九章 はじまりの種族

 光の門をくぐった先。

 そこは奇妙な場所だった。

 一見するとごく普通の草原に見える。足首まで届く緑の草が一面を覆い尽くし、緑の葉をつけた木がそこかしこに生えている。空には青空が広がり、雲が浮かび、太陽が照っている。でも――。

 なにかが奇妙だった。

 マークスは奇妙な違和感を感じていた。

 そのことに首をひねった。違和感の正体に気がついたとき、もっと首をひねった。

 違和感の正体。それは、遠くの風景。

 近い場所なら普通に見えるのに、遠くを見ると奇妙にぼやけて見える。なんと言うか、そう。シャボン玉のなかに入ってそこから外の世界を見ているような、そんな印象。

 気がついてみると、マークスの前方に奇妙な人間……と言っていいのかどうかわからないけど、とにかく何人かの『人間』が立っていた。

 カミキリムシみたいな二本の永い触覚。顔に当たる部分には目もなければ鼻もなく、耳もない。ただ、明滅を繰り返す教会のステンドグラスのような色鮮やかな面があるだけ。

 胴体と手足の作りは人間と似ていた。ただ、服は着ていないみたいだ。全身を包む黒光りする組織はきっと衣服ではなく、甲虫こうちゅうからと同じものだろう。背中には玉虫みたいに虹色にきらめくからを背負っている。

 それが、マークスの前に現れた奇妙な『人間』だった。

 「あなた方は? それに、ここは……?」

 マークスはそう尋ねていた。

 剣を抜かず、警戒もしなかったのはその『人間』からなんの敵意も感じなかったからだ。もし、敵意があるならマークスがそれを感じないわけがない。歳老いたとは言っても、鍛え抜かれた騎士の感覚は今なお健在なのだから。

 『人間』のステンドグラスみたいな顔面が明滅を繰り返し、空気が震えた。『喋った』らしい。

 その声ははっきりとこう聞こえた。

 「説明しよう、人間よ。ここは、君たちの言う天詠てんよみのしまだ」

 「天詠てんよみのしま⁉ ここが⁉ 本当にそうなのですか⁉」

 初対面の相手の言葉をこんなにも疑う。

 それは、騎士としてあるまじき失礼な振る舞い。普段のマークスなら決してこんなことはしない。そんな非礼を働いてしまうぐらい、マークスの驚きは大きなものだった。

 ――わかる。

 僕は思った。

 何十年もの間、一心に探し求めた目的地についにたどり着けたんだ。思わず礼儀を忘れてしまうぐらい興奮するのも当然だった。

 マークスの記憶と共鳴し、その生涯をずっと見続けてきた僕にはそのことが痛いほどよくわかった。

 『人間』はつづけた。

 「説明しよう、人間よ。この場所が君たちの言う天詠てんよみのしまであることはまちがいない」

 「それなら!」

 マークスは叫んだ。

 相手に食いつかんばかりの勢いで。

 「お願いです、どうか、天命てんめい巫女みこさまを人間に戻してあげてください。亡道もうどうつかさとの戦いは終わった。我々は勝った! もう天命てんめい巫女みこさまが曲を鳴らしつづける自動人形である必要はないのです! だから、私はずっとずっと、天詠てんよみのしまを探してきた。天詠てんよみのしまにならば巫女さまを人間に戻す方法があるかも知れない。そう聞いて……どうか、お願いです! こここそが天詠てんよみのしまだと言うのなら、巫女さまを人間に戻してください!」

 「説明しよう、人間よ。それはできぬ」

 「なぜです⁉」

 「説明しよう、人間よ。天命てんめい巫女みこその人が望んではおらぬからだ」

 「巫女さまが⁉ どういうことです?」

 「説明しよう、人間よ。君は先ほど『亡道もうどうつかさとの戦いは終わった』と言った。それはまちがっている。亡道もうどうつかさとの戦いは終わってなどいない」

 「なに⁉」

 「説明しよう、人間よ。亡道もうどうつかさとの戦いはこの世界の宿命。終わることなく繰り返される定め。これからも、この世界は亡道もうどうつかさによって襲われつづける」

 「そんな⁉ それでは、天命てんめい巫女みこさまの犠牲は、死んでいった多くの兵士たちの犠牲は、すべてが無駄だったと言うのですか⁉」

 「説明しよう、人間よ。そうではない。もし、天命てんめい巫女みこの犠牲がなく、君たち自身の奮闘ふんとうがなければ、この世界はすでに亡道もうどうつかさによって滅ぼされていた。亡道もうどうつかさからこの世界を守り抜いたのは君たちがはじめてだ。それはまさに偉業。それは賞賛に値する行為だ」

 「はじめて? どういう意味です?」

 「説明しよう、人間よ。私はすでに言った。『終わることなく繰り返される定め』と。この世界は千年ごとに亡道もうどうつかさに襲われ、そのたびに滅びと再生を繰り返してきた」

 「なっ……⁉」

 「説明しよう、人間よ。この世界はすでに幾度となく滅びてきたのだ。滅びの時を迎えるつど、その時代の種族は亡道もうどうつかさに立ち向かい、生き延びようとした。しかし、ことごとく亡道もうどうつかさの前に敗れ、滅びてきた。そして、新たな世界が生まれてきた。その歴史のなかではじめて亡道もうどうつかさ退しりぞけ、生き延びた種族。それが君たち、人類なのだ」

 「そんな……どうして、そんなことが。亡道もうどうつかさとはいったい、何者なのです⁉」

 「説明しよう、人間よ。それは旧いふるい物語。神代の時代の話だ。

 太古、この世界はひとつであった。混沌こんとんだけが支配していた。そこでは、なにものも分かたれてはいなかった。神は人であり、人は獣であり、獣は神であった。すべての存在は他の存在であり、ある存在から別の存在へと流転るてんしていた。そのなかからあるとき、一柱の神が飛び出した」

 「神?」

 「説明しよう、人間よ。その神こそ君たち人間の言う天命てんめいかみ天命てんめいかみ混沌こんとんを分かち、世界に秩序を与えた。その世界ではもはや、ある存在が別の存在になることはなかった。生は生であり、死は死であり、過去は過去、未来は未来。神は神となり、人は人となり、獣は獣となった。

 ふる混沌こんとんの神はその秩序立てられた世界を嫌い、世界の外へと飛び出した。そして、世界はふたつに分かたれた。秩序が支配する天命てんめい世界せかいと、混沌こんとんが覆い尽くす亡道もうどう世界せかいとに。

 しかし、ふたつの世界は完全に分かたれたわけではない。亡道もうどう世界せかい天命てんめい世界せかいを覆うようにして存在している。それが、星々の世界」

 「星々の世界⁉ 星々の世界が我々の言う異界だと言うのですか?」

 「説明しよう、人間よ。その通りだ。星々の世界こそは君たちの言う異界であり、亡道もうどう世界せかい星詠ほしよみとは本来、星となった混沌こんとんの神々を観察するために生まれた。夜空に輝く星の一つひとつがふる混沌こんとんの神であり、亡道もうどうつかさなのだ」

 「星々の一つひとつが亡道もうどうつかさ……亡道もうどうつかさとはひとりではないのですか⁉」

 「説明しよう、人間よ。その表現は適当ではない。亡道もうどう世界せかい混沌こんとんの世界。なにものも分かたれてはおらず、一にして全、全にして一の世界。亡道もうどうつかさはひとりにして全体であり、全体にしてひとりなのだ」

 「どういうことです⁉ わからない、まるでわからない! わかるように説明してください!」

 マークスはたまりかねて叫んだ。

 僕もそう叫びたいところだった。

 「説明しよう、人間よ。混沌こんとんと言えど、秩序に支配された天命てんめい世界せかいに現れるときはその影響を受ける。天命てんめい世界せかいに侵入した混沌こんとんの一部はその影響を受け、独立した一個の存在となる。それが、亡道もうどうつかさ

 そう説明はされたけどやっぱり、よくわからない。

 多分、簡単に説明できるようなことではないし、理解出来ることでもないのだろう。

 「説明しよう、人間よ。ゆえに、亡道もうどうつかさに死はない。滅びもない。亡道もうどうつかさとは亡道もうどう世界せかいそのものであり、混沌こんとんそのもの。まさに、不滅の存在なのだ」

 「不滅の存在……。では、先ほど会った亡道もうどうつかさは……」

 「説明しよう、人間よ。その通りだ。先ほど、君の出会った亡道もうどうつかさは、この世界へと侵入した混沌こんとんのごく一部。かつて、君が倒した亡道もうどうつかさと同じものであり、ちがうものなのだ」

 そう言われてもやっぱり、よくわからない。

 マークスも同じだった。ただ、もう『そう言うもの』だと納得するしかない。そう思い、黙って話を聞くことにした。

 「説明しよう、人間よ。世界はふたつに分かたれた。しかし、いまだ、つながりはもっている。ふたつの世界は一定の周期で離脱と接近を繰り返す。その周期はちょうど千年。千年ごとに亡道もうどう世界せかい天命てんめい世界せかいへと接近し、重なりあう。そのとき、混沌こんとんが侵入し、世界のすべてをかえてしまう」

 「世界のすべてをかえる……。亡道もうどうつかさが現れたとき、世界のすべてがかわってしまった。あの現象のことですか?」

 「説明しよう、人間よ。その通りだ。混沌こんとんはなにも分かたれておらぬ状態であり、混沌こんとんに侵された秩序はすべてが混じりあい、変質してしまう。ふたつの世界は千年に一度ひとつとなり、そのたびに滅亡し、再生する。それを幾度となく繰り返してきた。

 そして、我々はこの世界に最初に生まれた種族。はじまりの種族ゼッヴォーカー」

 「ゼッヴォーカー……」

 「説明しよう、人間よ。我々は混沌こんとんの動向を監視するために星詠ほしよみのわざを生み出した。だが、混沌こんとんの接近に際してはなにもできなかった。滅びは避けられぬことだった。だから、我々は最後の手段としてこの世界を作りあげた。滅びる世界から逃れ、生き延びるための場所を。それを人間は『天詠てんよみのしま』と呼んだ。我々は世界が滅びを迎えるつど、その時代じだいの種族をこの世界に保護してきた」

 「保護してきた? つまり、あなた方は遙かな太古に生まれ、それ以来、多くの種族を見守り、この世界にかくまってきたと。そう言うことですか?」

 「説明しよう、人間よ。その通りだ」

 「ならば、あなたたちはすべてを知っていた。この世界が亡道もうどうつかさに侵され、変質してしまうことも、戦いによって多大な犠牲が出ることも……」

 「説明しよう、人間よ。まさに、その通りだ」

 「ならば! なぜ、我々を助けてくれなかったのです⁉ この世界にかくまうぐらいならなぜ、その前に手助けしてくれないのです⁉ せめて、事前に警告なりしてくれていれば、あんなにも多くの犠牲を出さずにすんだかも知れないのに!」

 「説明しよう、人間よ。我々が君たちの世界に干渉しないのは、出来ないからだ」

 「出来ない?」

 「説明しよう、人間よ。滅び、再生するたびに世界はまったくかわってしまう。大気の組成も、大地の質も、植生も、なにもかもがかわってしまう。ゆえに、前の世界の住人は新しい世界で生きることはできぬ。我々が君たちの世界に行くことは出来ぬのだ」

 「そ、そうだったのですか……。これは、失礼しました。しかし、それならばなぜ、私とあなたはいま、こうして出会えているのですか?」

 マークスは尋ねた。

 それは僕も思った。『ゼッヴォーカー』と名乗るこの種族が僕たちの世界では生きられないというなら、マークスと同じ場所で会うことなんてできないはずだ。

 「説明しよう、人間よ。いま、この場に、私と君が同時に存在できるのは、この世界が亡道もうどうちからによって作られた特異な空間だからだ」

 「亡道もうどうちから⁉ あなた方は亡道もうどうちからを使うのですか?」

 「説明しよう、人間よ。その通りだ。しかし、驚くことはない。君たちもまた普通に亡道もうどうちからを使っているのだから」

 「我々が亡道もうどうちからを⁉」

 「説明しよう、人間よ。その通りだ。君たちの使う天命てんめいことわり。それこそは亡道もうどうちからそのもの。亡道もうどうちからをこの世界に引き込むことで秩序に干渉し、秩序そのものを変更するための技。それが天命てんめいことわりなのだ」

 「そんな……我々が天敵である亡道もうどうつかさと同じ力を使っていただなんて……」

 「説明しよう、人間よ。我々が君たちを助けていないというのはあやまりだ。我々は君たちが自分の世界を守れるよう協力した。天命てんめい巫女みこにそのための力を与えたのは我々だ」

 「あなた方が⁉」

 「説明しよう、人間よ。いまの言葉は表現が不正確だった。正確には天命てんめい巫女みこをこの狭間はざま世界せかいに招き、世界を守るために必要な技を共に開発したと言うことだ。

 我々とて、この狭間はざま世界せかいに引きこもり、昼寝して過ごしていたわけではない。混沌こんとん世界せかいから天命てんめい世界せかいを守れるよう、保護してきたあらゆる種族と共に研究に励んできた。そのすべての成果を天命てんめい巫女みこに伝え、天命てんめい巫女みこと共に新たな技を開発した。それこそが、天命てんめいきょくであり、天命てんめいきょくを奏でつづけることができるよう自らをハープをかき鳴らす自動人形にかえるための技なのだ。

 そして、我々がこの城を作りあげたのは混沌こんとんを誘導する場所を作り、混沌こんとんの侵入を一カ所にしぼるため。あの戦いのときは、我々もこの狭間はざま世界せかいから力を送り、君たちを助けていたのだ」

 「そ、そうだったのですか……。そうとは知らずご無礼なことを申しました。お詫び申しあげます。そして、あなた方のご助力に心より感謝いたします」

 マークスは騎士らしく、堅苦しいぐらいの態度でそうお礼を言った。

 「しかし、それなら、なおさら、あなた方には巫女さまを人間に戻す方法があるのでは……」

 「説明しよう、人間よ。私はすでにこの世界は千年ごとに滅びと再生を繰り返してきたと言った。此度こたびの滅亡は天命てんめい巫女みこの奏でる曲と、そなたたち自身の奮闘ふんとうによって阻まれた。だが、千年、二千年、滅びは常にやってくる。

 天命てんめい巫女みこは未来永劫、この世界を守れるよう、自らをハープを奏でつづける自動人形にかえたのだ。その思いがある限り、天命てんめい巫女みこは決して人間には戻らぬ」

 「そんな……それでは、巫女さまは永遠に人間には戻れないのですか?」

 「説明しよう、人間よ。まさに、その通りだ。新たに犠牲となる巫女を見つけるか、犠牲なしでも滅びを防げる方法を見つけ出すかしない限りは」

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