壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

第一部 はじまりの伝説

一章 騎士マークスの伝説

 「……亡道もうどうつかさを倒した勇者マークスは王国の秘宝『壊れたオルゴール』を奪い、海に逃れた。そして、世界中の海を股にかける大海賊となった。その最後は誰も知らない。けれど、いまもマークスの魂を乗せた船は霧深き海をさ迷っている。たったひとつの曲を奏でつづける秘宝『壊れたオルゴール』とともに……」

 おしまい、と、祖母は小さな音を立てて絵本を閉じた。ベッドの上の幼い孫はお話を聞いて眠るどころか、すっかり興奮してしまい、目をキラキラさせている。

 「ねえ、おばあちゃん。勇者マークスって本当にいた人なの?」

 「ああ、もちろんだよ」

 「でも、千年も前のお話なんでしょう? なんで、いたってわかるの?」

 「それはね。千年間ずっとずっと、大勢の人が勇者マークスの伝説を語り継いできたからだよ」

 「マークスはどうして海賊になったの?」

 「さあ、どうしてだろうねえ。亡道もうどうつかさを倒した勇者として、地位も、名誉も、冨も思いのまま。王女さまとの結婚だって決まって、王さまにだってなれるところだったのにねえ。きっと、『壊れたオルゴール』がそれぐらいすごいお宝だったんだろうねえ」

 「『壊れたオルゴール』って、そんなにすごい価値があるの?」

 「そりゃあ、あるに決まってるさ。なにしろ、勇者さまがすべてを捨てて盗み出し、海賊になったって言うぐらいのお宝なんだからね」

 「『壊れたオルゴール』ってなんなの?」

 「さあ。そればかりはわからないんだよ」

 「わからない? どうして?」

 「『壊れたオルゴール』はいまもう存在しない、滅び去った王国の一番の宝物でね。お城の一番奥の宝物庫に、それはもう大切にしまわれていたんだよ。だから、誰も見たことがないのさ」

 「でも、マークスはその宝物を盗み出したんだよね?」

 「ああ、そうだよ。そして、海をかける大海賊になったのさ」

 「マークスはどうして『壊れたオルゴール』を盗み出したんだろう? どうして、王女さまとの結婚を捨ててまで海賊になったんだろう?」

 「さあねえ。そればかりは本人に聞いてみないとわからないだろうねえ」

 「ねえ、おばあちゃん。マークスの船はいまも海のどこかを渡っているんだよね?」

 「ああ、そうとも。見かけた船乗りは何人もいるよ。お前のおじいちゃんも言っていたものさ。『あれこそはマークスの船にちがいない。霧のなかから現れ、霧のなかへと消えていったボロボロの海賊船。そこからは確かに、聞いたことのない曲が流れてきたんだ』ってね」

 聞いたことのない曲を奏でつつ、霧のなかから現れ、霧のなかへと消えていった海賊船。

 その強烈なイメージは幼い男の子の胸に激しく焼き付いた。

 「ねえ、おばあちゃん」

 「なんだい?」

 「ぼく、大きくなったら船乗りになる! おじいちゃんみたいな立派な船乗りになってマークスの船を見つけて、『壊れたオルゴール』を手に入れるんだ!」

 「ああ、そうかい。それは良いことだねえ。男の子は冒険しなくちゃねえ。でも、それなら、たくさん勉強して、運動もして、強くて賢いおとなにならないとねえ」

 「うん、ぼく、約束するよ、おばあちゃん! たくさん勉強して、運動もして、強くて賢いおとなになる。そして、『壊れたオルゴール』を見つけるんだ!」

 「うんうん、その意気だよ。それでこそおじいちゃんの孫だ」

 ふたりで話し込んでいると、ドアの向こうから母親の声がした。

 「いつまで話しているの、もう遅いわよ、さっさと寝なさい」

 「おっと、ママがお怒りだよ。もうお休み。つづきはまた明日ね」

 「うん!」

 おばあちゃんは絵本を手に孫の部屋を出て行った。

 男の子はベッドの上でまんじりともせずに過ごしていた。

 さっさと寝なさい。

 ママにはそう言われたけど、眠るなんてとても出来ない。だって、あんなすごいお話を聞いたんだから。幼い目には霧のなかから現れ、霧のなかへと消える海賊船がはっきりと見え、幼い耳には聞いたことのない曲がはっきりと聞こえていた。

 ――ぼくは絶対、『壊れたオルゴール』を見つけてみせる!

 男の子はその思いを胸に抱いたまま、少年となった。



    《壊れたオルゴール

         ~三つの伝説~》



 霧の立ちこめる海域。

 視界は暗く、ろくに前も見えはしない。まるで、夜空の雲のなかを進んでいるかのよう。

 あまりの湿気に全身がじっとりと濡れている。前髪には幾つもの水滴が数珠つなぎについている。霧に閉ざされた暗いくらいその海域で行く先を示すもはただひとつ、彼方から響くひとつの曲。

 この世の誰も聞いたことのない不可思議な音色。

 それが、繰り返しくりかえし流れている。

 そして、その曲の流れる先に見えるもの。

 それは、一隻の船。

 いや、幽霊船。

 そう呼ぶのがふさわしいほどにボロボロの船。

 帆は破れ、マストは折れ、船体には穴が空いている。それでも――。

 その船はしっかりと海の上を進んでいた。まるで、その船自体が意思あるひとつの生物であるかのように。

 この世の誰も聞いたことのない不可思議な曲はその船から流れていた。

 そして、霧のなか、その幽霊船を追う船がひとつ。

 海の世界ではちょっとは知られた海賊ガレノアの船。『海の女』号。

 海の女神のフィギュアヘッドをつけたその海賊船は、不可思議な曲を流す幽霊船をひたすらに追いつづけていた。伝説の大海賊、海賊王マークスの船を。

 「あれが、海賊王マークスの船なんですね、船長!」

 興奮を抑えきれない。

 まさにそんな様子で舳先へさきに立った少年が叫んだ。あの幼い日、ベッドの上で祖母からマークスの伝説を聞いていた男の子はいま、見習いの海賊として『海の女』号に乗っていた。

 「ああ、その通りさ」

 ガレノアは舌なめずりしながら言った。

 右目には眼帯、肩には鸚鵡おうむ。いかつい風貌にたくましい体付き。手にはラム酒の大瓶。その出で立ちはまさに『海賊』。それ以外のなにかだと言われても絶対に誰も信じない。そんな、イメージ通りの海賊。それがガレノアだった。

 「へへへ。ついに見つけたぜ。海賊王マークスの幽霊船。あのなかには『壊れたオルゴール』が眠っている。亡道もうどうつかさを倒した勇者マークスがすべてを捨ててまで王国から盗み出し、生涯を懸けて守ったとされているお宝がな。胸が鳴るぜ。こいつを手に入れなきゃ女がすたるってもんだ」

 「いや、だからね、お頭」

 うんざりした様子で『海の女』号のコックを務めるミッキーが言った。

 「お頭に『女』を名乗られるとショックがでかいんでやめてくれって何度も言ってるでしょうが」

 「なにを言ってやがる。おれさまは生まれも育ちも正真正銘、女なんだ。女を名乗ってなにが悪い」

 「いやね、女ってのはもっとこうかわいくて、可憐で、甘~いもんであってね? お頭みたいな、その……」

 「なに言ってやがる。女だからって小柄で、華奢で、ドレスを着込んでおしとかやにしてなきゃならないってか? そんなもんは陸の掟だ。陸の掟に縛られないのが海の良さだろうが」

 ガレノアはそう言って、手にしたラム酒をラッパ飲みする。

 「いやまあ、それはそうなんですけどね。でもね、お頭? 世の中にゃあ浪漫ろまんってもんがあるんですよ。『女海賊』と聞いて世間が思い浮かべるのは若くて、妖艶ようえんな、危険な香り漂う美女でしてね? その浪漫ろまんを壊されちまったら世の中にゃあ、泣く男がごまんといるんですよ」

 「ふん! どMな変態男どもの都合なんぞ知ったことか。おれさまはおれさまだ。自由な、海の女なんだよ」

 ガレノアはそう言いきると、配下の海賊たちに命令した。

 「さあ、行くぞ、野郎ども! 船足をあげろ、あの船に追いつけ。乗り込んで世紀のお宝を手に入れるんだ!」

 ガレノアの命令のまま、『海の女』号は一気に船足をあげた。マークスの船に並び、ロープで船体を固定し、渡り板をかける。このあたりはさすが海賊だけあって手慣れた仕種だった。少年はもういても立ってもいられないという様子で渡り板の上を通って――と言うより、跳んで――マークスの船に乗り込んだ。

 そのあとにつづいてガレノア、ミッキー、そして、配下の海賊たちが渡っていく。

 マークスの船はまさに『幽霊船』と呼ぶにふさわしい雰囲気だった。

 船体はいまにも崩れそうなほどにボロボロで、人影はもちろん、ねずみ一匹いはしない。それどころか、生の匂いそのものがしない。冷えびえとした陰気な空気があたりを包み込んでいる。

 もし、この船の上で人影を見たなら、それは決して生者ではあり得ない。世を恨む亡霊にちがいない。そう確信させる船だった。

 ガレノアは慎重に一区画ごとに覗いていった。このあたりはさすが、海賊として長年、海で生きつづけてきただけのことはある用心深さだった。

 「……誰もいませんね」

 少年が誰にともなく呟いた。

 その口調もすっかり用心深いものになっている。

 「まあ、当然だな。なんたってマークスといやあ千年前の勇者さまだ。この船だってそれだけ立ってるってことだからな。船員なんざいるわけがねえ」

 「千年も前の船がどうして、船の上を進んでいられるんでしょう? とっくに壊れて海の底に沈んでいそうなものだけど……」

 「だから、幽霊船ってんだろうがよ」

 と、ガレノアは納得できるような出来ないようなことを言った。

 ともかく、ガレノアたちは船体のなかをくまなく調べまわった。船としては中規模のものでさほど大きくないので大した時間はかからなかった。

 船のなかにはなにもなかった。

 見事になにもない。人骨はおろか、荷の残骸すら、欠片もありはしなかった。

 「……伝説の通りだな。本当にこの船はマークスひとりで動かしていたらしい」

 ガレノアが舌で舐めながら言った。

 それはいわゆる『舌なめずり』ではなく、緊張のあまり、乾いた唇を湿らすための動作だった。

 海千山千の海賊ガレノアをしてそこまで緊張させる。

 そうさせるだけのものが確かにこの船にはあったのだ。

 「でも、船長。この曲はずっと鳴りつづけていますよ」

 「ああ。とにかく、この船に『壊れたオルゴール』があるのはまちがいねえ。そして、あと、探していないところはただひとつ……」

 ゴクリ、と、唾を飲み込みながら少年は答えた。

 「――操舵室、ですね?」

 「そう言うこった。行くぞ、野郎ども。目指すは操舵室だ!」

 そして、ガレノアたちは操舵室へとやってきた。

 「まちがいない! 船長、このなかから曲は聞こえています!」

 「ああ、その通りだ。行くぞ、小僧」

 「はい!」

 ガレノアは操舵室のドアノブに手をかけた。ドアには内側から鍵がかかっていたが、そんなものは海賊たちには関係ない。すぐにこじ開け、ドアを開けた。ガレノアと少年がそこで見たもの。それは――。

 一心にハープを奏でつづける若く美しい女性。

 この世の誰も聞いたことのない不可思議なる曲はまぎれもなく、その女性の弾くハープから生み出されていた。

 「女の人⁉」

 少年は驚きの声をあげた。

 その幼い目はまっすぐに、ハープを弾きつづける美しい女性に吸い込まれている。

 「な、なんだ、こりゃあ。こいつが『壊れたオルゴール』だってのか?」

 さしもの肝っ玉のでかいガレノアも驚いた様子だった。

 「船長、これ!」

 少年が指さした。その先には舵輪に身を貫かれるようにして覆い被さっている骸骨があった。その骸骨は船長服を着込み、左手に小さい黒い瓶をもっていた。そして、右手の人差し指はなにかを書くときのように前に伸ばされている。

 「これは……この骸骨がマークスってことか?」

 ガレノアが呟いた。

 千年も昔の勇者であれば白骨死体になっているのも当然だろう。むしろ、風化することも、崩れることもなく、こうもきれいな骸骨として残っていることが奇跡だった。

 「なんですかね、こりゃあ」

 コックのミッキーがヒョイと手を伸ばし、骸骨の左手のなかに収まっていた黒い小瓶を手にとった。

 「あほう! うかつにさわるやつがあるか⁉」

 ガレノアは叫んだがミッキーは平気な様子だった。

 「いや、なんともねえですよ。しかし、なんですかね、これ? なにかこう、もやもやっとした黒いもんが入ってるんですがね……」

 少年はミッキーの声を聞いていなかった。少年の意識は一点に集中していた。それは、骸骨の右手人差し指の先。自らの血で書いたとおぼしき、すっかり色褪せた、それでも、はっきり朱とわかる色で書かれた文字。


  後につづくを信ず。


 そこにはそう記されていた。

 少年はふと、手を伸ばした。その文字にふれた。その途端――。


 ――人類の誇りをかけた一千万の軍勢! 亡道もうどうつかさよ、この軍勢がきさまを討つ!

 ――ちがう、ちがう、ちがう! 自分は英雄などではない。あなただ、英雄と呼ばれるべきはあなたなんだ!

 ――退けいっ! 騎士マークス、いまより天命てんめい巫女みこただおひとりの騎士となる! 行く手を阻むものはすべて斬る!


 幾つもの声が少年の頭のなかに響いた。そして――。

 少年の意識は千年の過去へと飛んでいた。

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