第六話二章 妖物大戦
建設以来、陥落どころか、敵の銃弾ひとつ受けたことのないパンゲアの誇る城壁が。
その現実に、ルキフェルは両の拳をギュッと握りしめた。
しかし、どんなに
――くそっ! やつらを倒せる武器さえあれば……。
歯がみしながらそう思う。
――いや、そもそも、ローラシアにあんな化け物どもがいることを探れなかった時点で敗け、か。
考えてみれば、警戒していて当たり前だったのだ。パンゲアにもほとんどの人間に知られていない秘密の部署があり、秘密裏に新兵器の開発をしていたではないか。そうして作られたのが〝神兵〟。パンゲアによる世界統一のための切り札として作られた、人ならざる兵士たち。
パンゲアは数百年に及ぶ時をかけて、大陸統一のための力として〝神兵〟を生みだしたのだ。
それならば、だ。
同じく数百年の歴史をもつローラシアが、同じように化け物兵を生みだしていてもおかしくない。なにしろ、ローラシアはゴンドワナと共に建国以来、常にパンゲアの侵攻にさらされてきたのだ。それに対抗する力を求めるのは当然ではないか。
――それなのに、おれはそのことに気がつかなかった。
その思いに握りしめた拳にますます力が入る。ポタポタと指の間から流れ落ちる血が勢いを増していく。
――過去の歴史を学ぶばかりで、これからもずっと同じ戦いがつづくものとばかり思い込んでいた。新兵器の存在にまで心至らなかった。そのために、充分な情報収集もしてこなかった。その時点でおれの敗け、か。
敗け。
敗北。
その思いがルキフェルの若い心に重くのしかかる。
胃がシクシクと痛み、いっそのことなかのものをすべて吐き出して楽になってしまいたい。
そんな思い。
それは、たしかに耐えがたい
ルキフェルはカッ! と、目を見開き、
「そうだ。この戦いはおれの敗けだ。だが、敗けたままではすまさんぞ。必ず、逆襲し、勝利をつかんでみせる」
そのためには、化け物どもに殺されようとしている兵士たちをひとりでも多く生きのこらせる必要がある。そして、体勢を立て直し、化け物どものことを調べあげ、逆襲に転じるのだ。勝利をつかみ『大陸統一』というパンゲアの
「全軍、退避!」
ルキフェルは床を踏みならしながら叫んだ。
限界まで見開かれたその目に走る血管の量が、後日のためにいま、呑み込まなくてはならない
「全兵士を
「
パンゲアの武力の象徴として
しかし、ルキフェルは叫んだ。
「城なぞ奪い返せばいい! 兵さえ生きのこっていれば、それができる。いまはとにかく、ひとりでも多くの兵を生きて帰すことだ。
そう叫んでからさらにつづけた。
「
「は、ははっ……」
「なりませんな」
歳老いた枯れ木。
一目見て、そんな印象をもつ人物だった。
「……パイモン」
その姿を認め、ルキフェルはギリッと歯がみした。
パイモンと呼ばれた老人は、そんなルキフェルを冷ややかな、と言うより、はっきりと侮蔑する目で見ていた。『肉』というものを付け忘れたかのように痩せこけた顔のなかで、フクロウのように大きい両目だけがギラギラと異様な生気に満ちて輝いている。
パイモン。
研究省上将パイモン。
パンゲアは千年前の人類騎士団が発達して成立した国であり、すべての役職を騎士たちが担ってきた。そのために、軍事部門以外でも軍と同じ階級名が用いられている。
それが、パンゲアの七二将。
総将ソロモン、筆頭将軍ルキフェルの他に七二人の将軍がおり、このなかの九人が上将として各省の責任者となっている。
パイモンはそのうちの研究省の責任者である。その名の通り、軍需・民需を問わず、あらゆる研究を
すなわち、〝神兵〟の指揮官。
それが、パイモン。
一応、格式としては筆頭将軍であるルキフェルのほうが
だからと言って、パンゲアを支える九人の上将のひとりを自身の感情だけで斬って捨てるわけにもいかない。
「それができれば、どんなにいいか……」
と、思わないこともないが。
その思いを抑えて、ルキフェルは尋ねた。
「パイモン上将。それはどういう意味だ? 後退してはならないと言うのか?」
「
「なにを聞いていた⁉ 兵さえ無事なら城などいくらでも取り返せる。いまはとにかく、兵たちを無事に帰すことだ」
ルキフェルはパイモンを睨みつけた。痩せすぎの老人は、枯れ木のようなその体に似合わない大きな目に
筆頭将軍と研究省上将。
雲の上の存在とも言える最高幹部ふたりの言い合いを前に、
次に口を開いたのはパイモンのほうだった。
「そもそも、貴公が意地を張らず、我々に任せておけば簡単にすんだことだ。我らが神の兵ならば、ローラシアの化け物など敵ではない。
言われて、ルキフェルは怯んだ。
たしかに、最初から〝神兵〟を使っていれば兵たちは死なずにすんだのかも知れない。しかし――。
「〝神兵〟……。あれは、あれは……」
「どくがよい。兵たちの命が大事ならばな」
もはや、筆頭将軍という
「くっ……」
ルキフェルは歯がみして横にどいた。
筆頭将軍に対してあるまじき非礼ではあった。しかし、『兵の命』を引き合いに出されてはルキフェルとしては譲るしかなかった。こんなところで言いあっていては、兵たちの被害が増えるばかりだ。
ルキフェルにかわり、城壁の先頭に立ったパイモンは枯れ枝のように細い腕を高々と掲げ、振りおろした。パイモン配下の将たちがその命を受けて〝神兵〟たちを解きはなつ。
重々しい甲冑に身を包んだ鎧騎士たちが耳障りな金属音と、大地を揺るがす重々しい足音を立てて出撃していく。ローラシアの化け物たちに向かって歩んでいく。
ローラシアの
城壁の上で、
城壁を拳の一撃で打ち砕く〝神兵〟の力をもってしても、
人間の兵士相手であれば一振りで両断する
両者は組みあい、もつれあい、ひとつの塊と化して争いつづける。
ルキフェルは、目の前で展開されるその光景を
その光景をなんと表現すればいいのだろう。
戦い?
殺しあい?
どれも、ちがう。
どれほど
意思も、感情ももたず、ただひたすらに命じられたままに破壊と
――これは……これは、ちがう。戦争などではない。
ルキフェルは拳を握りしめながら胸に呟いた。
――戦争とはあくまでも政治の延長。相手を自分の意に従わせるための手段のひとつ。それは、制御され、制限されて使用されなければならない。決して、無制限に使われてはならない。まして、武力の行使そのものを目的にしていいわけがない。
だが、ルキフェルの目の前では、いままさにその『あっていいわけがない』ことが起きているのだ。無制限の武力の行使。自らの意思で戦いをやめるという選択をもたず、命じられたままにひたすら殺し、壊し、破壊することをつづける
――これは……これは、戦争ではない。収め方を知らない子どもの
ルキフェルは筆頭将軍たることを示す胸の階級章を引きちぎった。
怒りと共に床にたたきつけた。
争いが終わったとき――。
そこには、無数の肉片と鎧の欠片だけが散らばっていた。
そして、その日を境にルキフェルの姿は
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