一〇章 人類、救世の種族へ

 ――新たに犠牲となる巫女を見つけるか、犠牲なしでも滅びを防げる方法を見つけ出すかしない限りは。

 ゼッヴォーカーのその言葉に――。

 マークスは黙り込んだ。顔をうつむかせ、唇を噛みしめ、両の拳を握りしめ、じっとなにかを考え込んでいた。やがて、顔をあげた。ゼッヴォーカーに尋ねた。

 「偉大なるはじまりの種族の方よ。あなたの御名みなを教えていただきたい。あなたをなんとお呼びすればよいのか知りたいのです」

 「説明しよう、人間よ。私の名は――。ゼッヴォーカーの――だ」

 「はっ? なんですって?」

 マークスはかのらしくもない間の抜けた声と表情で聞き返した。ゼッヴォーカーの名乗った名前が全然、聞き取れなかったからだろう。僕にもなんと言ったのがまるでわからなかった。

 「説明しよう、人間よ。我らの言語は君たち人間のものとはまったくちがう。単なる発音や文型などではなく、その基本構造そのものがちがうのだ。ゆえに、我々の名は君たち人間には聞き取ることも、発音することも出来ない。『ゼッヴォーカー』という種族名も君たち人間の言語にあわせて無理やり翻訳したものだ。しかし、人間よ。我々にとって個々の名前は神聖なもの。個人名まで同じように翻訳し、伝えるわけには行かぬ」

 「では、あなたのことはなんとお呼びすればよろしいのです?」

 「説明しよう、人間よ。私をどう呼ぶかは君が決めるがいい。人間自身の言葉で私を名付けるが良い。その名で呼ばれる限りにおいては我々の個人名の神聖を汚すことにはならぬ」

 「では、『導師どうし』と。そうお呼びしてよろしいですか?」

 「説明しよう、人間よ。そう呼ぶがよい」

 「ありがとうございます。では、導師どうしよ。改めてお尋ねします。千年の後、この世界はまたも亡道もうどうつかさに襲われる。そのとき、この世界を守るためにはやはり、天命てんめい巫女みこさまと多くの兵士の犠牲が必要だと言うことですか?」

 「説明しよう、人間よ。まさに、その通りだ。犠牲を出すことなく混沌こんとん退しりぞける方法を見つけ出さぬ限りはな」

 「導師どうしよ。あなたたちは永きにわたり、亡道もうどうつかさを研究してこられたはずだ。そのあなたたちでさえ、犠牲を払うことなく亡道もうどうつかさ退しりぞける方法は見つけ出せていないのですか?」

 「説明しよう、人間よ。この狭間はざま世界せかいには、これまで世界に生まれたすべての種族が隠れ住んでいる。そのすべての種族が協力し、亡道もうどうつかさ混沌こんとんの解明に尽力してきた。まさに、君の言うとおり、永きにわたり、研究してきたのだ。しかし、残念ながら犠牲を払うことなく混沌こんとん退しりぞける方法は見つけ出せておらぬ」

 「では、千年後、亡道もうどうつかさが再び襲ってきたとき我々、人類はこの世界に避難することは出来ますか?」

 「説明しよう、人間よ。避難すること自体は可能だ。我々は君たち人間を受け入れる。しかし、その数はごく限られる。この狭間はざま世界せかいに作れる居住空間はごくわずかだ。この地に避難できる人間はせいぜい数百人」

 「数百人⁉ たった、それだけだと言うのですか?」

 「説明しよう、人間よ。まさに、その通りだ。それに、数の問題を別にしても君にはこの世界で生きることは受け入れられまい」

 「それは、どういう意味です?」

 「説明しよう、人間よ。この狭間はざま世界せかいは秩序と混沌こんとん、天命と亡道が混じりあった世界。この世界に生と死の区別はなく、時の移ろいもない。我々はこの世界に移ってより、死ぬことはなく、しかし、子を成すこともなく、時のとまったまま暮らしてきた。我々は滅びをまぬがれるかわりに未来を失ったのだ」

 「そんな……」

 「説明しよう、人間よ。我々が滅びを避けるためにはそうするしかなかった。混沌こんとんを拒否しながら、混沌こんとんを受け入れ、秩序と混沌こんとんの入り交じった状態、言わば、生死の狭間の亡霊となるしかなかったのだ。我々はその状態で存在をつづけてきた。いつか、この世界に混沌こんとん退しりぞける力をもつ種族を生み出す、そのような種族を育てあげる。その一心でだ」

 その言葉に――。

 僕は胸が熱くなるのを感じた。

 この『人』たちは僕たちを信じ、僕たちに期待をかけ、文字通り、僕たちの『導師どうし』となるためにこの世界で研究をつづけてきたんだ。例え、過去の存在であったとしても、僕たちと共に生きることのできない存在であったとしても――まちがいなく、同じ世界の仲間だった。

 マークスも同じ思いだった。いや、騎士として、僕以上に強くその思いを受け取っていたにちがいない。だからこそ、騎士の礼を取ってこう言いきったんだ。

 「わかりました。ならば、その役割、我々、人類が引き受けましょう」

 そうだ、その通りだ!

 いいぞ、マークス、僕たちがやり遂げるんだ!

 「天命てんめい巫女みこさまと何百万という兵士たち。その犠牲と献身、そして、あなた方のご助力によって我々、人類は過去のいかなる種族も得たことのない千年の猶予ゆうよを得た。その千年の時があれば、人類はきっと、犠牲を払うことなく混沌こんとん退しりぞける方法を見つけ出すことでしょう。そのために――」

 マークスはいったん、言葉を切った。

 ゼッヴォーカーの導師どうしをまっすぐに見つめ、言った。

 「私を亡道もうどう世界せかいに送り込んでいただきたい」

 「なんと?」

 はじめて――。

 ゼッヴォーカーの導師どうしが『説明しよう』という枕詞まくらことばを使うことなく、話した。それぐらい、マークスの言葉は導師どうしにとっても衝撃的なものだったんだ。

 今度はマークスが説明する番だった。

 「私は騎士です。秩序や混沌こんとんに対する理解においてはあなた方の足元にも及ばない。しかし、戦いに関しては私が本職。戦いにおいて最も大切なことは相手を知ること。相手を知り、おのれを知る。それでこそ、勝利は見えてきます。そのために、我々は相手のことを知らなければなりません。亡道もうどうつかさ混沌こんとんのことを知らなければならないのです。

 だからこそ、導師どうしよ。私に亡道もうどう世界せかいに行くすべを教えていただきたい。亡道もうどう世界せかいをこの目で見、この身で体験し、そのすべての知識と体験を後世に残す。そうすればきっと、人類はこの千年のうちに混沌こんとん退しりぞける方法を見つけ出すことでしょう。我々の世界を永遠にものとしてくれることでしょう。ですから、お願いです、導師どうしよ。私に亡道もうどう世界せかいに渡るすべをお教えください」

 マークスはそう言って深々と頭をさげた。

 ゼッヴォーカーの導師どうしは答えた。

 「……説明しよう、人間よ。亡道もうどう世界せかいを知るための行動は我々も重ねてきた。亡道もうどう世界せかいに渡ること自体は決して、難しいことではない。現に、いままで幾人いくにんも自ら志願して亡道もうどう世界せかいに渡ったものがいる。だが――」

 ゼッヴォーカーの導師どうしはそこでいったん、言葉を切った。

 目も鼻もない、ステンドグラスのような平面だけの顔。そこから、心の動きなんて感じ取れるはずもない。それでも――。

 このとき、僕は確かに、ゼッヴォーカーの導師どうし亡道もうどう世界せかいに渡った勇者たちをいたみ、尊敬そんけいし、たたえていることを感じていたんだ。

 「ひとりとして帰ってきたものはいない。なにがあったのか、それを知るすべは我々にはない。おそらくは、亡道もうどう世界せかいに呑み込まれ、世界の一部と化してしまったのだろう。亡道もうどう世界せかいのものがこの天命てんめい世界せかいに現れることで天命の影響を受け、秩序立てられた『個』と化すことを考えれば容易に推測できることだ。人間よ、騎士マークスよ。君が亡道もうどう世界せかいに渡ったところで同じ結果になるだけかも知れぬのだぞ?」

 「どのような結果になるかはやってみなければわかりません。それに、導師どうしよ。失礼ながら『世界の一部と化してしまった』というのはあくまでも推測に過ぎません。あるいは、いまも亡道もうどう世界せかいで存在しつづけているかも知れない。なにが起きたのか、正確なところがわからない以上、その可能性を捨て去ることもまたできません。ならば、実際に行って確かめてみるまでです。導師どうしよ。亡道もうどう世界せかいに渡ることが出来るならどうか、私を送り込んでください。この世界の存続のために」

 きっぱりと――。

 そう言い切るマークスの姿を見れば、誰であれ考え直させることなんて無理だと悟るだろう。それぐらい、マークスの決意は固いものだった。

 導師どうしは溜め息をついた――ように、感じた。

 「……人間よ。騎士マークスよ。もしかしたら、君ならば亡道もうどう世界せかいから帰還することができるかも知れない。その可能性は確かにある」

 「どういうことです?」

 「説明しよう、騎士マークス。君は何十年にもわたり、天命てんめい巫女みこの奏でる天命てんめいきょくをその身に浴びつづけてきた、そのために、君の身は亡道に対する強い対抗力をもっていると推測される。その証拠に、亡道もうどうつかさにつけられた傷はすでに治癒ちゆしている」

 マークスはそう言われて驚いたように自分の肩を見た。僕もすっかり忘れていた。でも、確かに、亡道もうどうつかさの爪によってつけられたマークスの傷は跡形もなく消えていた。

 「説明しよう、騎士マークス。混沌こんとんに侵された秩序が、自然とその秩序を取り戻す。そんなことは本来、起こりえないことだ。その起こりえないことが起きるのが、天命てんめい巫女みこの曲を浴びつづけたことの結果だ。しかし、亡道もうどう世界せかいおもむけば、そこで受ける影響は小さな傷の比ではない。その影響をまぬがれるとはとても思えぬ。例え、帰ってくることが出来たとしても、おそらく君は亡道の影響を受け、いまの君とはまったくちがう存在と成り果ていることだろう。それでも――行くと言うのか?」

 「もちろんです」

 「亡道の影響を受けると言うことは、君自身が亡道もうどうつかさになると言うこと。この世界に亡道を広め、変質させてしまう存在になると言うことだ。それを看過かんかすることは出来ぬ。君が亡道もうどうつかさになって帰ってくれば我々は君を浄化……存在そのものを抹殺しなければならぬ。それでも、かまわぬのか?」

 「亡道の影響を受けたこの身を始末してくださると言うのなら、それこそ安心して向かえるというもの。ぜひ、お願いいたします」

 そうして――。

 マークスは旅立った。亡道もうどう世界せかいへと。

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