第六話一章 化け物の群れがやってくる

 南の海において自由の国リバタリアとローラシアによる海戦が行われている頃――。

 はるかな北の大地においてもひとつの戦いが行われていた。

 アドニス回廊。

 歴史上、幾度となくパンゲアとローラシアの戦いの舞台となってきたこの北の大地において、いままたパンゲアとローラシアの戦いが行われていた。

 ただし、南の海における海賊たちのような陽気さや豪放さは欠片もない戦い。酸鼻さんび残虐ざんぎゃくきわまる、凄惨せいさんなだけの戦い。いや、それはもう『戦い』と言えるようなものではなかった。一方的な殺戮さつりくであり、虐殺ぎゃくさつ。狂気の画家が描く地獄絵図を現実のものとした光景だった。

 「うわああああっ!」

 「助けてくれえっ!」

 「化け物だあっ!」

 戦場に響くものはパンゲア兵の悲鳴ばかり。銃火器の時代になろうともその名は騎士。千年前の英雄マークスが指揮した人類騎士団。その魂を受け継ぐ精鋭たち。勇敢で実直、忠誠篤きその騎士たちがいま、騎士としての誇りも、国家への忠誠も忘れ、泣きわめいている。逃げ出している。

 対して、ローラシアの兵たちは一言も発しない。発するはずがない。パンゲアの拠点、雷霆らいてい長城ちょうじょう目指して進軍してくるローラシア兵は人間ではなかったのだから。

 それはまさに、異形いぎょうの化け物。

 全身、筋肉がむき出しになったかのような血管だらけの肉体。

 心臓のように脈打つ頭部。

 かまとなった両腕。

 ローラシアの〝賢者〟たちが千年の時をかけて作りあげた化け物、天命てんめいつわもの。意思ももたず、感情ももたず、ただひたすらに命じられたままに戦い、壊し、殺し尽くす化け物。

 その化け物たちが何千という群れをなして雷霆らいてい長城ちょうじょうへと攻めよせてくる。

 銃弾を撃ち込んでもその強靱な筋肉が易々やすやすと受けとめ、貫通を防ぎ、押し返す。筋肉に押し返された弾丸がポロリとはずれ、空しく地面に落ちる。あとにはわずかばかりへこんだ穴から、かすかな血が流れるのみ。

 大砲の直撃を受けて手足がちぎれようと、とまらない。脚が吹き飛ばされれば腕で、腕も吹き飛ばされれば口で、ズリズリと地面を這いずり、迫ってくる。その光景はまさに悪夢。現実をはなれ、おぞましい夢の世界に閉じ込められたとしか思えないありさまだった。

 それを見ればどんなに勇敢な――あるいは、無謀な――人間であってもパンゲア兵たちの恐怖に駆られた姿を笑うことはできないだろう。ローラシアから攻めよせてきた化け物たちは、それほどにおぞましい存在だった。

 恐怖に駆られて逃げ出してくるパンゲア兵と、それを追ってゆっくりと、しかし、一歩いっぽ着実に迫ってくる化け物たち。

 そのありさまをパンゲアの筆頭将軍ルキフェルは雷霆らいてい長城ちょうじょうの上から歯がみしながら睨みつけていた。

 「くっ……。まさか、ローラシアにもあんな化け物たちがいるとは」

 ギュッと握りしめられた両手は、あまりにも力が込められているせいで白くなっている。指の隙間からは幾筋かの赤い液体がしたたり落ちる。あまりに強く手を握っているために、指の爪が手のひらに食い込み、傷つけているのだ。

 しかし、ルキフェルはそんなことには気付きもしないほどの怒りと屈辱くつじょくを感じていた。

 ――なんと言うことだ。有史以来、雷霆らいてい長城ちょうじょうが攻め込まれたことはない。それこそがパンゲアのほまれだった。それなのに、このおれの代になってその栄光が破られるとは。

 そう思うと怒りと屈辱くつじょくのあまり、目の前が真っ暗になりそうな気のするルキフェルだった。

 そんなルキフェルの隣で幕僚ばくりょうのひとりが怯えきった声をあげた。

 「だ、駄目です、ルキフェル将軍! やつらには銃も、大砲も、なにひとつ効きません! このままでは我々はやつらに皆殺しにされてしまいます!」

 かのは四〇代。立派な顎髭あごひげを蓄えた、たくましい壮年の軍人である。そのかのがいま、まるで親に捨てられた幼子おさなごのようにうろたえ、怯え、いまにも泣き出しそうな表情になって訴えている。

 大陸最強の軍事国家たるパンゲアである。貴族至上主義のローラシアとはちがい、あくまでも実力主義。平民であろうと、奴隷であろうと、能力さえ示せば出世の道が示される。逆に言えば、常にその実力を示さなければ出世できないし、手にした地位を守ることもできない。

 かのも筆頭将軍の幕僚ばくりょうという地位を得たからには、それにふさわしいだけの勇敢で有能な人物だった。そのはずだったのだ。そのかのにして怯えきった無力な幼子おさなごと化している。それほどに、いま、この場で展開されている光景は異質でおぞましいものだったのだ。

 「うろたえるな!」

 ルキフェルは叫んだ。

 じゃを払うかのように音高く長城ちょうじょうを蹴りつけた。その仕種が実際に、その場を支配していたおぞましい空気を払いのけたのか、無力な幼子おさなごと化していた幕僚ばくりょうの顔にほんのわずか、勇敢で有能な軍人としての表情が戻ってきていた。

 その幕僚ばくりょうに対し、ルキフェルは指示を下した。いかに怒りと屈辱くつじょくにまみれていようと、それによってわれを失い、おのれの為すべきことを忘れるような無能でも、愚かものでも、ルキフェルはなかった。

 「効いていないのではない! 効きにくいだけだ! 見ろ。実際に、やつらも大砲の直撃を受ければその身は吹き飛んでいる。決して、我々の攻撃が通じないわけではない。攻撃を集中すれば倒すことは可能だ」

 そうさとしてから、さらにつづけた。

 「出撃している兵を全員、長城ちょうじょう内に退避させろ。油をまき散らせ。火攻めにするんだ」

 「は、ははっ……!」

 指示を受けて軍人としての習性が蘇ったのだろう。その幕僚ばくりょうは背筋を伸ばし、敬礼をし、上官の命令を遂行すいこうするべく走り出していった。ほどなくして全面後退を知らせる鐘の音が鳴り響いた。もっとも、そんな鐘を鳴らす必要もなかっただろう。出撃していた兵士たちはすでに全員、ローラシアの化け物たちに追われ、逃げるのに必死だったのだから。

 長城ちょうじょうの門が開き、兵士たちを収容する。城壁上にズラリと並んだ投石機が唸りをあげ、大きな革袋を化け物めがけて投げつける。革袋は化け物に当たって破裂し、なかからドロリとした粘性の高い油が流れ出て、化け物の全身を濡らした。

 各国海軍が使用してきた海原うなばらほど効果的なものではないが、雷霆らいてい長城ちょうじょうにも敵軍を火攻めにするために油の用意は常にしてあるのだ。

 「火矢を放て!」

 ルキフェルが命令すると、城壁上に並んだ弓兵たちがその弦を限界まで引きしぼり、火のついた矢を次々と放った。矢はイナゴの群れのようなすさまじい音を立てて化け物の群れに襲いかかった。矢は化け物の強靱な筋肉に突き刺さることはなかったが、全身を濡らした油に火をつけることはできた。たちまち、あたり一面を炎が覆い、アドニス回廊は紅蓮ぐれんの炎に包まれた。人間の兵であればひとたまりもない火炎地獄。しかし――。

 ローラシアの化け物たちは、むき出しの心臓のようなその筋肉に血管を浮きあがらせ、ドクドクと脈打たせながら近づいてくる。炎などものともせずに迫ってくる。そもそも、熱ささえ感じていないようだ。その姿にパンゲアの兵士たちはさらなる神話的な恐怖に襲われた。

 だが、ルキフェルにとってはその程度のことは予測の上。火攻めごときでこの化け物どもを退治できるなどとは思っていない。火をつけた目的は相手の視界を奪い、少しでも進軍を遅らせ、相手の連携れんけいを妨害することだった。

 「銃兵隊、敵右翼に対し集中砲火! 倒す必要はない、間断かんだんない銃撃によって、やつらを一カ所に密集させろ!」

 その命令のままに銃声が鳴り響き、無数の銃弾がローラシアの化け物相手に撃ち込まれる。神話的な恐怖に駆られ、恐慌きょうこうを来していながら、ルキフェルの命は忠実に実行する。それは、パンゲア兵の練度と忠誠心の高さ、そして、なによりも、ルキフェルという存在がいかに兵たちから信頼され、敬愛されているかを示す出来事だった。

 これが、兵士たちの信頼の薄い凡庸な将であれば、同じことを命じたところで実行などされない。

 「やりたきゃ、お前ひとりでやれ!」

 そう吐き出して逃げているところだ。

 兵士たちにそうさせず、あくまでも戦わせる。

 それが出来るだけの名将。それが、パンゲアの筆頭将軍ルキフェルだった。

 すさまじいまでの銃撃の集中。常識では考えられないほどの銃弾の雨を受けて、さしもの化け物たちも銃撃をよけ、一カ所に集中した。そこに、ルキフェルの新たな命令が飛ぶ。

 「集中箇所に全大砲を向けろ! 一時いっときも休むな、やつらがバラバラの肉片になって動けなくなるまで、砲撃をつづけるんだ!」

 その命令もまた忠実に実行された。雷霆らいてい長城ちょうじょうに備えられた無数の大砲。そのすべての砲門が進軍してくる化け物のほんの一角、化け物たちの寄り集まった一カ所に集中した。

 雷霆らいてい

 まさに、その名にふさわしい轟音が鳴り響き、火花が散り、濛々もうもうたる煙が立ちこめる。

 「死ね、死んでくれ!」

 パンゲア兵の必死の叫びと共に砲撃は繰り返される。人間の軍相手であれば決してされない、する必要もない超高密度の砲撃。無数の砲撃によって地面がごっそりえぐられ、巨大な穴と化したそこへ、さらに次の、次のつぎの砲撃が繰り返される。

 ――いかに、不死身の化け物と言えど、バラバラの肉片になってしまえば動けはすまい。

 それが、ルキフェルの読み。

 それは、確かに正しかった。いかに天命てんめいことわりによって作られた化け物と言えど、バラバラの肉片にされてしまえばさすがに身動きはとれない。肉片とされてなお、死ぬことはなくドクドクと脈打ってはいたが、もう動くことも、パンゲア兵を襲うことも出来はしない。ルキフェルの指揮によって殺すことは出来なくとも、倒すことは出来たのだ。しかし――。

 その方法で倒すことができる敵はあまりにも少なかった。ほんの一カ所、化け物たちが集中した一角に全火力を集中している間に、その他の大部分が長城ちょうじょうに迫っていた。そして――。

 城壁にとりつかれてしまえば火攻めにすることも、大砲で砲撃することも出来はしない。そんなことをすれば自分で自分たちの拠点を破壊してしまう。

 長城ちょうじょうにとりついた天命てんめいつわものたちは忠実に自分の役割を果たした。かまとなった両腕を振りかざし、城壁に穴を開け、突き崩す。あるいは、城壁にかまを打ち込んで登っていく。そうして、内部に侵入してしまえば、もう敵はいない。

 銃弾すら押し返す強靱な筋肉。接近戦用の剣などで傷つけられるはずもない。恐慌きょうこうに駆られたパンゲア兵の必死の攻撃をカの一刺しのように無視してかまとなった両腕を振るい、次々とパンゲア兵を血祭りにあげていく。

 あがるものはパンゲア兵の悲鳴。

 満ちるものはパンゲア兵の血の匂い。

 展開されるものは化け物による人間たちの虐殺ぎゃくさつ

 ルキフェルがいかに有能で、兵士たちの信頼篤い名将だと言っても、武器の通用しない相手と戦えるはずもない。

 パンゲアの拠点としてこの数百年間、ただ一発の銃弾すら撃ち込まれたことのない雷霆らいてい長城ちょうじょう

 その長城ちょうじょうがいま、陥落しようとしていた。

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