七章 海の戦い

 人類の船団が海を割って押し進む。

 今度こそ、亡道もうどう世界せかいとの戦いを終わらせるため。

 幾度となく繰り返されてきた滅びの定めを覆すため。そして――。

 二千年の昔、自ら犠牲となった天命てんめい巫女みこさまを人間に戻す、そのために。

 人類軍の本拠であり、船団のそう旗艦きかんでもあるダンテの島を先頭に、大小数百の船が海を渡る。二千年前、騎士マークスが亡道もうどうつかさと戦ったときに比べれば規模としてはずっと小さい。あのときは何万という船と、一千万に及ぶ兵が海を渡った。

 亡道もうどうつかさを倒し、この世界を守る。

 そのために。

 あのときに比べれば船の数は少なく、人員はさらに少ない。規模としては百分の一にもなりはしない。しかし、それは『かつてより弱い』ことを意味しない。まったくの反対。船一つひとつ、兵士一人ひとりの戦闘力がはるかにあがっておるからじゃ。

 船の火力と頑健さも、兵士たちが身につける装備品の威力も、二千年前の戦いのときとは比べものにならない。もちろん、わしらが戦った千年前の戦いと比べても雲泥の差、月とスッポン。天命てんめいことわりとなったわしにはそのことがはっきりとわかった。規模は小さくてもその戦闘力は数倍では効くまい。数十倍、数百倍、いや、もしかしたら数千倍にもなっているかも知れぬ。

 それほどに人類は強くなった。

 わしの時代から数えて千年。その間にそこまで文明を発展させ、力を高めた。わしはそのことがたまらなく誇らしかった。

 ――後世に託したわしの判断は正しかった。

 心からそう思えた。

 そして、なにより、いまのこの時代も人類は亡道もうどう世界せかいとの戦いに勝利するべく総力をあげておる。

 騎士マークスの時代。

 そして、わしの時代。

 前の二度の戦いのときもそうじゃったように戦場に出ることのない市井しせいの人々もまた、自らの持ち場で精一杯おのれの為すべき事を為し、戦場に出向く兵士たちを支えておる。

 ――これならば。

 わしはごく自然に思った。

 ――これならば、今度こそ亡道もうどう世界せかいとの戦いを終わらせられる。今度こそ、天命てんめい巫女みこさまを人間に戻すことが出来る。今度こそ……。

 その悲願を叶えるために船団は海を渡る。

 船に乗り込むのはかつてない強力な装備に身を固めた疾地しっち走騎そうき。空をくはリョキと同じ翼あるダンテの群れと、その背にまたがる遊天ゆうてん飛騎ひきたち。

 此度こたびの戦いはいままでの二回とは異なり、空からの大規模な攻撃さえ可能となった。これもまた、この千年で人類が身につけた新しい力。

 索敵班のひとりが大声を張りあげた。

 「マークスⅢ! 前方より黒雲が沸き立っています!」

 その声に行く手を確かめる。すると、たしかに、水平線の向こうから黒い雲がもくもくと沸き立ってくるところじゃった。

 その雲はまるで、濃い灰色の墨を水面に流したかのようにジワジワと広がり、こちらによってくる。我らの頭上に浮かぶ空すべてを覆い尽くそうと広がりつづける。

 「あの雲の下に巨大な嵐を観測しました! 雨、風、そして、雷、そのすべてが常識では考えられないほどの激しさで吹き荒れています!」

 「我らの計測器が反応している」

 索敵班につづいて『もうひとつの輝き』の学士が告げた。

 「あれは明らかに亡道もうどうちからによるものだ。猛烈な嵐で船団を丸ごと沈めようと言うのだろう」

 その言葉に――。

 勇者マークスⅢはげんとして叫んだ。

 「かまわん! このまま突っ込め!」

 ――まて、マークスⅢ。

 わしは思わず声をかけていた。

 本来、千年前の亡霊であるわしに船団の指揮に口出す権利などない。この時代の戦いはあくまでもこの時代の人間の手で戦われるべきなのだ。わしらはただの手助けにすぎぬ。しかし――。

 マークスⅢが若気わかげいたりであせっておるのなら年長者として警告しないわけにはいかない。

 ――亡道もうどうちからあなどってはならん。此度こたびの戦いはいままでとはちがう。こちらから亡道もうどう世界せかい干渉かんしょうするため、天命てんめい巫女みこさまの奏でる曲の影響力を弱めておる。その分、亡道もうどうつかさはその力を存分に震えるのじゃぞ。

 「わかっております」

 わしの言葉に――。

 マークスⅢは毅然きぜんとした顔付きで、広がりつづける雲を見据えながら答えた。

 「わたしは亡道もうどうつかさあなどっているのではありません。人類を信じているのです。人類がこの千年の間、亡道もうどう世界せかいとの戦いを終わらせるために蓄えてきた力を。その英知を!」

 ――………。

 「なにより、我々は亡道もうどう世界せかいとの戦いに決着をつけに行くのです。たかだか、この世界に入り込んだ亡道もうどうちから末端まったんを避けているようで、どうして、亡道もうどう世界せかいそのものを相手に出来ましょう」

 ――そうか。そこまで覚悟を決めておるのなら、わしの言うことはなにもない。もとより、この時代の戦いはこの時代の人間であるおぬしたちによって行われるべきもの。よけいな口出しをしてすまなかった。存分にやるがいい、勇者よ。

 「はい!」

 そして、マークスⅢの指揮の下、船団はまっすぐ突き進んだ。

 雲はあっという間に広がり、目につく限りの一面を覆い尽くした。激しい雨が海面に無数の穴を穿ち、吹き荒れる風が海水を荒れ狂う波とかえ、無数の雷がひっきりなしに巨大な轟音と閃光を鳴り響かせる。

 そのありさまがはっきりと目に見えるようになった。

 もし、こんな嵐が都市の上を通過しようもものなら、その都市は一夜にして壊滅するにちがいない。通り過ぎたあとには生き残っている人間などひとりもいないじゃろう。

 そう思わせるほどの激しい嵐じゃった。じゃが――。

 「力場りきばを展開しろ! 亡道もうどうちからを中和し、本来のなぎの状態を維持するのだ!」

 『もうひとつの輝き』の学士が叫んだ。かのたちの操る機械から力が放たれ船団を、空を遊天ゆうてん飛騎ひきの群れもあわせて包み込んだ。

 おおっ。

 すると、どうじゃろう。吹き荒れる雨も、風も、雷さえも、その力場りきばのなかに影響を及ぼすことは出来んかった。外では史上空前の大嵐が吹き荒れておるというのに、船団は穏やかななぎの海を進んでおった。

 『もうひとつの輝き』の学士が勝ち誇って叫んだ。ひっくり返りそうなほどに胸をそびやかし、高笑いした。

 「見たか! 全軍を覆い尽くせる力場りきば発生器はすでに完成済みだ! 我らが科学技術がある限り、亡道もうどうちからなど恐るるに足らん!」

 自らの業績に自信をもつのはいいが――。

 お伽噺とぎばなしに出てくる魔王のようなその態度はどうかと思うぞ、『もうひとつの輝き』の学士よ。

 「前方から船団が接近中!」

 索敵班が新たな報告をもたらした。

 荒れ狂う波の塊と化した海の向こうから何百という船がやってくる。一目見て亡道もうどう船団せんだんであることがわかった。さすがに同じ亡道もうどうの存在だけあって、この大嵐の影響をいささかも受けてはおらぬ。まっすぐにこちらに向かってくる。

 ――あやつらは嵐のなかでも平気で行動できる。じゃが、こちらは力場りきばの外に出れば嵐に翻弄ほんろうされる。五分の戦いにはならぬぞ。どう戦うのじゃ、マークスⅢよ?

 わしは胸の内で尋ねた。すると、騎士マークスの思念が届いた。

 ――船には船。ここは私に任せてもらおう。

 幽霊船となったマークスが前に進み出る。その横に並ぶは万の子を宿せし海の雌牛めうし

 ――わたくしも共に参ります、マークス。

 ――ああ、頼むぞ。我が妻サライサ。

 ――はい!

 騎士マークスと王女サライサ。

 二千年の時を超えてついに夫婦めおととなったふたりは速度をあげ、力場りきばの外に出て亡道もうどう船団せんだんを迎え撃つ。

 さすが、この時代でも屈指の力をもつふたり。大嵐をものともせずに突き進む。

 幽霊船が全砲門を開いて天命てんめいほうを打ち放つ。その砲撃を受けた亡道もうどう船団せんだんが次々と破壊される。

 海の雌牛めうしが海を渡って押し進み、その巨体にものを言わせてぶち当たり、次々と沈めていく。

 ――素晴らしい。その力。その勇気。わたしにはもったいないほどだ。

 ――なにをおっしゃいます、マークス。二千年の時を超えて戦いつづけるあなたこそ真の勇者。まこと、我が夫にふさわしいお方。

 ――サライサ……。愛している。

 ――愛しております、マークス。

 その会話に――。

 わしの隣にいたゼッヴォーカーの導師が顔面をチカチカさせながら呟いた。

 ――説明しよう。いまになってあのふたりの惚気のろけを聞かされるとは思わなかった。

 ――ゼッヴォーカーの導師ともあろうお方がそのような感情をもつとは。それこそ思いませんでしたな。

 わしはそう言ったが、導師の言葉には苦笑するしかなかった。

 それにしても、二千年の時を超えて、共に人の身を捨てた姿で結ばれるとは。

 これがふたりの運命、いや、天命てんめいであったのか。

 感慨かんがい無量むりょう

 まさに、そんな言葉がぴったりくる思いじゃった。

 荒れ狂う海の向こうより黒雲とは別のものがわき起こってきおった。

 巨大な頭部。

 尻尾のように先細りになり、丸まった胴。

 恐ろしく長く、たくましい腕で海面を押しつけるようにして立っておる。

 それは恐ろしく巨大な異形の胎児。

 ――《すさまじきもの》か。

 その姿に――。

 わしはとうの昔になくした心臓が締め付けられるのを感じた。

 わしと同じ思いをしていたのじゃろう。マークスⅢがそれまでとはちがう、ある種の悲壮感、そして、罪悪感を感じさせる声で言った。

 「……名状めいじょうしがたき《すさまじきもの》。いまだ生まれぬふたつの種族の反対派よ。お前たちの思いはわかる。われらを滅ぼし、自分たちの生まれる未来を取り戻そうするその気持ちは理解出来る。だが……お前たちの犠牲を承知の上で選んだ道! 譲る気はない!」

 マークスⅢは覚悟を決めた目で《すさまじきもの》を睨みおった。

 攻撃の命じようとした。

 それより早く、異形の胎児に覆い被さったものがいた。

 巨人の姿の霧。

 いまだ生まれぬふたつの種族。《すさまじきもの》の同類でありながら我らと共に我らの世界で生きることを選んでくれた賛成派たち。

 その賛成派が反対派である異形の胎児に組みついた。取っ組み合いをはじめた。見上げるばかりに巨大な霧の巨人と異形の胎児。その両者の争いはまさに、怪獣大決戦とも言うべきもの。壮観の一語じゃった。争いと言うよりも手荒な説得と言うべきじゃったかも知れぬ。

 亡道もうどうの妨害をはね除け、人類の船団は巨大な嵐のなかを進む。

 進みつづける。

 無限につづくかと思われた嵐の領域もついに終わるときがきた。

 突然、空を覆う黒雲が途切れ、青い空とまぶしい太陽が姿を見せた。

 おおっ、と、船団中から声が沸き起こった。

 その視線の先。そこにはひとつの島があった。二千年前、そして、千年前。過去二度に渡って亡道もうどう世界せかいとの戦いの舞台となった場所。そして、此度こたび、三度目の戦いの舞台となる場所。

 「マークスⅢ、亡道もうどうしまが見えてきました!」

 「ちがう!」

 索敵班の報告に――。

 勇者マークスⅢはげんとして叫んだ。

 「あれは亡道もうどうしまではない! 天詠てんよみのしまだ! 我々は今度こそ、この戦いを終わらせ、あの島を天詠てんよみのしまに戻すのだ!」

 マークスⅢはその覚悟のもと、指示を下した。

 「全軍上陸準備! 天詠てんよみのしまにて亡道もうどう世界せかいと決着をつける!」

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