二章 最初の最終決戦

 僕は宙に浮いていた。

 雲ひとつない真っ青な空に。

 視線のはるか下には空よりもなお碧い海。

 そして、その海を埋め尽くすかのような何万という大きな船の群れ。

 ――すごい。

 こんなものすごい数の船団を見たのははじめてだ。あまりにも壮観なその光景に、僕は思わず声をあげていた。

 ――これは、千年前の戦いの光景なんだ。

 僕はそう直感した。

 ――そう。これは千年前に行われた亡道もうどうつかさと人類の最終決戦。まさに、その直前のことなんだ。

 僕にはそのことがわかっていた。

 理屈じゃない。直感でそうわかっていたんだ。僕はマークスの残した文字にふれた。それによってマークスの記憶が僕のなかに流れ込んできた。僕はいま、マークスの記憶から再生された千年前の戦いを見ているんだ。

 ――亡道もうどうつかさと人類の戦いが見られる! 勇者マークスが亡道もうどうつかさを倒し、人類を救った戦いが……!

 まさか、千年も前の出来事をこの目で見ることができるなんて……。

 僕はそのことにたまらなくワクワクした。

 何万という船団の一番先。

 その大船団を率いるひときわ大きくて、他のどの船よりも立派な装飾の施された船。その船の舳先へさきに立ってハープをかき鳴らしているひとりの女の人がいた。

 ――あの女の人だ。

 そう。その女の人はまちがいなく、マークスの幽霊船の操舵室でハープを奏でつづけている、あの女の人だった。

 ――でも、おかしいな。

 僕は空に浮かんだまま首をひねった。

 その女の人は人間のようには見えなかった。ハープを弾きつづける絡繰からくり仕掛けの人形に見えた。

 ――人の姿のオルゴール。

 僕はなぜか、そんなことを思った。

 その女性の前にひとりの騎士が立っていた。光り輝く甲冑を身にまとい、居並ぶ騎士たちの前に立つその姿。

 ――格好良い。

 僕は堂々たるその姿に心から痺れた。

 ――僕はこんなおとなになりたいんだ。

 震える心でそう思った。

 その騎士こそが勇者マークスなのだと僕にははっきりとわかった。

 勇者マークスは居並ぶ騎士たちに向かって叫んだ。この場にいる騎士たちだけじゃない。何万という船団に乗り込んでいる人々すべてに届けとばかりに、ありったけの声を張りあげていた。

 「聞け! 亡道もうどうつかさがこの世界に現れてより三年! 我ら人類は為す術もなく亡道もうどうつかさの前に敗退を重ね、すでに世界の三分の二は亡道もうどうつかさの手に落ちた!

 亡道もうどうつかさは強かった。

 亡道もうどうつかさは不死身であり、無限の亡力もうりょくをもっていた。いかなる手段をもってしても殺すことは出来ず、どれほど戦いつづけようとその亡力もうりょくが尽きることはなかった。

 なぜなら、亡道もうどうつかさは異界とつながっているからだ。異界とのつながりによって常に無限の力を供給されている。そのために亡道もうどうつかさは不死身であり、たとえ、一欠片の灰からでも復活する! そして、無限の亡力もうりょくはどれほど戦いつづけようとわずかでも減ることはない! それ故に、人類は亡道もうどうつかさを倒すことはおろか、まともに戦うことすら出来なかった。だが……!」

 マークスはそこまで言ってから横にどいた。居並ぶ騎士たちにハープをかき鳴らしつづける女性が見えるようにした。

 「そのことを知った我らが天命てんめい巫女みこは自らに天命てんめいことわりをかけた。自らの天命に干渉し、一時も休むことなく天命てんめいきょくを奏でつづける存在となるために!

 この曲は風に乗り、大気を揺るがし、世界を覆う! この曲が世界を覆っている限り、亡道もうどうつかさと異界のつながりは断ち切られる! いまの亡道もうどうつかさは不死身でもなければ、無限の亡力もうりょくの持ち主でもない。

 現に見よ! 我々はいま空前の大船団を率いて亡道もうどうつかさの巣くう島へと向かっている。それなのに、亡道もうどうつかさは我々に対し攻撃ひとつしかけることが出来ない。嵐を起こして船団を沈めることも、雷を落として焼き払うことも、なにひとつ出来はしないのだ!

 いまの亡道もうどうつかさは少しばかり力があるだけの、ただの怪物に過ぎない! もはや、倒せない相手ではないのだ!

 怖れるな、運命を選びし騎士たちよ!

 我らは勝つ!

 天命てんめい巫女みこの奏でる天命てんめいきょくに守られる限り、我々は必ず亡道もうどうつかさに勝つ!

 いざ奮い立て、未来のために!」

 おおっー!

 マークスのげきに、居並ぶ騎士たちが一斉のときの声をあげた。

 思わず、僕も一緒になって叫んでいた。僕の叫び声なんてこの時代の誰にも聞こえはしないのに。それでも、思いきり叫んでしまったことがちょっと恥ずかしかった。

 船団が亡道もうどうつかさの巣くう島にたどり着いた。

 船のなかから何万、何十万、いやもっともっと大勢の人々が降り立った。マークスの指揮のもと、島の奥、亡道もうどうつかさの城へと突き進んだ。途中、遭遇した亡道もうどうたねたちを次々と斬り倒し、マークスとその騎士たちは亡道もうどうつかさの城目がけて突き進む。でも――。

 その島のなんておぞましいことだったろう。

 その島には生きている生命なんてひとつなかった。すべてが死に絶え、腐り果て、腐乱した体を引きずってうごめく、動く死体があるばかり。

 でも、この島だって最初からこうだったわけじゃない。亡道もうどうつかさが現れるまでは生命に満ちあふれた美しい島だったんだ。

 僕にはそのことがわかっていた。

 僕のなかに流れ込んできたマークスの記憶がそう教えてくれた。

 亡道もうどうつかさがこの世界に現れることで、亡道もうどうつかさの周囲が異界へとかわっていく。腐りはてた動く死体だけがうごめくおぞましい世界へと。

 ――この世界を、このようなおぞましい世界にはさせない。この生命と引き替えにしてでも。

 その覚悟のもとにマークスと騎士たちは突撃する。その騎士たちを守るのは自らに天命てんめいことわりをかけた天命てんめい巫女みこの奏でる天命てんめいきょく。この曲が流れる限り、亡道もうどうたねたちは本来の力を失う。本来の力を失った亡道もうどうたねたちなんて、覚悟を決めたマークスとその騎士たちの敵じゃない!

 マークスたちは現れる亡道もうどうたねたちを次々と斬り伏せ、打ち倒し、無人の野を行くかのように突撃し、ついに亡道もうどうつかさと対峙した。それは城のなかの最も広い空間、大広間でのことだった。

 「会いたかったぞ、亡道もうどうつかさ

 マークスがきらめく剣を手にそう叫んだ。

 亡道もうどうつかさ

 異界よりの使者。

 死と腐敗の化身、滅びの象徴。

 それはもちろん、人なんかじゃなかった。と言って、他のどんな生物ともちがう。

 空間。

 その場にポッカリと空いた、意思ある空間そのもの。

 少なくとも、僕にはそうとしか思えなかった。

 ――亡道もうどうつかさは人間の頭で理解出来る存在じゃないんだ。

 僕は直感的にそう感じた。

 「亡道もうどうつかさよ! いまこそお前に変質させられたすべての存在の仇を討つ! きさまを倒し、もとの世界を取り戻す!」

 ――愚かな。

 亡道もうどうつかさの声が響いた。

 いや、それは『声』じゃない。声なんかじゃない。もっと、別のもの。そう。亡道もうどうつかさの意思そのものだ。亡道もうどうつかさの意思が直接、頭のなかに響いてくるんだ。それだけに生々しく、聞いているだけで頭の割れそうな威力があった。

 ――人間風情がいくら束になったところでこの亡道もうどうつかさに勝てると思うか。

 「勝つ」

 マークスは断言した。

 そう断言する姿が痺れるぐらいに格好良い。

 「いま、人類のすべてがきさまを倒すためにもてる力を振り絞っている。それぞれの生きるべき場所で全力を振り絞っている。

 農家は兵士を飢えさせないために全力で作物と家畜の世話をしている。

 薬師たちは兵の傷を癒やし、その生命を守るために全力で薬草を栽培し、薬品を作りつづけている。

 鍛冶師たちは兵のために腕の動く限り鋼を打ち、武器を鍛え、鎧を作っている。

 教師たちは次代を担う子供たちを育てるために全力で教育に当たっている。

 第一線を退いた軍の教官たちはいつでも補充兵を送れるよう、新たな兵の鍛錬に全力を注いでいる。

 商人たちはそんな人々の暮らしを守るために全力で流通を守っている。

 船乗りたちは人の世とわれらをつなぎ、人と物を運ぶために寝る間も惜しんで船を動かしている。

 すべての人間がいま、きさまを倒すために尽力している。未来を守るために死力を尽くしている。そして、なによりもこの曲。きさまと異界とのつながりを絶つために自らに天命てんめいことわりをかけ、天命てんめいきょくを奏でつづける自動人形となった天命てんめい巫女みこ。その意思に守られている限り、我々は勝つ。この加護のもとに編成された一千万の兵と、それを支える一〇億の民! その力がきさまを討つ!」

 ――侮るな、人間! 亡道もうどうつかさが力、見せてくれる!

 「見せるのは人間の覚悟だ! 第一陣、突撃!」

 マークスが叫んだ。

 その指示のもと、何百という人間が一斉に突撃した。でも――。

 僕はおかしなことに気がついた。その人たちはみんな、ひどく貧相な格好だった。ろくに武器もない。鎧もない。単なる木の棒に厚手の服。そんな装備とも言えないような装備しかつけていない。しかも――。

 その人たちはみんな年寄りか、怪我人か、病人かのいずれかだった。誰ひとりとしてまともな兵や騎士と言えるような人じゃなかった。

 ――なんで、こんな人たちが突撃するんだ?

 僕はそう思った。でも――。

 その答えはすぐにわかった。

 年寄りや怪我人だからこそ、突撃しているのだと言うことに。

 亡道もうどうつかさの放った巨大な炎が突撃した人たちをまとめて焼き払ったその瞬間、焼き払われた人たちの顔。そこには死の恐怖なんてなかった。『自分の役割を果たした』という満足感だけがあった。

 その表情を見たとき、僕にはすべてがわかった。

 これが、この人たちの役割だったんだ。真っ先に突撃し、亡道もうどうつかさに巨大な亡道もうどうわざを使わせることで、わずかでも、ほんの少しでも、亡道もうどうつかさ亡力もうりょくを削り取る。

 そのための突撃隊。

 だからこそ、年寄りや怪我人ばかりだったんだ。

 ――まともに戦えないならせめて、この生命を武器に亡道もうどうつかさ亡力もうりょくを削り取る。

 そう覚悟を決め、突撃隊に志願した人たちだった。

 まともな装備品をもっていないのもそのため。より強い装備品は、まともに戦える若くて強い兵たちに与えるため。

 マークスの言った『運命を選びし騎士』とはそう言う意味だった。

 最初に突撃した数百人は亡道もうどうつかさの放った炎によって一瞬で焼き払われた。

 何百という人の生命が一瞬で失われたんだ。

 でも、それは実は幸せなことだった。本当なら、亡道もうどうつかさによって殺された生き物は――それが、なんであれ――本来の死の道をたどることはできない。島を埋め尽くす動く死体のように、この世にとどまり、腐った体を引きずってうごめく、動く死体になってしまう。そして、仲間であった生き物たちを襲い、同類へとかえてしまう。

 犠牲となった兵士たちもそうなるはずだった。亡道もうどうつかさによって亡者にかえられ、倒すはずだった亡道もうどうつかさ眷属けんぞくとして、かつての仲間を襲う。

 そうなるはずだったんだ。

 それを防いでいるのが天命てんめい巫女みこの奏でる天命てんめいきょく

 天命てんめいきょくは使者に対する亡道もうどうつかさの干渉を阻み、死んだ生命を正しく死の道へと至らせ、その道をたどらせる。天命てんめい巫女みこの力をもってしても兵士たちを亡道もうどうわざから守ることは出来ない。でも、死んだ生命を導くことは出来る。そのおかげで兵士たちは亡道もうどうつかさ眷属けんぞくにされずにすむ。死んだあとの心配をせずに亡道もうどうつかさと戦えるんだ。

 ギリッ、と、マークスは歯を噛みしめた。内心の思いを隠しながら次々と突撃の指示をくだす。

 人々は突撃しては、亡道もうどうつかさの力に焼き払われる。

 だけど、それは無駄死にじゃない。断じて無駄死になんかじゃない。焼き払われた人たちはその生命の分、確かに亡道もうどうつかさ亡力もうりょくを削った。わずかでも、ほんの少しでも、確かに亡道もうどうつかさ亡力もうりょくを削り、弱らせていた。

 後につづくものが戦いやすくなるように。

 それを繰り返し、いつかは亡道もうどうつかさを倒せるようにするために。

 そのために、その人々は死んでいった。

 未来を守るために死んでいったんだ。

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