第2話 雨垂れ

 茶々様・初様・江様には秘策があるという。父上をこの機会で迎えないと、もう無いであろうから、何かと必死だ。


 私は常々、父君浅野長政様とはを、密やかな声で伝えるも、どうにもピンと来ていない。逃亡生活と避難生活で、たおやかな母上お市様こそが、親として全てを担っているからだ。


 ここに、叔父織田信長様の配慮があればだが、常に近習に囲まれている故に、信長様のお膝元に飛び込めずに、本能寺の変を迎え、死に別れた。

 そもそも、織田信長様は本能寺で本当に死んだかは、未だ噂が噂を呼び、イスパニアに行ったのではと、やや身構える形になる。


 実直な丹羽長秀様は、私に対して、丹羽家に男性として養子に入り、お市様と結ばれ生涯を遂げよと言うも、茶々様・初様・江様の御意見が芳しく無い。

 私は日々侍女としての、身支度一切を掛け持ったのだから、それは実質乳母でもあり、明日から父上では居心地も悪かろう。


 織田信長様頓死で、清洲会議が迫る中、織田家は大きく分かれている。信長様実子のみならず、そこに信長様兄弟も加わるのだから、日々根回しに明け暮れ、睡眠さえろくに取れていない。

 何よりは、信長様妹のお市様も立ち回りも複雑だ。もう嫁ぐ事は無いと皆が思っていたが、うっかり戦国大名が名乗りを上げたら、織田家の均衡が崩れ去り壊滅する。


 ここで、丹羽長秀様からお市様に長い説得が入る。茶々様・初様・江様の意を受けての珍案は、実に興味深い。織田信長公と血縁繋がりの采配はさぞやそうであろうと。

 そう、私がまずこけてしまったが、柴田勝家権六の元に嫁いでは如何と。


 柴田勝家権六は、織田家の中でも屈強な強者だ。お市様が頷けば反対出来る者など誰もいない。

 何より、あの上杉謙信と本気の戦をして、柴田勝家は生きている。勝ち目が無いと逃げ出した猿秀吉に比べれば、織田家の信頼はここに来て厚くなる。

 また均衡としても抜群だ。権六と猿が、この先消耗しあってくれれば、浮かぶ織田家家臣もおり千載一遇は巡る。血生臭い話になりそうだが、織田信長様が死した以上、それ位の成り上がれる度量はあって然るべしになる。


 権六と猿が一騎打ちになる以上、何処かで大戦は待っている。ただそれは、茶々様・初様・江様から直々に、丹羽長秀様へと秘策があると打ち明けられ、丹羽長秀様はこれは行けると確信したらしい。



 +



 そしてお市様は、織田信長三男織田信孝の後見も有り。柴田勝家様の元に嫁ぎ、茶々様・初様・江様と共に、そして私も、北ノ庄城に移り住んだ。


 私としては、権六様の歪さはどうしてもある。自ら強者であれとを強いて、この歳になっても正室を迎えないからだ。何を上杉謙信の不犯を真似ようとしているのか、さっぱり意味が分からない。女子に執心しないからと言って、強くなれるかは、はっきり言ってなれない。


 そもそも権六様は、風態が野蛮そのものだ。お市様はいつか愛想尽かすと思いきや、化けた。

 乱れ髪に、髭面に、血眼に、ごつい鋭角な顎の線。これは悉くお市様の身支度で、長身の若貴族の雰囲気をしっかり醸し出す。

 何の事は無い、お市様母娘は、権六のこの素養を、かなり前から見抜いていたのだ。いや、恐れ入る。それだったら、むしろ言って欲しいも織田家の直感は独特だから、私がムキになったやもしれぬ。


 身なりが変われば、心模様も変わる。

 お市様も、茶々様・初様・江様も、権六様に懐き、柴田家臣団の顔も柔和になった。前田利家様は、権六はつまらん男になりなさったと、ここはいつも爆笑の宴となる。



 +



 私の傅きの中で、幸せしかなかった北ノ庄城の生活は1年経たずに終える。

 秀吉は懐柔し勢力を拡大して行く中で、権六様も止む得ず、領土を守るべく斥候に出る。

 その止む得ない抗争の果てで、権六様は賤ヶ岳の戦いで大敗し、北ノ庄城での籠城戦になる。

 時代の趨勢とは言え、権六様の背後にいるお市様に、ちょっかいを掛けるしかない猿に激しい憤りを持つ。私はさてと、織田家中はもはや虚ろなものになっていた。


 そして北ノ庄城での籠城戦の只中で、茶々様・初様・江様の秘策が発動される。

 権六父上には、家族として満喫した生活を送らせて貰った。このご恩はと、茶々様・初様・江様がまとめて秀吉の側室に入り、助命嘆願すると願い出る。

 権六様は泣いた。まず純粋な父親として。北ノ庄城下には、死ぬ謂れの無い者は多数いる。権六は軍団長として、ただ床に、嗚咽を上げながら擦り切れるまで押し付ける。忝ぬ。ただ忝ぬ、と。


 茶々様・初様・江様は、前田利家様の身請けにより、北ノ庄城を護送される。


 それを見送る、お市様はことりと置く。浮かれっぱなしの猿が、この殲滅の機会を逃す筈も無いと。

 猿の人たらしであっても、猛者権六様を手名付ける事もままならず。そしてなびかず、禍根しか残さない私お市を消し去るには、今の機会しか無いと解く。ここで柴田家中は、自害の作法が一致する。


 残った一族に近臣は、北ノ庄城の天守に集められた。そこで、なけなしの酒が振る舞われ、お市様が本当久し振りに横笛を手に取り、皆が切なさを吹き飛ばす、剽げ踊りに興じた。

 そこにはあの権六様もいる。熱田のうつけ時代には、何かと城に帰りますと、強情に迎えに来ていた御仁が、今は自ら進んで陽気に踊る。奇妙な切なさが、横死の前に浮かび上がる。


 そして踊りが止むと、権六様が炸薬の樽に自ら縛り上げ、火縄を持ち上げ、導火線に放つ。

 お市様も私も、覚悟は決めていた。ただ、権六様の後年の本来の微笑みが送られる。口元は”生きよ”だった。

 私は、腰の上がらぬお市様を漸く抱え、天守閣から宙に飛び出す。


 浅野家にいた頃は、傅くまま皆で琵琶湖に良く通った。お市様も、茶々様・初様・江様も夏の憩いに寛ぎ、私にあれをといつもせがまれる。

 私は船着き場の橋を、水浴び用の着物を託し上げては、駆け抜ける。そして舳先。そこから大きく宙に舞う。しなやかにしなり、3回転ひねり。そして両手を頭上に合わせ、湖面に吸い込まれる様に飛び込む。チャポンの音が3滴は聞こえた。湖水から直上を見上げると、湖面は、降り始めの雨が漸く波を打つ波紋を描く。静やかなる忍びの術、そうこれは雨垂れだ。


 天守閣から勢いよく飛び出す。私は、お市様の頭を抱え、斜め下に頭より飛び込む。背後では、凄まじい爆音と爆風を浴びる。間一髪。それよりは、普段の通り道の防風林だ。一番の茂みには辛うじて届いた。私とお市様は広葉樹に揉まれながら、勢いを静かに落として行く。

 とても静やかなる、これこそ忍びの術雨垂れ。私達は漆黒の夜に程よく溶け合う。

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