第11話 ドアを壊すのは様式美
「ほんとうに、なんでこんなに毎日バタバタしているのかしら」
倒れ込むように執務机に突っ伏す。
一緒に食事をしたフィリーネは、今はエメと城おばばたちに任せてきた。今頃お風呂で磨かれ、ゆっくり休んでいることだろう。
一方今だに、カタリーナは来年の年始の帝都行きの準備に追われている。
帝国は黄金の女神を崇拝する国。
女神は夏至の日に眠りにつき、冬至の朝に目覚めるとされているため、その日から帝国は一年がはじまる。
皇都では国家行事として、神殿では宗教行事としての年始の祝いが行われ、国家行事の方には成人した貴族全員の参加が求められる。
皇都に行くのは国王のアーベル、ルスト伯、カタリーナと兄の四人、甥ニ人の全部で六人。それに今年はアッカーとフィリーネが加わる。残念ながら生まれたばかりの姪と義姉はお留守番だ。
使用人と警備の兵を含めても十五人程度の、こじんまりとした一団になる。
ティグノスは自前の船を使う。ただし宿泊は難しいので、上陸して宿を取る。
ここから大陸までは丸一日あればつくが、大陸に入ってからは川を登る。下りよりだいぶ速度が落ちることや女子供がいることを考えると、旅の日程は20日程度必要だ。
往復二月近くかかる一大行事である。
余談だが、その話を最初にした時、アッカーは純粋に驚いていた。どうやら陸路では大陸の端から中心部の皇都までどんなに急いでも片道2ヶ月かかる。つまり末端国では新年の祭りのために一年の三分の一を使わなければいけないらしい。
なるほど、一部の国の王族が皇都に住む理由もわかる気がする。
その方が安上がりな国もあるだろう。
「毎年の事ながら、けっこう厳しいわよねぇ」
書類に並ぶ数字は、小さな国家ではかなり負担になる額だ。
更に新年の行事の2日目には、帝王主催の大晩餐会が行われる。
自分の装いは適当に何とかするとして。
「フィリーネのドレスはどうしよう……」
今から大急ぎで作るとして、最低限の淑女教育も必要だ。
まだ半年はあるが、逆に言えば半年しかない。
「無理だわ」
「無理ではなかったぞ! 帰ってきたぞ!」
突然、執務室の扉がすっ飛んで粉々に砕けた。
がばり、と顔を上げたカタリーナの目に飛び込んできたのは、煤と泥と、所々赤茶けた想像したくない汚れで全身が染まったアーベルだった。
「……なんで扉壊した?」
「カタリーナ。帰って来いと言ったのはオマエではないか」
「それはそうとなぜ扉を壊した」
ふるふると怒りで手が震える。
「いや、ちょうど目の前にあったのでな。いやぁ急いで終わらせてきたからな。体が昂って仕方がないのだ!」
アーベルは、がはははと大声で笑いながらそう言い、どかりと国王の席に座る。目の前の書類にはまったく目をくれず、ふんふんと両腕を振り回している。
「じゃあ海にでも飛び込んできなさいよっ! 書類が、飛ぶっ!」
「いやいや、これから我が花嫁殿に会うのであろう? そんな暇は」
「そのカッコで会いに行く気かぁ!! いい加減にしろ!!」
乱れ飛んだ書類を走りながら集め、カタリーナは叫ぶ。
カタリーナはふと目眩を覚え、ぺたりと床に膝をつき大きなため息を吐く。酸素不足か、寝不足か。
王城で働くようになって、カタリーナはいつも怒っているような気がする。
眉間によった皴も、このままでは取れなくなってしまいそうだ。
ここ数年、海賊が増加した。
海賊と言っても元は飢えた漁民や普通の民。そういった連中がいつの間にか徒党を組んで、大きな組織に成り上がっていった。
その駆除ができるほど大きな海軍を持っているのは、帝国とティグノスだけ。
その帝国が頼りにならない今、どんなにカタリーナが怒ろうとも、アーベルが軍を出動させるしかないのだ。
その回数もどんどん増えている。
帝国の許可を得て海軍組織は膨張しているが、ティグノス一国にかかる負担は大きい。帝国から国の規模にしては大きい支援を受けているのも、このためだ。
結果、王国を統括する仕事をするはずのアーベルが嬉々として自ら戦場に赴く。
帝国内から後方支援にいそしむ叔父との脳筋筋肉コンビはなかなかのものらしく、今や帝国内でも指折りの軍事組織となった。
だがしかし、その分国王業はおろそかになり、その代役はヴィレ兄妹の役割になっている。その仕事量は、軍事組織の管理もあるので膨大だ。
アッカーが来てくれるまでは、兄のヴィレ伯が過労死してしまうのではないかと心配したほどだ。本人はけろりとしているが。
それほどまでにこの国は人が少ない。
さらに悩みどころがもう一つ。
もし今後、フィリーネが無事にアーベルとうまくいくとしても、彼女に王妃の仕事を任せてよいものか。
王妃、国家の代表者の伴侶のすべき仕事は多岐にわたる。学園では基本的なことを学ぶ事ができるので、そこを卒業しているかしていないかでは違いが大きい。
一般級と呼ばれるクラスでもじゅうぶんだが、カタリーナのように特別級を卒業していれば、まず国家の仕事に携わる基本的知識が身につくのだが……。
どう考えても、カタリーナがこの国を離れられるのはまだまだ遠い未来なのだろう。
「カタリーナ、顔色が悪いぞ」
見上げると、熊のような巨体を丸めたアーベルが心配そうに自分をのぞき込んでいた。
誰のせいだ、と叫びそうになるが、堪える。
なんの嫌味でもなく、この男にはどんなに当たっても無駄なのだ。
それが、兄妹のように暮らしていたカタリーナにはよく分かっている。なんだか一瞬で泣きそうになった。
「仕方ないじゃない。わたしがやらなきゃいけないんだから」
「それについては本当に申し訳ないと思っている。この国は文官をやりたがるモノが少ないからなぁ」
だから戦闘狂民族などと陰口をたたかれるのである。
「だが、オマエが無理をして倒れたら元も子もないぞ。あまり無理をするな」
そう言いながら、大きな掌でわしわしと頭を撫でる。それに刺激されたのか、涙がひとつぶ、こぼれ落ちる。
「年が明けたら、アーリアのダンナも戻ってくる。オマエの負担も軽くなるだろう」
カタリーナは黙って頷く。
「まぁその前にカタリーナはお嫁に行くかもなぁー!」
困ったように笑いながら、突然アーベルがそんなことを言った。カタリーナは目をまんまるにして彼を見上げる。
「え?」
思えばアッカーとアーベルは友人だった。どうやら学園時代からの付き合いらしいが。
二人の間で既に話はされていたのだろうか。
アーベルはちまっとした目でこちらを見ている。
「婚姻の申込書が来ていたが、もしかして誰かに聞いたか?」
聞いたも何も、本人に直接申し込まれたのだ。
赤面するカタリーナを見て、アーベルは何か察したらしい。
「オマエは帝国貴族を嫌っていると思っていたが……」
カタリーナは大きく首を振る。
確かに傲慢きちきちな連中は大嫌いだが、アッカーは身分差別をしない。使用人たちにもフィリーネにも笑顔で接している。
「そうか……」
そう答えたアーベルの瞳に違和感を覚え、カタリーナは彼の顔を凝視する。
幼い頃から一緒だったのだ。
彼の感情の機微くらい、カタリーナにもわかる。
とても哀しそうな、そんな目だった。
だがアーベルも何も言わずに、ただカタリーナを見返している。
そんな二人は気が付かなかった。
「……ほう?」
邪悪な微笑みを浮かべるアッカーが、半開きの扉からこちらを見ていたことに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます