五章 人類への責任か、巫女への恩義か
マークスは忙しい日々を送っていた。
そして、なによりも、
そうして浄化したあとに草木を植え、新しい鳥や動物たちをはなしていく。
人の手で戻していくにはあまりにも広すぎる世界。それでも――。
人々は文句ひとつ言わずに黙々とその作業をやりつづけた。
その姿に僕は涙をこらえきれなかった。
この時代の人たちは
僕たち子孫のために。
顔も知らない遠いとおい未来の世代のために。
僕たちがいま、豊かな自然のなかで生きていられるのもこの人たちのおかげ。もし、この人たちがあきらめてしまっていれば、僕たちもまた異界の跡が残る変質させられた世界で生きていかなくてはならないところだった。この時代の人たちがあきらめることなく世界の復旧に取り組んでくれたからこそ、僕たちは
――ありがとうございます。
僕は思わず頭をさげていた。
――あなたたちが守り、元に戻してくれたこの世界、今度は僕たちが守っていきます。
僕はそう誓わずにはいられなかった。
千年前の、苦難に立ち向かったすべての人々に対して。
そして、各地に先遣隊を派遣して調査を行い、復旧のための人員をそろえ、護衛のための騎士を選び、復旧隊を目的地に運ぶための船や馬車の用意をし、必要となる水や食糧、復旧のために必要な道具その他を用意する……それらの指示を一手に担っていたのが、正式に騎士団長となったマークスだった。
それは、単なる一王国の騎士団長なんかじゃない。
全人類の騎士団長だった。
そこで、残されたすべての騎士・兵士たちをひとつの組織にまとめ、全人類共通の騎士団として編成した。
それが、人類騎士団。
その人類騎士団の団長となるのはもちろん、
実のところこの時代、世界最大最強の権力者はマークスその人だった。国王がどんなに権力をもっていると言ってもしょせん、自分の国のなかだけのこと。他の国にまでああしろ、こうしろと指図できるわけじゃない。
でも、マークスならそれができた。人類のもつあらゆる軍事力をその手に握り、復旧のための全権を委任された人類騎士団の団長になら。
マークスはその気になりさえすればすべての国の国王に協力を要請することが出来た。『要請』と言っても実際は『命令』そのものだ。だって、すべての軍事力を握るマークスに逆らえる国王なんているわけがないんだから。
このときのマークスは事実上、世界の支配者だった。
その気になりさえすればいつでも外面を実態に合わせることだって出来た。世界中の王の首を
そのことを怖れ、マークスを警戒する人たちもいた。
でも、同時に『
マークスの態度次第では全人類が真っ二つにわかれて大戦争に突入する……そんな危険さえあった。でも――。
マークスは決して自分の力に
その態度が『地位に
そして、復旧のための比べるもののない巨大な業績。
それらが加わってマークスは世界で一番の『評価され、賛辞される人間』になっていた。いつだって、自分を褒め称え、勇者と呼び、英雄と崇める人たちに包まれていたんだ。
でも、マークスを褒め称える人たちの誰も知らなかった。自分たちが賛辞の声を送るつど、マークスがどれだけ苦しんでいたかを。
――ちがう、ちがう、ちがう! おれは勇者なんかじゃない。英雄なんかじゃないんだ! おれはただの人殺しだ。何百万という兵士たちを
マークスの記憶と共鳴している僕には、マークスのその思いが痛いほどにわかった。まるで、自分自身の思いであるように胸が苦しい。
何百万という兵士に『死ね!』と命令しておきながら、自分は生き残った。
そのことはマークスの心にとてつもなく重い罪悪感となってのしかかっていた。
マークスを褒め称える人たちの誰ひとりとして、そのことに気がつきはしなかったんだ。
マークスのその思いがなによりも強くなるのは王都に帰ったとき。
マークスがその剣で滅ぼした。それなのに――。
来る日も来る日もハープをかき鳴らし、
その曲を聴くたびにマークスの心は罪悪感に押しつぶされた。
その思いとてつもなく激しいもので、僕ならとても耐えきれずに自殺していただろう。そう思えるほどのものだった。
でも、マークスは踏みとどまった。その罪悪感に必死に耐えていた。マークスにその力を与えたもの。それもまた
マークスは激務の合間を縫ってついに国王に詰め寄った。
「陛下! いったいいつまで、
その
国王は思いきり顔をしかめた。
「人聞きの悪いことを言うでない。誰も
「あのように置物のごとく放置しておいてですか⁉
「それはわかっておる。しかし……」
国王は苦り切った表情で口ごもった。
「『しかし』なんだと言うのです⁉」
マークスは一歩、詰め寄った。国王が怯えたように身じろぎした。国王の御前と言うことでさすがに武器はもっていない。それでも、マークスが
「そ、そのことに関してはだな。
「
マークスは聞き返した。
そのとき、わざわざ大きな足音を立てて宰相がやってきた。
「陛下。カルヴァラ王国の大使閣下がご到着なさいました」
国王は露骨に『助かった!』という顔をした。
「お、おお、そうか、そうであったな。今日はカルヴァラ王国の大使との面談があったのだったな。と言うわけじゃ、マークス。余はこれで失礼する。
国王はそう言うとそそくさとその場をあとにした。まさに『逃げ出す』という表現がぴったりの振る舞いだった。
マークスは誰にも聞こえないように小さく舌打ちした。マークスほど徳の篤い高潔な人物でなかったら床に唾ぐらい吐いていただろう。
マークスはその足で
そこには国中から
「なぜ、
「う、うむ、それはだな……」
「なんです⁉」
「……出来ないのだ」
「はっ? なんですって?」
「だから、出来ないのだ。
「どういうことです⁉」
「痛い! つかまんでくれ。おぬしの力で握られたら、わしの腕なんぞ骨まで粉々になってしまうぞ」
「……し、失礼しました。つい、興奮してしまって」
マークスは
「しかし、どういうことなのです?
「言ったとおりの意味じゃよ。
いや、もちろん、わしらとて
「そんな……それでは、
「う、うむ、実はな。ひとつだけ、可能性がないこともないのじゃが……」
「それはなんです⁉」
マークスは再び
「ヒッ」と、小さな悲鳴をあげて
マークスはもう一度、頭をさげて、自分の非礼を詫びた。
「失礼しました。あなたに危害を加えるつもりはないのです。ですが、どうかその『可能性』について教えていただきたい」
「うむ……。実はの。この世界には
「
「いや、あくまで『あると言われている』だけじゃぞ。そんな島が実際にあるかどうかは知らん。なにしろ、わしの知る限り実際にその島にたどり着いたものは誰もおらんのじゃからな。しかし、その島には神代の時代から伝えられた
「
その名前はマークスの頭のなかにくっきりと刻み込まれた。
――
相変わらずの殺人的な業務をこなしながら、マークスの頭のなかからその思いがはなれることはなかった。仕事からはなれるとすぐにひとりになり、ふさぎ込むようになった。
そんなマークスの態度に、婚約者として共に業務に励んでいる第一王女サライサが苛立った声をあげた。
「マークスさま。最近はなにやらふさぎ込んでいるご様子。なにか心配事でもおありですか?」
「サライサ殿下。いえ、心配事というわけでは……」
「ごまかさないで! 聞いております。
「それは……」
「わたしも
「殿下。我々、人類はすべからく
「マークスさま! たしかに、我々は
「それはわかっております。しかし……」
「わかっておいでなら、まずはその責任を
「それはそうかも知れません。しかし、殿下……」
「やめて! 敬語も敬称もつけないで! わたしはあなたの妻となる身なのですよ。妻として扱ってください!」
婚約者であるお姫さまの言葉に――。
マークスはギュッと拳を握りしめた。
――殿下の
それとも、世界中の人々に対する責任を果たすためにこの場にとどまり、復旧の指揮をつづけるべきなのか。
マークスにとっても答えの出ない問題だった。
マークスは来る日も来る日も悩みつづけた。
そして、数年の時がたった。
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