第六話四章 やつが来た

 「姉さま!」

 音高く扉を開けて、アルテミシアが大聖堂ヴァルハラの祭室さいしつへと飛び込んできた。

 絢爛けんらんだが、それ以上に荘厳そうごんなステンドグラスに埋め尽くされ、無数の色彩の光が飛び交うその空間。そこに、アルテミシアに背を向ける格好で、天井のステンドグラスに視線を向けるアルヴィルダがただひとり、たたずんでいた。

 そこに、いま、アルヴィルダの双子の妹にして天帰てんききょう第二位のくらいにある仮面の大司教アルテミシアが飛び込んできたのだ。ただし、いまは仮面をかぶってはいない。姉とうり二つの、幼馴染みであるルキフェルと、師父しふソロモン以外にはほとんど誰も見分けることができないほどに姉にそっくりの顔をさらしている。

 姉たる教皇きょうこうアルヴィルダの影として決して、誰にも姉と同じその素顔を見られることのないよう、私室以外では仮面を脱ぐことのないアルテミシアである。そのアルテミシアがいま、仮面をかぶることを忘れて長い廊下を渡り、祭室さいしつまでやってきた。それは、アルテミシアがいかに取り乱しているかを証明する出来事だった。

 「どうしました、アルテミシア。そんなにもあわてて」

 アルヴィルダは静かに振り向いた。抑揚よくようのない声で妹にそう尋ねた。

 「姉さま! ルキフェルを捕えたというのは本当ですか⁉」

 アルテミシアは血相をかえて尋ねた。悲鳴だった。

 「本当です」

 妹とは対照的に姉のほうはあくまでも冷静に、事務的な口調で答えた。アルテミシアにいま少しの冷静さがあれば、その冷淡さに違和感を覚えたことだろう。しかし、いまのアルテミシアにそんなことに気がつく余裕はなかった。

 「なぜ、なぜなのです⁉ ルキフェルを捕えるなんて……。ルキフェルはわたしたちの大切な幼馴染みではありませんか!」

 「アルテミシア」

 と、アルヴィルダは静かに妹をさとした。その口調は『冷淡』さえ超えて、小馬鹿にするような響きを含んだものだった。

 「立場をわきまえなさい。わたしは教皇きょうこうであり、あなたは天帰てんききょう第二位の大司教。そして、ルキフェルは筆頭将軍でした。無邪気な幼馴染みでいられた子どもの頃とはちがうのですよ」

 「そ、それはそうですが……」

 正論を言われてアルテミシアは言葉に詰まった。聖職者としての役職以外の用途に使ったことのないたおやかな手を、ギュッと握りしめた。

 「……では、改めてお聞きします、教皇きょうこうアルヴィルダ猊下げいか。なぜ、筆頭将軍ともあろうものを捕えたのですか?」

 「元筆頭将軍です。ルキフェルはすでに反逆者として指名しました。もはや、パンゲア国内にいかなる身分も、立場ももたないただの罪人です」

 「反逆者……」

 「そうです。無断での戦場放棄、敵前逃亡、そして、教皇きょうこうたる身に対する暴言の数々。それを反逆といわずになんと言うのです? 反逆者を捕え、処罰することになんの問題があると言うのです?」

 「それは……」

 アルテミシアはさらに強く手を握りしめた。ぞわぞわとした不快感が胸の奥底から込みあげてきた。

 ここにきて、アルテミシアもようやく気付いた。姉であるアルヴィルダの態度のおかしさに。

 ――おかしい。アルヴィルダ姉さまがこんなにも冷淡に振る舞うなんて。それも、ルキフェル相手に。わたしたちがそれぞれの地位に就いてからも、幼馴染みという関係を一番、大事にしていたのは他ならぬ姉さま自身なのに。

 アルテミシアやルキフェルが身分を気にして堅苦しい態度をとると決まって、

 「そんなに気にすることないわよ! 立場はかわっても、わたしたちが姉妹であり、幼馴染みであることにかわりはないんだから!」

 そう言って、ほがらかに笑う姉だった。それなのに……。

 ――それに……それに、この事務的な口調はなに? 教皇きょうこうになってからも、わたしに対してだけは『お姉ちゃん』としての口調で接していたのに……。

 しかし、いまはとにかく、それぞれに立場に従って接するしかないアルテミシアだった。

 「お話はわかりました。ですが、ルキフェル将軍がそれだけのことをしたからには相応の理由があるはず。もしや、ルキフェル将軍は〝神兵〟について、教皇きょうこう猊下げいか直訴じきそされたのでは?」

 「そのとおりです」

 アルヴィルダはあっさりと認めた。

 その態度が心をざわつかせる無機質さを感じさせた。

 「ルキフェルはわたしに向かい、〝神兵〟の廃棄はいきを要求したのです。我らパンゲアの悲願ひがんたる大陸統一。それを成し遂げるための力を捨てろと。それはもはやパンゲアへの、我々の歴史そのものへの裏切り。到底とうてい、許すことは出来ません」

 「……姉さま。いえ、教皇きょうこうアルヴィルダ猊下げいか

 染みひとつない白い手を胸の前でギュッと握りしめながら、アルテミシアは姉そっくりの顔に限りないうれいの表情を浮かべた。そして、訴えかけた。

 「教皇きょうこう猊下げいか。わたしからも言わせていただきます。〝神兵〟の使用はいますぐにやめるべきです!」

 「なにを言うのです、アルテミシア。あなたまでが我々の歴史を裏切ろうと言うのですか?」

 「ちがいます! その歴史に忠実なればこそ、あのような怪物の使用を認めることはできないのです。思い出してください、姉さま。天帰てんききょうの教えとはあくまでも『人が人自身の力で』この世界に理想郷を築くことにあったはず。だからこそ神は、我がパンゲアに大陸統一の使命を与えられたのではありませんか! それなのに、亡道もうどうつかさなどと言う人ならざる存在、この世界すべての敵の力を使って成し遂げようなど……そんなことを神がお喜びになるはずがありません!」

 「やれやれ。アルテミシア。あなたもついに我々の悲願ひがんを理解できなかったようですね」

 「姉さまこそどうかしています! あのような怪物に頼るなど……世界をひとつにするために、世界を滅ぼしかねない力に手を染めてどうするのです⁉」

 「いいではありませんか」

 「なっ……⁉」

 「世界が滅びたからなんだと言うのです。生も死もない。すべてはひとつ。すべては同じ。我が力によって世界のすべては混じりあい、ひとつとなる。人も動物もない。動物も植物もない。生物も非生物もない。すべては混じりあい、ひとつになるのです。

 それこそ、真に神の理想郷! いかなる争いもない我らの悲願ひがんが実現するのです。それこそ、神の望みそのものではありませんか!」

 アルヴィルダは高々と両腕を掲げ、天を仰ぎ、そう宣告する。その姿はとてもではないが正気の人間のものとは思えなかった。

 「あなた……あなたは誰?」

 アルテミシアはついにそう言った。

 「あなたは誰⁉ 姉さまじゃない、姉さまがそんなことを言うわけがない!」

 アルテミシアがそう叫んだそのときだ。

 ――はははは。

 ――はははははは。

 誰のものとも知れない高らかな笑い声が祭室さいしつのなかに、いや、大聖堂ヴァルハラのなかに、いやいや、パンゲア全土に響き渡った。

 そして、教皇きょうこうアルヴィルダの頭上に浮かびあがる影。その影を見たとき、アルテミシアは驚愕きょうがくに両の目を限界まで見開いた。

 それは、この場にいるはずのない存在。大聖堂のはるか地下深くに幽閉され、何重もの結界に閉ざされ、決して、そこから出ることも、身動きすらもできず、ただひたすらに〝神兵〟を生みだすための道具として使われているはずの存在。

 その存在がいま、アルヴィルダの頭上に浮かび、パンゲア全土に響き渡る笑い声を立てている。その笑い声にあわせてアルヴィルダ自身も笑っている。計り知れない深淵しんえんの狂気に染まったかのように。

 アルテミシアは呻いた。

 その存在の名を告げた。

 「亡道もうどうの……つかさ

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