもなるんだけど、もっと高額となると、それなりに研究はさせてもらうよ?それでもいいのかな?」
「「・・・・・・」」
「じゃあねえ」
「待て、ペイジ」
黙ったままのアダムたちに何かを感じたフールが、ペイジが一方的に話しかけるのを止めると、アダムたちに向かい立つ。
イヴは少し不安そうにしているが、アダムは真っ直ぐにフールを見つめてくる。
「受け入れるのか断るのか、どっちだ?」
特に金額の提示なく、フールはアダムに向かってそう聞いた。
そんな軽く聞いたら断られるだろうと思ったペイジだったが、アダムからは意外な返事がきた。
「僕はね、いいんだけど」
「え、いいの?本当!?やったー!!!わーい!嬉しいな!!!こんなにあっさりとOKが出るとは思ってなかったよ!!」
「ペイジ待てって」
「じゃあ交渉成立ってことでいいかな?あれ?結局幾らでいいってこと?」
「だから待てって」
いくら言っても自分勝手に話を進めてしまうペイジの首根っこを掴んだフールは、ペイジをぐいっと一歩くらい後ろへと引っ張った。
それでもなお前に出ようとするペイジを猫のように掴んだまま、今度はさっきより少し強い力で後ろへ放り投げる。
「本当にいいんだな?」
確認するようにフールが聞くと、アダムはフールの顔をじっと見ながら頷く。
ペイジが喜んだのも束の間、アダムはこう続けた。
「僕はいいんだけど」
「うっ・・・」
ふと、意識が戻った。
まだ首筋に鈍痛が残るし、少し呼吸も苦しい気がする。
それでもなんとか上半身を起こしてみると、そこには自分を気絶させた男と、避難させようと思っていた2人、それともう一人がいることに気付く。
すぐにでも身体を動かしたかったが、脳を揺らされたこともあってか、焦点が合わず、めまいのような感覚に襲われる。
しかしそんなことを言っていられないと、無理矢理身体を起こして銃を構えると、その気配に気付いたフールがこちらを見る。
「はあっ、はあっ・・・!!」
「・・・・・・よお。随分と早いお目覚めだな。ちょっと甘くやりすぎたか?」
「お前!!よくも!!!」
「そう怒るなって。これまで仲良くやってきただろ?」
「五月蠅い!黙れ!!もしかして、朝日が連絡取れなくなったのって・・・」
「想像にお任せするよ」
フールはペイジに背を向けて、自分に銃を向けている男、真袰と対峙する。
「俺はこいつ相手にするから、説得しておけよ」
「頑張るね」
頼りない返事が聞こえたが、フールは気にせず柔軟をする。
「大丈夫か?まだクラクラするだろうに。あいつらのために身体を、いや、命を懸けるか」
「なんでこんなことした。一生、お前、いつから俺達を裏切ってた?」
うーんと伸びをしたかと思うと、フールは悪びれた様子もなく鼻で笑う。
「なんで?お前馬鹿か?」
「なんだと?」
「朝日にも言ったんだけどよ、この世は金が全てだ。金さえありゃなんでも出来る。金でな、未来も買えんだよ」
「お前!!!」
「それからな、お前らと組む前から俺はこっち側の人間だ。勘違いすんなよ」
「じゃあ、最初から・・・」
「ああ。最近新入りが多すぎて、敵と味方が分からねえってさ、ペイジが言うもんだから。じゃあ俺が潜りこんで調べてくるぜって話になったんだ」
「よく平然としていられるな」
「逆に、なんで平然と出来ねえ?だからお前ら警察はいつだって負けんだよ。正義振りかざしてるだけで、何も出来てねぇじゃねえか。何かひとつでもちゃんと守れてんのか?守れてねえよな?だろ?実際、現状そうだ。お前はあいつらを守れてねえ」
「まだわからないだろ」
「わかるさ。いつだってそうだっただろ。今も、現在進行形で」
「お前、何を言って・・・」
そこまで言ったところで何かに気付いた真袰は、また別の怒りがわき出て来たらしく、引き金に込める力を強める。
とはいえ、フールの後ろにはアダムたちがいるため、下手に撃てば当たってしまう。
慎重に判断しなければと、真袰は今まで感じたことのない冷や汗を背中に覚える。
「(いや、一度だけあるな)」
随分前の記憶を脳裏に過らせながら、真袰は目の前にいる男を見つめる。
「朝日はどうした?」
「知りたいのか?知らねえ方がいいと思うけどな」
「・・・そうか」
「冷たいな。ま、あいつはあいつで別の野郎の犬だったからな」
「え・・・?」
「なんだ、気づいてなかったのか?ま、知らねえ方が幸せなことなんてザラにあるからな。お前は幸せもんってことだ」
「お前、嘘吐くな」
「嘘じゃねえよ」
「そんなわけねえ!!あいつは・・・」
「俺のことだって、そんなわけねえって思ってたんだろ?それと同じだ」
フールにそう言われ、何も言い返せなくなってしまった真袰に、止めをさすように告げる。
「どうせお前とだって敵だったんだ。代わりに始末してやったんだから感謝してほしいくらいだ」
「・・・!!」
聞きたくなくても聞いてしまったその言葉に動きを止めてしまった真袰に、フールは遠慮なく近づいて行くと、思い切り腹を蹴飛ばした。
そのまま受け身を取ることも出来ずに壁に激突してしまった真袰は、すぐに銃を構えようとしたのだが、銃口を踏まれてしまっているため、ピクリとも動かない。
「ぐっ!!!」
真袰の首というか喉を、フールはぐいっと掴む。
そこまで力を入れていないのは分かっているが、それでも苦しくて呼吸が自然と荒くなってしまう。
「いい加減諦めろ。この世には、頑張っても頑張ってもどうしようもないことがある。例えば、この状況とかな」
「っるさい!!」
「よくやったよ。うん。ペイジのことはちゃんと騙せてたからな、自信を持て」
今言われても嬉しくない言葉に、真袰は悔しさや苛立ちを隠せない。
バタバタと手足を動かし、そこからなんとか脱出しようと試みるも、フールの体重が乗っかっているからか、身体を浮かせることすら出来ない。
おまけに圧迫された首元が、力を入れるために踏ん張ろうとする気力を奪っていく。
「誰も助けちゃくれねえぞ。どうする?」
「・・・・!!」
「所詮、ヒーローなんて想像物にすぎない。ここで死ぬのかお前の運命だと諦めるんだな」
「僕はいいんだけど、って言ったよね?じゃあいいんじゃない?どうして素直に一緒に来るって言わないのかな?」
フールが真袰の方へ向かうのと同時に、ペイジはアダムに話しかけていた。
先程の言葉の意味を確かめるように声をかけるが、アダムはよくわからないことを言う。
「うん。僕はいいんだけどね、ダメなんだって」
「何が?」
「もういいんだよって言われた。そういうのはね、ダメなんだって」
「???」
アダムの言っていることが理解出来ず、先程とは立場が逆転し、ペイジが頭に?を浮かべている。
だからそれはどういう意味なのかと聞いているのだが、まったく思ってもいない回答がくるため、ペイジはイヴにも同じように聞いてみる。
「君はどうだい?」
「私はいいの。でもね、ダメなの」
「・・・・・・デジャブ」
イヴも同じようなことを言っているため、ペイジはどうしたものかと頭を抱える。
こんなに会話が成り立たないことがあるんだと初めて知った、そんな日でもある。
そこで、ペイジは質問を変えてみる。
「じゃあ、誰が、何を、いいって言って、誰が、何を、ダメだって言ったのかな?」
「・・・・・・」
どんな答えが返ってくるのかと待っていると、アダムとイヴは目を合わせ、それから2人は頷き合い、アダムがペイジを見る。
「僕たちを助けてくれた人がね、言っていたの。僕たちの人生は僕たちのものだから、もう誰かのために傷つく必要はないって」
「・・・その、助けてくれた人っていうのは誰かな?わかる?」
「うーん、わからない。名前はね、多分教えてもらったんだけどね、難しい名前だったから」
「そっか。でも、俺と一緒に来ることは、傷つくことじゃないでしょ?役に立つんだよ?嬉しいでしょ?」
ね?ね?と圧をかけるようにペイジがアダムに詰めよるが、アダムはそのあどけない表情のまま、首を横に降る。
「ううん、違うよ。そうじゃないの」
「?なにが?」
またしてもアダムが何を言っているのかわからなくなってしまったペイジだが、根気強く聞いてみる。
「役に立つことでもね、僕たちが嫌だと思ったらしなくていいんだって。僕たちはね、僕たちの気持ちを大事にしていいんだって。そう言った」
「・・・厄介な人だなぁ。そうかぁ」
「だからね、僕はね、いいと思うんだけどね、僕たちを助けてくれた人はね、ダメっていうと思うから」
「・・・君たちがいいと思うなら、それはいいってことなんじゃないの?え?なんかメビウスの輪みたいな話してる?」
「でもダメなんだよ。僕はあの人にまた会いたいから。それまでは元気でいないとダメなんだ」
「いや、だからどういうこと」
「僕たちが困る未来になるのは絶対にダメなんだって。助けてくれた人がね、僕たちのことは僕たちが決めていいんだけど、でもね、ダメなんだって」
「難しい話してる?」
「ずっとね、元気でいなくちゃいけなくてね、だから、僕たちは好きなことをしていていいんだって」
いつもは一人で誰かに向かって話しかけていることが多いペイジからしたら、アダムの言葉は全て理解出来ないものだった。
そして、その限界がきていたのもまた事実。
「・・・なんか面倒くさいなぁ」
「フール、どうしよう」
「なんだ」
真袰の方にいるフールに声をかけたペイジは、今の自分の気持ちを率直に伝える。
「なんか話が通じないし言ってることが全然わからなくてもうどうしたらいいのかわからないよ。面倒臭い子たちだね」
「お前も似たようなもんだけどな」
「ここまで酷くはないと思うよ」
「いや、結構お前も酷いぞ。あんな感じだ。ちゃんと会話聞いてねえから分かんねえけどそんな感じだ」
「いや、俺の方がまだマシだと思うよ。だってただの独り事だからね。可愛い呟きだからね。でもそれとは違うんだよ」
「向こうもお前の言ってること分かんねえんじゃねえのか。お前も訳分かんねえこと言うから」
「嘘でしょ。すごくわかり易く言ったんだけどな」
「自分ではそう思っててもな、相手に伝わってるかはわからねえもんだぞ。だからお前の話はたまにすげぇ分かんねえんだよ。だからマジシャンはいつも返事しねぇんだよ。賢明な判断だよ」
「え、マジシャンに無視されてたのってそう言う事?ショックなんだけど。ずっと理解し合えていると思っていたのに」
「ったく」
ちら、とフールがアダムたちの方を見ると、イヴは不安そうにしているのだが、アダムは真っ直ぐこちらを見ている。
ふう、と息を吐いてから、ペイジの方を向く。
「で?連れて行くのか?どうすんだ?」
フールの問いかけに、ペイジは悩んだような素振りを見せるが、ペイジのことだからとっくに答えは出ているはずだ。
すると、やはり、迷わずこう言った。
「殺しちゃおう」
無垢な子供のように、残酷な答えが部屋に響き渡る。
「!!」
ペイジの言葉に、真袰はなんとか抵抗してみるが、まだ動かない。
一方、アダムたちはペイジの言葉を理解出来ていないのか、それとも理解するのに時間がかかっているのか、ぽかんとしている。
「?どういうこと?」
「何て言ったの?」
アダムとイヴはお互いの手を握ったまま、顔を見合わせて首を傾げている。
真袰はなんとかそれを止めよともがいてみるが、全く動く気配がない。
「フール、頼むよ」
「ったく。汚れ仕事全部俺に押しつけやがって」
「得意不得意があるからね。適材適所ってやつだよ」
フールは真袰の喉を強く掴むと、そのまま後頭部を壁にぶつけるようにして押し付ける。
壁にめり込んでしまった真袰を後にして、フールはアダムたちの方へと向かっていく。
すると、アダムはイヴを守るようにその身体をぎゅっと抱きしめながら、自分の方へ向かってくるフールを見る。
「じゃ、始末ってことでいいな」
「だってどうしようもないもんね。俺の手に入らないなら、殺しちゃった方がいいよ」
「ならてめぇでやれよ」
「お願いね」
フールが腕をアダムたちに伸ばしたとき、フールの腕を銃弾がかすめる。
「・・・・・・思ったより頑丈だな」
「はあ・・・はあ・・・2人に近づくな」
最初の一撃と先程の一撃と、色んなことの積み重ねで身体へのダメージはあれども、そんなこと言っている場合ではない。
真袰はなんとかしてこの状況を脱する機会を窺う。
しかし、そんな真袰を見てくるフールの目つきは、いつになく冷たく、恐ろしい。
無意識に唾を込みこんでいるし、指先が僅かに震えていることも気づいているが、あくまで強気に構える。
「安心しろって。お前もちゃんと逝かせてやるから」
「逃げろ!!!アダム!イヴ!」
気を失っていたかと思われていた真袰は、血だらけになりながら銃をフールたちに向けている。
フールの腕からは僅かに血が流れ出ているが、まだまともに照準も合わせられない状態らしく、かすめた程度で済んだ。
特に応急処置をすることもなく、フールはそのままアダムたちを掴もうとする。
しかし、またしても真袰が撃つ銃弾がフールの頬を掠める。
瞬間、フールの目つきが変わった気がした。
その殺気に気付いた真袰は、まだ動いていないアダムとイヴに向けて、声が枯れるほどの大きさの声で伝える。
「早く逃げろ!!!!」
「てめぇから先に始末するか」
真袰の叫び声に驚いたのか、それとも状況を把握したのか、アダムとイヴは手を繋いで出口に向かって走り出した。
設計図をちらっと見たが、出口に向かえばそこからは大して走らなくても外に通じていたはずだ。
もしすぐに外に出られてしまったら厄介なことになるだろう。
そのため、フールは急いで2人を追いかける。
ペイジは全く追いかける様子がなかったため、それについても文句を言いたかったフールだが、それは後にしよう。
普段から鍛えているフールから逃げ切れることはなく、アダムとイヴはあっさり捕まってしまった。
一部始終ずっと見ていた呑気なペイジは、ニコニコと微笑みながら拍手をする。
その拍手さえも、フールからしてみれば馬鹿にされているように思えてくるものだが。
きっとペイジは全くそんなことを思っていないのだろう、とても自然な笑みを浮かべたまま、パチパチと何度も手を叩いて称賛しているようだ。
「さすがだね。ありがとう。さて、最後にもう一度だけ確認しておこうかな?」
そう言って、アダムの前に立つ。
ペイジが2人の前に立つと、アダムとイヴは互いの手をぎゅっと強く握りながらも、ペイジから目を逸らすことはない。
「俺と一緒に来るかい?」
出来るだけ柔らかく、聞いてみた。
「行かないよ」
今度ははっきりと言われた拒絶の言葉に、ペイジは思わずアダムの隣にいたイヴの髪の毛を鷲掴みにする。
それまで握りしめられていた手は放れ、イヴの身体は少しだけ浮いてしまう。
「痛い!!痛いよおお!!」
「イヴ!!」
思っていたよりも強く掴んだからか、イヴはわんわんと泣きだしてしまった。
やれやれと思っていたフールだが、何か違和感を覚えアダムたちを見ていると、ふわふわとしたアダムの髪の毛が少しだけ伸び、さらには丸みを帯びていた輪郭も、まるで大人のようにシュッとし始める。
ペイジはそれに気付いているのかはわからないが、フールが声をかけようとしたそのとき、聞こえて来たのはペイジの声だった。
「痛ッ・・・!?」
そして聞こえて来たのは、ずっと耳に届いていたそれとは異なる、低くてしっかりとした口調。
「イヴに触るな。痛がってるだろ」
「なんだい?君は」
アダムに掴まれた腕が痛くて、ペイジはイヴの髪の毛を掴んでいた手を思わず放してしまった。
そしてまるで大人になってしまったアダムを見ていると、イヴまで同じように成長した姿へと変わる。
「ちょっと、さっきから何なのよ。アダムは行かないって言ってるじゃない。どうしてそれが理解出来ないのかしら?あなた馬鹿なの?おつむが足りていないんじゃない?」
大人びたイヴは、腕組をしてペイジのことを睨むように鋭い目つきを見せる。
「イヴ、痛かっただろう」
「折角毎日綺麗にセットしてるのに。どうしてくれるのよ」
「俺に手を出すのはいいが、イヴに手を出すのは絶対に許さない。覚悟は出来てるんだろうな」
一体どうなっているんだと、フールは2人のことを見て観察していたのだが、ペイジはそれどころではないらしい。
失っていた希望がまたすぐそこにあるらしく、新しい玩具を見つけた時のような純粋な表情で。
「やっぱり君たちを連れて行きたい!!どうしても連れていきたい!そして解剖して神秘を解き明かしたい!!!!」
「おい、ペイジ・・・」
「君たち、人体実験をされていたんだよね!?ということは、1つの身体にもう一つの人格を入れたということか?でも、それだけではここまで見た目も変わることは無いはず。一体どうやっていたんだろう!?君たちは何か知っているのかな?!」
「いい加減にしろって」
「フール!俺は絶対に連れて行くよ!なんと言われても絶対にね!!何が何でも連れていくよ!例え手荒なことになったとしてもね!!!」
こうなってしまってはもう止められないと、フールはペイジの言う通りにするのが一番だ。
ふとペイジを見ると、ペイジは隠し持っていた何かの液体が入った注射器を手に取る。
一体そこには何が入っていて、刺されたらどうなるのかは、ペイジにしかわからないだろう。
というか、知りたくも無いし知らない方がいいだろう。
「大人しくしいていれば痛くないよ。大丈夫だからね。すぐに意識を失うだけだからね。ほら、綺麗な顔に傷作りたくないだろ?」
子供をあやすように、迷子の小動物に語りかけるように、そっと、優しく声をかけてみたペイジだったが、首を傾ける。
そしてすぐに一か所訂正する。
「ちょっと違うかな。ちょっと記憶がブッ飛ぶだけだからね。怖くないよ」
それをまずはアダムに打ち込もうとするペイジに、真袰は狙いを定めて銃で注射器を壊そうとするが、すぐそこにフールが来ていた。
なんとか先程喰らった蹴りを避けることが出来たが、このままではアダムたちを助けることが出来ない。
どうしたものかと思っていると、アダムがペイジの腹を蹴飛ばした。
そしてふらついてしまったペイジに、イヴが顎下から蹴りを入れる。
あまりに綺麗に入ったため、その場にいたフールや真袰まで驚いた様子だったが、それよりも驚いたのは、ペイジの首元のツギハギが捲れていて、そこから見える肉の断片だ。
「・・・ッ!!!!」
イヴは恐ろしい物をみたように口を両手でおさえながらアダムの方へと向かっていく。
そんなイヴをアダムは自分の身体でペイジから隠すようにすると、ペイジは捲れた個所を摩って確かめる。
「ふふふ・・・まったく。困った子たちだなぁ」
ペイジは少し捲れてしまったそれを、留め具で器用に治すと、なんとも言えない気味の悪い笑みを浮かべる。
「しょうがないなぁ。本当は傷一つつけずに丁寧に運ぶつもりだったのに。こんなに抵抗されて・・・。やっぱり始末するしかないかなぁ。折角の被検体だったんだけどなぁ」
ブツブツと言い始めたペイジを見て、フールはまた始まったか、と諦めムードだ。
「またかよ」
口調からして、以前にもこういったことがあったようだが、いつのことかはわからない。
「ああ、本当は欲しんだけどなぁ。どうやってあんな人間を作ることが出来るんだろう。マジシャンに頼んでもあそこまでは出来ないかもしれないなぁ。人間の身体って作るの大変だって聞いたことがあるからなぁ。出来れば連れて行きたいんだけどなぁ。そうすれば同じような人間が複製出来るかもしれないし、そうすればもっと色んな実験ができるんだけどなぁ。ダメかな。連れて行けないかなぁ」
フールはペイジの気が済むまで独り事を言わせようとしてじっと待っていた。
一歩も動かずに瞬きもほとんどしないその様は明らかに異様だ。
真袰は目の前にいるのが何者なのか、改めて考えさせられる。
しかしそのとき、大きな音が鳴る。
「警報だ。こりゃ、戦車ごとこっちに向かってくるぞ」
鳴らせば五分以内にやってくるようにしてある警報をなんとか鳴らした真袰だったが、同時に思いもよらないことに地震が発生しだした。
大きな地響きとともに揺れる足元。
いくら色んな経験をしてきたとはいえ、そう簡単に自然災害には対応できないものだ。
まだこれから大きくなるだろうと思ったフールは、まだブツブツ言っているペイジに声をかける。
「ペイジ、一旦引くぞ」
しかし、ペイジは壊れた玩具のように同じ言葉を呪文のように繰り返していた。
「欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい」
「無理だ。今回は諦めろ」
「手に入らないなら始末する」
「・・・そういうと思って、ちゃんと仕込んでおいた」
ペイジを連れてそこからさっさと引きあげようとしたフールだったが、真袰がこちらを狙っていることに気付く。
近くにいたアダムとイヴをそれぞれブン投げて真袰にぶつけさせると、その間にペイジを連れて出口へ向かっていく。
「くそっ!!!」
「わ!揺れてるよ!」
「怖い!どうなっちゃうの?」
いつの間にか幼いアダムとイヴに戻っていた2人は、縋るように真袰を見る。
フールたちを追いかけたい気持ちもあった真袰だが、それよりもこの2人のことを優先しないといけなかった。
早く出口へ向かおうと思った真袰だが、地震で出口が塞がれてしまう。
どこからか出られないかと模索するも、緊急用の出口から出られなくなってしまった今、すでに避難する場所などなかった。
2人を不安にさせないよう、真袰は2人の手をそれぞれ握り集めると、笑いながら声をかける。
「大丈夫。もうすぐ助けがくるから。それまで俺がなんとかするから」
「でも天女怪我してる」
「だから、女じゃねえって」
何度も言ってるだろう、と呆れたように笑った真袰。
そんな真袰を見て、アダムとイヴは何かを察したようだ。
いつものように無邪気に笑うと、クスクスとかくれんぼでもしているかのように、ひそひそと話し出す。
「そうだね。もう少しの辛抱だ。それまで天女が守ってくれるって」
「そうね。いつだって私たちのこと、守ってくれたもの。ずっと一緒だもんね」
ね?と確認するように真袰に声をかける。
2人の笑顔に真袰は言葉が詰まった。
「ああ。そうだな。俺は、何があってもずっとお前らを守るよ」
「絶対?」
「ああ」
「ずっと?」
「ああ」
「じゃあ、一緒に絵を描こうね。天女が言っていた人間って、難しいんだもん。教えてよね」
「自分達を描けばいいのに」
「あ、そうか」
「ねえ、天女」
「なんだ?」
「どうして天女は僕たちをそんなに守ってくれるの?どうしてずっと傍にいてくれるの?」
アダムの質問に、真袰は自分から流れ出ている血のことなど忘れている。
イヴが心配そうに真袰の頭に手をやれば、その人間らしい温もりに思わず頬が緩む。
「俺も同じだ」
「同じって?」
「俺も、あの人のためだ。アダム、イヴ、お前たちを助けたあの人のために、こうしてここにいるんだ。それと、俺がお前たちを助けたいから、ここにいる」
「じゃあ、僕たちも天女を助けなきゃね」
「そうね。2人で助ければいいんだもの」
そんなことを笑いながら話していた。
崩れて行くその場所で、真袰は自分に向けられたその笑みを見つめ、脳裏には別の人物のことを思い浮かべる。
―すみません。もう、俺に出来ることはないみたいです。
―約束、守れなくてすみません。
「天女、どうしたの?」
「なんでもないよ。大丈夫だ」
ふと、真袰は自分の足元に何か違和感を覚え、そこに目をやる。
「え?あれ?」
そして次の瞬間・・・。
「大きな爆発だなぁ。フールってばやること大胆だよね」
「お前が跡形もなくって言ったんだろ。それに、始末するからには確実にやらねえと。俺も未来に不安要素は残したくねえからよ」
「やっぱり心強いなぁ、君は」
「で?これからどうすんだ?」
「折角面白い玩具見つけたのになぁ。フールが全部壊しちゃったからなぁ」
「俺のせいじゃねえだろ」
「まあ、そうだなぁ。マジシャンに相談してみようかな。あの子たち作れるかどうかって。聞いてみよう」
「作るって、どうやって?」
「さあ?でも出来るんじゃないの?なんてったって、マジシャンなんだからさ。何もないところから生みだすのが、マジシャンでしょ?」
「勝手にしろ」
途中までペイジを抱えて走っていたフールは、さすがに疲れてしまったらしく、適当な場所でペイジを下ろした。
ずっと運んでもらっているのが楽だったのか、ペイジは歩きたくないと、なんとか地面に足をつけないよう頑張っていたのだが、フールに強引に下ろされてしまう。
仕方なく地に足をつけると、警報によって駆け付けた警察や消防などの音が聞こえてくる。
「なあペイジ」
「なんだい?」
「なんでお前、マジシャンと組んでんだ?」
「なんだ、そんなこと」
「聞いたことねえなと思ってよ」
風に流されるようにさらっと聞いてみたフールだが、ペイジは意外とあっさり答えた。
「確認したいんだよ」
「確認?」
そう言うと、いつもペイジの右目を覆い隠すような前髪が、風に靡いて流れる。
「君が目にしている世界、感じていること思っていること、体験や記憶が全て事実だと、証明できるかい?」
「・・・・・・」
「今のところ、誰も出来ていない。マジシャンの薬がそれを物語ってる」
「記憶改善の薬ってやつか?」
「正確にはね、マジシャンはなんでも作れるんだよ。脳内操作なんて簡単らしいよ」
「そうなのか」
「本当に手広くやっててね、魔法界にまで手を出してるらしいけど、そっちは俺関わってないからよく知らないんだよね。マジシャンが直接やりとりしてるの。珍しいよね」
「魔法界?」
「そう。それに、なんでも望んだものを作れる。俺みたいに、ある一定の年齢から歳を取らないようにする薬とかね」
「へー」
「もし透視能力が欲しいなら、そういう薬も作れるらしいよ。空を飛ぶとかね。マジシャンが本当に作りたいのは他にあるらしいんだけど、今忙しくてそれどころじゃないって前に文句言われたなぁ・・・。ま、薬には副作用ってものがあるからさ、それも考慮しないと大変なことになるけどね」
「お前のその傷も副作用なのか?」
「これ?これは違うよ。これは別のもの」
そう言いながら、ペイジは先程少し捲れてしまったその部分を確かめるように指先でねっとりとなぞる。
その時のペイジの表情は、何かを懐かしむような、それでいて憎むような、妖艶でいて愛憎のような、そんなものだ。
「ま、副作用があったとしても、どうしても欲しけりゃ買うんだろうな。幾ら払ったとしてもよ」
「そう、それ。だから俺は目をつけたんだよ。俺自身も若いままでいられるし、金儲けも出来る。最高じゃない?マジシャンだってそのお金を使って好きな薬が作れる。思わぬ発注内容のときもあるから、やりがいはあるだろうね!なんてホワイトな企業なんだろう」
「ホワイトか?」
「やりがいがあればホワイトなんじゃないの?」
「やりがい搾取するような企業はブラックだよ。見合った報酬支払ってやれよ」
「だってマジシャンお金に興味ないから」
「それでも払うのが義務だろ。だからお前と会話しねえんじゃねえのか」
「ボーナスも出してないからかな。でも週に二日は休んでいいよって言ってるよ。でもずっと働いてるの。それってもう仕事じゃないよね?趣味だよね?ならお金発生しない?」
「そのうち、歳取る薬でも盛られるんじゃねえの」
「え、それは嫌だな。ずっと若いままでいたいのになぁ。今の俺が好きなのに」
「ふあああ。俺は若いままでいたいと思ったことはねえからわからねえけど、ま、お前みたいな奴にはいい話なんだろうな」
「そういうことだね」
「・・・良く分かんねえ時代だな」
「ふふふ。そのうちわかるよ」
二つの影が、徐々に消えて行く。
それは闇に飲まれるようで、闇を飲みこんでいるのかもしれない。
轟々と燃える炎は留まることを知らず、ただただ、情熱的に揺れ動く。
一人の男が黙々と仕事をしていた。
正確にいうと、仕事に関連する何かを作っていた。
その男と同じ部屋にはあと2人男がいて、1人はお菓子を食べており、もう1人はパソコンで何か作業をしている。
そこへまた別の男がやってくると、何かを作っている男のもとへ近づいて行き、厭味なのか暇つぶしなのかは知らないが、そんな感じのことを言っていく。
そんなことに慣れているのか、その男は特に反論することもなく適当に聞き流す。
その男たちがようやく去っていくと、同じ部屋でお菓子を食べていた男が、椅子をシャーっと移動させて、先程まで厭味を言われていた男のもとへ向かう。
ボリボリとお菓子を食べながら。
「また変なのが来てたな。誰?」
「多分同期」
「多分て何」
「覚えてない。話の内容からして多分同期だと思うけど」
「え、適当に話合わせてたわけ」
「合わせてたっていうか、合わせてないけど、向こうが勝手に話してたから」
「なんかどっちが可哀想かわからないんだけど、どういうこと?どっちが可哀想なの?」
「別にどっちも可哀想じゃねえよ」
「なんだそうなの。それにしてもさ、なんでわざわざここに来るんだろうか。ここってさ、意外と人気の部署だったの?ボーナス低いのに?女の子も来ないのに?」
「やることがねえほど暇なのか、ストレスが相当溜まってんのか、それこそお前じゃないが女にフラれた腹いせとか、その辺だろうな。どうせ大した理由じゃないだろ」
「龍ちゃんてさ、同期と仲良くねえみたいなこと言ってたもんな。それなのにわざわざ龍ちゃんに会いに来るなんて、むしろ好かれてんじゃねえかって思う時あるよ」
「好かれてる奴がなんで厭味だけ言われなきゃいけないんだよ。しかもこっちは何も言ってねぇのに、会話してるみたいに次々言ってくるってどういうことだよ」
「ああいう人がよく警察官になれたなーって俺は思うよ」
「向こうも思ってるだろうな」
「ああ、龍ちゃんの性格だもんな」
「お前のことだよ」
「え、俺だったの。俺はほら、正義感の塊だからさ。そりゃなれるよ。別にすげぇ圧かけて入ったわけじゃねえから」
「つかお前汚れた手で部品に触るな」
「龍ちゃんてば同期に仲良しな友達いなくて可哀想。こうして俺達と出会えて本当によかったな。感謝してほしいくらいだよ。今日昼飯奢って」
「なんでだよ・・・あ」
「え?何?指切断した?焼けた?穴開いた?」
「違う」
「じゃあ何」
「そういや、1人いたな、と思って」
「誰が」
「なんとなく気が合う奴」
「え、そうなの。まさかの。いたんだ。よかったね。今その人と連絡取ったりしてないの?」
「同期っつっても、本当に最初の集まりで会って話したくらいだからな。連絡先も知ってはいるけど、特に用事ないから」
「へー、龍ちゃんの唯一の同期友達だ。初めて聞いた」
「俺も忘れてた。名前なんだったかな」
「スマホ見れば」
「連絡先交換したとき、あいつ、俺のスマホの自分の名前の登録名を、なんでか違う名前に変更しちゃって。だから本名は分かんねえなぁ」
「面白い人だ」
「今頃どこで何してんだか」
「あれ、ゆっきーが寝てる」
「寝させてやれ。お前と違って昨日から仕事続きなんだ」
「ひっど。俺だって仕事してるし」
「例えば」
「例えばそう。人々を幸せにするにはどうしたら良いかを考えてる」
「今日は蕎麦の気分」
「任せろ。近くの蕎麦屋検索するぜ」
いつもの部屋ではない、また別の部屋。
テレビもベッドも冷蔵庫もない、ましてや本棚やインテリアなどといったものさえ置いていない、人が住んでいるとは到底思えない部屋。
フローリングのその床に直に仰向けに寝転がると、ひとときの時間に浸る。
しばらく目を瞑り、寝ているのか何かを考えているのか、とにかく、目を閉じたまま規則的な呼吸を繰り返す。
少しして目を開けると、他には誰もいないその部屋に聞かせるように、呟いた。
「俺が俺として今ここにいる。それだけで十分だ」
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