六章 巫女さまただおひとりの騎士である!

 「やれやれ。今日もまた同じ曲を弾きつづけているな、あの『壊れたオルゴール』は」

 「ああ。まったく、嫌になるぜ。毎日まいにち一時の休む間もなく同じ曲ばかり聞かされるんだぜ。たまったもんじゃねえよ」

 「まったくよね。こんなことじゃ、あの曲が頭のなかにこびりついておかしくなっちゃうわ」

 「亡道もうどうつかさ退治では役に立ったそうだが、いつまで英雄気取りでいやがるってんだ。もう亡道もうどうつかさなんていないし、残っていた亡道もうどうたねもあらかた片付いたんだろ? もう、こんな曲を奏でつづける必要なんてないだろうが」

 「まったくよね。王さまも『壊れたオルゴール』なんてさっさと片付けてほしいもんだわ」

 王都のいたるところでそんな会話が交わされるようになっていた。

 『壊れたオルゴール』

 人々はいつか、王宮の最上階に安置され、天命てんめいきょくを奏でつづける天命てんめい巫女みこさまのことをそう呼ぶようになっていた。この数年の間に天命てんめい巫女みこのことをすっかり邪魔者扱いするようになっていたんだ。

 気持ちはわからないでもない。なにしろ、毎日まいにち途切れることなく同じ曲ばかり聞かされるんだ。うんざりもするだろう。頭にもくるだろう。耐えられない思いもするだろう。でも、やっぱり――。

 恩知らずだと思う。

 人類が亡道もうどうつかさを倒し、この世界を守りきることができたのは、天命てんめい巫女みこさまが自分自身を犠牲にして天命てんめいきょくを奏でつづけてくれたからなんだ。それなのに、戦いが終わったら邪魔者扱いだなんて……。

 でも、もう、人々はそんなことは忘れていた。天命てんめい巫女みこさまに対する恩を忘れずにいるのは、それこそマークスただひとりになってしまっていたんだ。

 そのマークスは今日も激務の合間を縫って、天命てんめい巫女みこさまに会いに来ていた。

 「……天命てんめい巫女みこさま」

 マークスは天命てんめいきょくを奏でつづける自動人形となった巫女さまに話しかけた。いつも通り、淡々とした口調で。でも、その奥には深い激情を込めて。

 「あなたがこの世界を亡道もうどうつかさより守り抜いてから数年。そのたった数年の間に人間たちはあなたへの恩を忘れてしまった。情けない。本当に情けないことです」

 マークスは呟く。

 皮肉なことだけど、人々から天命てんめい巫女みこさまに対する恩を忘れさせたのはマークス本人だった。

 亡道もうどうつかさなき後も各地に残っていた亡道もうどうたね。その亡道もうどうたねによる被害が報告されていた頃は人々も天命てんめい巫女みこさまに感謝していた。

 『天命てんめい巫女みこさまが天命てんめいきょくを奏でつづけていてくださる。だからこそ、亡道もうどうたねに侵されずにすむ。ありがたいことだ』

 そう言って、日に一度は王宮の最上階に向かい、巫女さまを崇めていた。でも――。

 この数年で事情はすっかりかわった。騎士団の活躍によって残されていた亡道もうどうたねたちもあらかた始末された。ここ最近は亡道もうどうたねによる被害はほとんど報告されていない。亡道もうどうつかさによって汚染され、異界と化した地域の浄化と再生もわずかずつだけど順調に進んでいる。

 それはすべてマークスの指揮によるもの。マークスが騎士団を率いて亡道もうどうたね討伐に向かい、調査団を派遣し、復旧のための人手をそろえ、浄化と再生の手順を進めてきたからだ。

 そのなかで、人々はこう言うようになった。

 『我々を守ってくれているのは勇者マークスだ。毎日まいにち飽きもせずに同じ曲ばかり奏でている『壊れたオルゴール』などに用はない』

 そう。

 マークスが世界の復旧に努めればつとめるほど、人々は天命てんめい巫女みこさまのことを忘れていったんだ。

 その分、マークスに対する声望はどんどんあがっていった。マークスは歴史上の、いや、神話上の神々と比べてもずっと大きな賞賛を受ける人類史上最大の英雄になっていた。

 「ちがう! ちがう、ちがう、ちがう!」

 マークスは両拳を握りしめて叫ぶ。

 「おれは英雄なんかじゃない、ただの人殺しだ! 『よくも夫を殺したな』、『息子を返せ!』、そう罵倒ばとうされるべき人間なんだ! 英雄と呼ばれ、感謝され、あがめられるべきはあなたなんだ、あなたでなければいけないんだ!」

 「マークスさま」

 静かな、だけど、その裏に深い怒りと苛立たしさを込めた声がした。

 マークスの婚約者、第一王女サライサ姫だった。

 「相変わらず、巫女さまもうでですか」

 ――未練がましい。

 お姫さまの目がはっきりとそう言っていた。

 「……殿下」

 「わずかでも時間が空くとすぐここにおいでになられるのね。いったい、いつまでこの自動人形にこだわるおつもりなのです?」

 「………」

 「いい加減、過去よりも未来のことに目をお向けなさいませ。あなたはいったい、いつになったら、わたしを抱くのです?」

 「なんとはしたない。一国の姫さまともあろう方が婚前交渉を望むなど……」

 「ならば、さっさと結婚すればよいでしょう。父上も、母上も、それになにより民衆たちがそう望んでいるのです。あなたが一刻も早くわたしと結婚し、玉座を継いでくださることを。あなたが亡道もうどうつかさを倒して帰還したあのときからずっと。それなのに、あなたときたら……」

 「……世界にはいまだ多くの亡道もうどうたねが残り、汚染された地域は広大です。まずは、世界の復旧に全力を注がねばなりません。私事を優先するわけには……」

 はああ、と、お姫さまは溜め息をついた。はっきりと――。

 マークスの態度をさげすむ溜め息だった。

 「あなたはいつもそう。そうやって、ご自分の責任から逃げつづける。世界の復旧が大切だからこそ、あなたはわたしを抱かなくてはならないのでしょう。亡道もうどうつかさによって汚染され、すっかり人の減ったこの世界。その世界を浄化し、再生するためにはまだまだ多くの人手がいります。そのためにわたしは、ひとりでも多くの子を産み、育て、人の数を増やさなくてはならないのです。それが、女としてのわたしの責任。あなたがわたしをはらませてくれなければ、わたしは自分の責任を果たすことができないのですよ?」

 「……あなたはまだお若い。子を産むことをあせる必要はありません」

 「また、くだらないごまかしを。女が子を産める時間には限りがあります。ひとりでも多くの子を産むために、早くからはらむ必要があるのではありませんか」

 「………」

 お姫さまの言葉に――。

 マークスは押し黙った。拳を握りしめ、うつむき、じっと床を見つめていた。つまり、マークスはお姫さまの言うことに反論することが出来なかったんだ。

 はああ、と、お姫さまはもう一度、溜め息をついた。

 「あなたは結局、戦場以外ではなんの役にも立たないのですか? そうではないと言うのなら、男としての矜持きょうじがおありだと言うなら今宵こよい、わたしの寝所へと来てください。その自動人形のことは忘れて、ね」

 お姫さまはそう言ってその場を去った。あとには――。

 うつむいたままのマークスと、天命てんめいきょくを奏でつづける巫女さまだけが残された。


 「どういうことなのです、陛下⁉」

 マークスは玉座の間にいる国王に詰め寄った。

 国王はあからさまに怯えた姿を見せた。王さまとしてはあまりに威厳のない姿だけど……これは、仕方ないと思う。だって、このときのマークスの形相ときたらまさに『鬼』と呼ぶにふさわしいものだったから。

 王さまの護衛である衛士たちも、王さまを守るためにマークスの前に立ちはだかるべきかどうか迷っている様子で、槍を構えたままウロウロしていた。なにしろ、相手は第一王女の婚約者で次期国王。そんな相手の前に立ちはだかり槍を向けるなんて、たしかにはばかられるだろう。それでなくても相手は王国最高の騎士。しかも、怒り心頭。下手に立ちふさがったりして剣を向けられたりしたら……。

 ――なんで、よりによって自分が当番のときにこんな事件が起こるんだ!

 そう運命の理不尽さを呪っているのがはっきりわかる顔になっていた。

 マークスはそんな衛兵たちのことなんてお構いなしに王さまに詰め寄った。

 「天命てんめい巫女みこさまを宝物庫の奥深くに押し込めようとは! 巫女さまは物ではありません、人間なのですよ!」

 「し、しかたないのだ!」

 王さまは叫んだ。

 ほとんど自棄やけになっての叫びだけど、とにかく言葉を返しただけでも立派だと思う。

 そう。このときのマークスの様子を見れば誰だってそう思うはずだ。それぐらい、このときのマークスは怖かった。王さまは半ば逃げ出そうとしながら――このときのマークスを相手に半ばは踏みとどまっているなんてすごい。本当の勇気の持ち主なんだと思う――説明した。

 「王都中の民から陳情が寄せられているのだ。『毎日まいにち一時の休みもなく同じ曲ばかり聞かされるのはもう耐えられない! なんとかしてくれ。出来ないならこっちでやるぞ!』とな。これ以上、巫女どのをあのままにしておけば暴動が起きてしまう。曲が聞こえないようにするしかないし、そのためには宝物庫の奥深くにしまうしかないのだ」

 「しまうなどと! 巫女さまは物では……」

 「見苦しい」

 氷みたいな声と共に現れたのは――。

 マークスの婚約者、第一王女サライサ姫だった。

 「……殿下」

 「そんなに巫女さまのことが大切なら、さっさとわたしと結婚して王となれば良いでしょう。そうすれば国王特権で巫女さまを演説用のテラスに飾り、人々に感謝の念を捧げるよう命令することも出来ますよ。どうです? あなたにそれだけのことをする度胸がおありですか?」

 「くっ……」

 マークスは唇を噛みしめ、そして――。

 その場を立ち去った。

 そんなマークスにサライサ姫はさげすみの視線を向けた。

 「父上。早く、あの自動人形を片付けてしまってください」

 「あ、ああ……」

 娘に言われ――。

 国王陛下は巫女さまを宝物庫に移動させるよう命令を下した。


 宝物庫の一番奥。

 王国伝来の数々の宝と共にしまい込まれた天命てんめい巫女みこ

 その巫女さまの前にマークスはひとり、立っていた。

 「……天命てんめい巫女みこよ」

 その呼びかけにもかかわらず――。

 天命てんめい巫女みこさまは相変わらず天命てんめいきょくを奏でつづけている。

 「どうか、人々の忘恩をお許しください。かのたちは……」

 マークスはそこまで言って口を閉ざした。その両目にはっきりと怒りの色が浮かんだ。

 「お許しください、だと? そう。確かに巫女さまは許してくださるかも知れない。だが、マークスよ。お前はどうだ? お前はこの忘恩の行いを許すことができるのか? いや、許したいのか? 許していいと思っているのか? 否! 断じて否! このような忘恩の行い、許してたまるものか!」

 マークスはそう叫ぶと王国の紋章を引きちぎり、床に投げ捨てた。

 「亡道もうどうたねは討伐した。汚染された地域の浄化も進めてきた。おれ抜きでも活動できるよう、後進も育成した。人類への責任はすでに果たした! もうこれ以上、忘恩の徒にくみする理由はない! 騎士マークス、これよりは天命てんめい巫女みこさまただおひとりの騎士となる!」


 「叛逆はんぎゃくだ、騎士マークスが叛逆はんぎゃくを起こしたぞ!」

 「『壊れたオルゴール』を持ち出して逃げる気だ、とめろ、騎士マークスをとめろ!」

 港は大騒ぎだった。

 そこには、マークスがいた。右手に血塗られた剣をもち、左肩にハープをかき鳴らしつづける天命てんめい巫女みこさまを担いだ姿で。

 あたりにはすでに何人もの騎士たちが倒れている。

 マークスは王国最高の、いや、人類最強の騎士。だからこそ、亡道もうどうつかさ討伐に際して総指揮官に選ばれた。天命てんめい巫女みこさまを肩に担いだ姿であっても、その剣技は他の騎士たちを圧倒した。

 「さがれ! 騎士マークスはすでに、天命てんめい巫女みこさまただおひとりの騎士である! 道を阻むものはすべて斬り捨てる!」

 その宣言に――。

 マークスを取り囲む騎士たちは明らかに怯んだ。

 マークスはそのなかを歩んでいく。堂々と、力強く。まるで、凱旋がいせんする将軍のように。

 そして、居並ぶ騎士たちに見送られながら天命てんめい巫女みこと共に一隻の船に乗り込み、旅立った。

 天詠てんよみのしまを目指して。

 天命てんめい巫女みこさまを人間に戻し、恩を返すそのために。そして――。

 港には美しい顔を怒りの形相にゆがめた『もと』婚約者、第一王女サライサ姫が立っていた。

 「……マークス、マークス」

 手のひらに爪が食い込み、皮膚が破けて血が噴き出した。それほどに強く拳を握りしめながらサライサ姫はその名を呼びつつける。

 「マークス。わたしはあなたを許さない。あなたのこの裏切りを決して許さない。逃がしはしない。あなたがどこに行こうと……必ずや、裏切りの報いは受けさせる」

  

   第一話完

   5月22日19:00より、第二話開始

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