第六話三章 ルキフェル失脚

 「なりません、筆頭将軍! いかにあなたでも事前のお約束もなしに教皇きょうこう猊下げいかにお会いするなど……」

 大聖堂ヴァルハラ。

 始祖しそ国家こっかパンゲアの中枢ちゅうすうたるその荘厳そうごんな神の依代よりしろのなかに、衛兵たちの必死な叫びが響いている。その叫びに包まれながら、筆頭将軍ルキフェルは足音高く床を鳴らしながら教皇きょうこうアルヴィルダのもとへ向かっていた。

 その表情は唇を真一文字に結んだ確固たる決意を示すもので、なにを言っても無駄そのもの。衛兵たちもそれと察して力ずくで押しとどめようとした。だが――。

 「退け!」

 ルキフェルはまとわりつく衛兵たちを腕の一振りで払いながら叫んだ。

 その叫びに、と言うより、ルキフェルの全身から噴きあがる覚悟に気圧されて、衛兵たちは道を空けた。ルキフェル自身はもちろん知るすべもないことだが、大聖堂のなかを突き進むルキフェルのその姿は千年前、天命てんめい巫女みこただひとりの騎士として、天命てんめい巫女みこを連れて国を出ようとしたときの騎士マークスに酷似していた。

 「私は教皇きょうこうアルヴィルダ猊下げいか直訴じきそしなければならんのだ! 邪魔立てするなら誰であれ斬り捨てる!」

 その叫びと共にルキフェルは『天上との架け橋』と呼ばれる長い廊下を足音高く進んでいく。

 その声。

 その表情。

 全身から噴きあがるその覚悟。

 そのすべてに圧倒され、衛兵たちはもはやルキフェルをとめる気力をなくしていた。

 もとより、筆頭将軍と言えばすべての軍事部門を統括する身であり、衛兵たちにとっては雲の上の存在。最高司令官とも言うべき人物。それだけでも力ずくでさえぎるなどできるものではない。

 まして、ルキフェルと言えば、パンゲア内に隠れもない最強の騎士。そのルキフェルが揺らぐことのない覚悟をもって進んでいるのだ。いかに、信仰に篤く、使命に忠実な衛兵たちであっても手出しできるものではない。その姿に息を呑み、不吉な予感に青ざめながら後ろ姿を見送るしかなかった。

 ルキフェルはただひとり、天上への架け橋を歩いていく。

 祭室さいしつを目指して。

 燃える瞳に限りない義憤ぎふんを、真一文字に結んだ唇に使命感を、そして、脈打つ心臓にはパンゲア騎士たる誇りを込めて。

 祭室さいしつの目前へとやってきた。目の前には、かつて神に捕らわれた悪魔が神への奉仕として作らされたと言われる扉がそびえている。たしかに、人の手で作れるとは思えない、荘厳そうごんという言葉ですら到底とうていたりないその扉にルキフェルは両手をかけた。全体重をかけて押し開いた。無数の色彩が目を貫き、絢爛けんらんたる光が祭室さいしつからあふれ出る。

 神の栄光を描いた絢爛けんらんと言うにはあまりにも美麗びれいなステンドグラス。そのステンドグラスに埋め尽くされ、無数の色彩の光が反射し、飛び交うその祭室さいしつに、教皇きょうこうアルヴィルダは立っていた。忠実なる親衛隊が左右に立ち並び、通路を作っているその奥に。

 アルヴィルダの脇にはアルヴィルダとルキフェル、そして、いまひとり、アルヴィルダの双子の妹アルテミシアにとっても『師父しふ』とも呼べる人物、総将ソロモン。

 「教皇きょうこう猊下げいか!」

 ルキフェルは叫んだ。

 確固たる決意にその表情を固めたまま、氾濫はんらんする光のなかをアルヴィルダのもとに歩みよる。左右に忠実なる親衛隊が並ぶ絨毯じゅうたんの上を通って。

 「どうしたのです、ルキフェル。雷霆らいてい長城ちょうじょうにおいて、前線の指揮を執っているはずのあなたがここにいるなどとは」

 「雷霆らいてい長城ちょうじょうはローラシア軍に攻められていると聞いている。まさか、筆頭将軍ともあろうものが敵前逃亡でもあるまいに」

 アルヴィルダが、ソロモンが、それぞれに口にする。

 そう声をかけるふたりは気がついただろうか。ルキフェルの胸。誇らしく掲げられていた筆頭将軍たることを示す階級章がいまはないことに。

 ルキフェルは、アルヴィルダの前に進み出ると片膝をついた。その瞳にかわることのない決意を込め、教皇きょうこうを見上げた。幼馴染みでもあり、いまや全人類を統べる身を自認するうら若き女性を。

 「教皇きょうこう猊下げいか。このルキフェル、一命をして提言ていげんいたします!」

 「一命をす、とは穏やかではありませんね」

 アルヴィルダはそう前置きしてからつづけた。

 「パンゲアの誇る筆頭将軍にして最強の騎士。そのルキフェルともあろうものが命をしての提言ていげんとあらば、非礼をとがめている場合ではありませんね。なんなりと聞きましょう」

 「教皇きょうこう猊下げいか。どうか、〝神兵〟を、あの人ならざる怪物どもを、いますぐ廃棄はいきしてください!」

 「なにを言い出すかと思えば」

 アルヴィルダはルキフェルの訴えをせせら笑った。あまりにも冷淡なその態度。あまりにも冷ややかなその口調。とてもではないが大切な幼馴染みであり、股肱ここうしんに対するものとは思えなかった。もし――。

 もし、いまこの場に、ロウワンがいてアルヴィルダの態度を見ていたなら激しい違和感を覚えずにはいられなかっただろう。それぐらい、いつものアルヴィルダとはちがう印象だった。

 「〝神兵〟は我がパンゲアが手にした力。大陸統一という我らが悲願ひがんを達成するための切り札。その〝神兵〟を廃棄はいきしろなどと、ルキフェル。あなたは我がパンゲアが神より与えられし使命を忘れたのですか?」

 「忘れてはおりません。大陸統一は我が悲願ひがんでもあります。だからこそ言うのです。あのような怪物どもを用いていては行き着く先は大陸統一ではなく、滅亡です。いますぐ廃棄はいきし、そのような未来を防がねばなりません」

 「なにを言うのです、ルキフェル。〝神兵〟があればこそ、我らは大切な兵士を死なせることなく、大陸統一のための戦いを進めることができるのではありませんか」

 アルヴィルダが言うと、ソロモンもつづけた。

 「ルキフェルよ。雷霆らいてい長城ちょうじょうでの戦いについてはすでに報告を受けておる。長城はローラシアの化け物どもに襲われたそうではないか。おぬしもその化け物相手にはすべなく、パイモンが〝神兵〟を使うことでようやく押しとどめたと聞いている。そうではないのか?」

 「そのとおりです、ソロモン総将。たしかに、私はローラシアの化け物どもの前に敗北しました」

 「ならば、ルキフェルよ。〝神兵〟を廃棄はいきするなど考えることもできまい。おぬしでさえ敗北したほどの相手。到底とうてい、人の手には負えまい。そのような化け物どもが敵にいるいま、〝神兵〟を廃棄はいきすれば、我が国民くにたみはローラシアに蹂躙じゅうりんされることになるぞ」

 「だからこそ! だからこそ、言うのです。パンゲアが〝神兵〟を量産すればするほど、ローラシアもあの化け物どもを作り出す。人の手には負えない妖物ようぶつどもが世界にあふれることになるのです! そのような未来が正しいものであるはずがありません。いますぐ、〝神兵〟を捨て去り、また、ローラシアにもあの化け物どもを廃棄はいきするよう呼びかけ……」

 「ローラシアに呼びかけるだと?」

 ソロモンもまた、ルキフェルの訴えをせせら笑った。それはやはり、息子とも思う腹心ふくしんの部下に対するものとは思えない冷淡な態度だった。

 「ローラシアがそのような呼びかけに応じるとでも思うのか? 我らが〝神兵〟を廃棄はいきしたとなればローラシアの不信心どものこと。喜び勇んで化け物どもを引き連れ、我らが国民を襲いに来るわ」

 「そうだとしても」

 師父しふとも言うべきソロモンのあまりにも冷淡な態度を前にしても、ルキフェルは揺らぐことはなかった。断固たる決意を込めて訴えつづけた。

 「そうだとしても、まずこちらから行動を起こさないことにはなにもかわりません。先に〝神兵〟という怪物を使ったのは我々なのです。ならば、我々の側がまず怪物の廃棄はいきを実行して見せなければなりません。あのような妖物ようぶつどもが世にあふれかえる。そのようなおぞましい未来だけは避けなくてはならないのです!」

 「〝神兵〟の廃棄はいきを認めることはできません」

 「教皇きょうこう猊下げいか!」

 「世界と人類をひとつに。それは、我がパンゲアの悲願ひがん。その悲願ひがんを叶えるための力を手に入れたというのに、手放すことなどどうしてできましょう」

 「制御できぬ力など危険なだけ! 武力は国の大事だいじなれば常に人の手で、人の意思で制御され、制限されて用いられなければなりません。たとえ、敵相手であろうと無制限な武力の使用などあってはなりません。そのためには、あのような人を超えた兵器などあってはならないのです」

 「ルキフェルよ」

 師父しふたるソロモンが若い息子をさとすように言った。

 「お前はまだ若い。理想を現実に優先している。戦争とは、現実とは、お前が思っているほど甘くもなければ、美しくもない」

 「ソロモン総将。たしかに、私はあなたに比べればまだまだひよっ子。私の思いは青臭い理想に過ぎないのかも知れません。ですが、理想がなければ人をなにを目指して歩めばいいのですか?」

 ルキフェルはそう言ってから、さらに訴えかけた。

 「ソロモン総将。あなたは幼い頃の私たちにこう教えてくださった。

 『理想とは砂漠の星のようなもの。いくら星を目指したところで星そのものにたどり着くことは決してできない。しかし、星を目指すことで、目的地まで迷うことなく歩いていける』と。

 私はその教えを受けて以来、常にその言葉を胸に刻んできました。目指すべき理想を決して忘れまい、理想を忘れて迷うようなことはするまい、と。そのあなたがいま、理想を否定されるのですか?」

 「ルキフェル」

 アルヴィルダが静かに言った。

 「私たちには揺らぐことのない理想があるではありませんか。世界を、人々をひとつにし、人と人の争いのない世界を築くという理想が。その理想を目指して邁進まいしんしているというのに、それに反対しているのはあなたなのですよ?」

 「そのためなら、世界を滅ぼしてもいいと言うのか⁉」

 ルキフェルは叫んだ。

 それは、教皇きょうこうに対する叫びではなかった。大切な幼馴染みの心に向けた叫びだった。

 「思い出せ、アルヴィルダ! おれとお前、それに、アルテミシアの三人でいつも話しあったじゃないか。世界と人類をひとつにしよう、人と人が争うことのない世界を作ろうと。その目的は、誰もが戦乱に怯えることなく平穏に、幸福に暮らしていける世界を作ることにあったはず。あのような怪物どもに頼っていて、そんな世界が作れるはずがない!

 想像してみろ! あの怪物どもが我らの制御をはなれて暴走したときのことを。

 誰がとめられる?

 誰が倒すことができる?

 誰の手にも負えはしない! 万が一にもやつらが暴走すれば、そのあとに来るものは世界の破滅、終わることのない殺戮さつりくの日々だ! 誰も戦乱に怯えることのない世界どころか、すべての人間が怪物に襲われ、殺されることに怯え、逃げ惑わなくてはならない世界になってしまうんだぞ! そんな未来を招きたいというのか⁉」

 「いいではありませんか」

 「なっ……⁉」

 あまりにも意外な言葉にルキフェルは絶句した。アルヴィルダはかのらしくもない冷淡な薄笑いさえ浮かべながらつづけた。

 「死ぬことのなにがいけないのです? 世界がひとつになれば生も死もない。すべては同じこと。すべての人間が死んでひとつになれると言うのならそれこそ、我がパンゲアの悲願ひがん、神より与えられし使命の達成ではありませんか。それを喜ばずにどうするのです?」

 「お前……」

 ルキフェルは限界まで目を見開いてアルヴィルダを見た。いや、アルヴィルダの姿をして『なにか』を。

 「お前は……誰だ? アルヴィルダがそんなことを言うはずがない! お前はいったい、誰なんだ⁉」

 「全人類をべる存在たる教皇きょうこう。その教皇きょうこうを『お前』呼ばわりですか。なんたる不敬ふけい。ソロモン。いかに、筆頭将軍とはいえ、かかる非礼を許してはおけません」

 「御意ぎょい

 ソロモンは重々しくうなずいた。自らの直属たる親衛隊に命令を下した。

 「親衛隊! 反逆者ルキフェルを捕えよ!」

 その命のままに――。

 列をなし、通路を作っていた親衛隊が動き出した。ルキフェルに近づき、両腕を捕えた。

 「放せッ!」

 そう叫ぼうとしたルキフェルの声が途中でとまった。それを見たからだ。いかなる意思も、感情も、かけらほども感じさせることのない親衛隊たちの表情。

 「お前たち……」

 ルキフェルは一瞬で悟った。それは、いかなる意味でも『人間が』浮かべることのできる表情ではなかった。

 「お前たち……お前たち、いったい、誰なんだあっ!」

 その叫びを残し――。

 ルキフェルは連れて行かれる。そして――。

 ――はははは。

 ――はははははは。

 アルヴィルダのものでもない、ソロモンのものでもない、誰のものとも知れない高らかな笑い声が、渓谷けいこくに吹く風のように大聖堂のなかに響き渡っていた。

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