第10話 『違うそうじゃない』

「食堂まで行くのでしょう? お供しましょう」

 先程よりいくらか砕けた表情のアッカーは、そう言いながらカタリーナの持っていた荷物の殆どを持って進んで行ってしまった。

 慌ててその後ろ姿を追う。


 彼のことは何も知らない。

 かなり良い家柄の生まれのようだが、おそらくカタリーナには理解できない苦労もたくさんしてきたのだろう。

 いつかは話してくれるといい。

 それは彼にとって、自分が信用に足ると判断された時だろう。

 今はその人となりを知り、そしてもっと自分のことも知ってほしいと思うだけだ。


(……これは、恋というものなのかしら)


 そういえばカタリーナは今まで恋をしたことがない。恋愛的な意味で誰かを好きになったことがないのだ。

 なので恋とは一体どういうものなのか、よくわからないままだ。

 見上げる後ろ姿は背が高い。今はその背中に触れてみたいと思う。あの蕩けるような素敵な笑顔を、もう一度見たい。

(……恋かもしれない)


「アッカー様」

 呼び止めると、彼は不思議そうな顔で振り向いた。

「あの、ひとつお聞きしたいことがありまして。わたし達、以前どこかでお会いしたことがありましたでしょうか?」


 思い切って尋ねると、アッカーの目が大きく開く。だがその視線はカタリーナの背後に向いていた。


 つられて振り向いたカタリーナは、そこに立つ人影に驚く。

「フィリーネ様」


 先程、エメに彼女の様子を確認させた。ノックしても返答がなかったので休んでいるのではないか、ならば午前中はゆっくり休ませてあげましょう。と話しをしていたのだが。


 そのフィリーネが、何故か今カタリーナの前にいる。

 しかも、昨日と同じ旅装束のまま、ちいさなトランクを握りしめているのは、どういうことだろう。


「……おはようございます、フィリーネ様。昨晩はお休みになれましたか?」

 混乱しながらも声をかけると、フィリーネはゆっくりと頷いた。昨日と同じように俯き加減だが、何かを決意したような真っ直ぐな瞳でこちらをみている。


 緊張しながらも、カタリーナは微笑む。

 昨日も思ったが、とても愛らしい顔立ちをしている。今は痩せているが、しっかり癒やして、着飾らせたい。びっくりするほどの美人になるだろう。

 もし彼女がアーベルを受け入れてくれたら。彼の隣に立つフィリーネの姿を想像するだけで胸が熱くなる。


「それはようございました。今晩は簡単なものですが晩餐会を開きますので、楽しみにしていてくださいませね。

 フィリーネ様にもいっぱい着飾っていただきたいと思いますので、城の中にあるドレスをかき集めましたのよ」


 フィリーネは驚いたように顔を上げた。


 フィリーネはただの一着もドレスを持っていなかった。晩餐会に参加するのは王族と貴族だけではなく、諸島を治める領主や豪族たちも集う。せっかくのお披露目の舞台だ。フィリーネを着飾らせてあげたい。


 だが残念ながら、カタリーナの昔のドレスは駄目だった。彼女が好んでいたのはワインレッドや黒、どれもふわりとしたフィリーネの色彩に合わない。一着だけ若草色のものがあったが、あれはカタリーナの祖母のものだ。流石に若い女の子に着せるのは忍びない。

 他に何かないかと、カタリーナと城おばばたちは昨晩、あちこちからドレスをかき集め、なんとか数着用意することができたのだ。


「お古で申し訳ないですが、素敵なドレスですわよ? 気に入っていただけたものに、ちょっと手を加えて今風にしますわ」


 特にこれがおすすめです! とカタリーナがアッカーから荷物を奪い取り出したのは、淡いピンクの愛らしいドレスだ。

 アーベルの色が赤なので、本当は赤を着て欲しいが絶対似合わない。そのかわり、自分の宝石箱をひっくり返して紅玉ルビーのネックレスや耳飾りを持ってきた。

 もう少し時間があれば、城の地下の宝物庫から前王妃の装飾品を探し出したいところなのだが。


 それを聞いて、フィリーネの顔が歪む。鮮やかな苔色モスグリーンの瞳から涙が溢れ出した。


「あ……ありがとうございます……でも、わたし、こんなに良くしていただくわけには……」


 泣きながらフィリーネが言う。

 カタリーナは驚いて、手に持っていたドレスをアッカーに押し付けてそばに駆け寄った。

 その震える肩に触れる。

 昨日より目の下のくまがひどくなっている。もしかして昨晩は、あまり寝れなかったのだろうか。


「一晩……考えて、やっぱりわたしは皆様の迷惑になるので、帰ります。本当に、ありがとうございました……」

 しゃくり上げながら言うフィリーネの言葉に、カタリーナは目を丸くした。

「どうして? 迷惑なんて……」

 どうしよう、思考がついていかない。


「ここにきたのは、あなたの望みではなかったと言うことですか?」

 背後からアッカーの声がする。

 フィリーネは少し迷った後、頷いた。


「違うんです。わたし本当はお嬢様じゃなくて……。父が誰かも知らなかったですし、だからここにいるべきではないんです」

 震えながら必死に言う。

「王様に嫁げるような身分じゃありません。ご、ご主人様にも何度もそう申し上げたのですが、聞き入れていただけなくて……」


 なんと。自分の兄をご主人様呼びするとは! アンガーマン公爵が妹にどのように対応してきたのかがわかって、腹立たしい。

 だが今は怒る時ではない。

 これは後でアーベルかアッカーに八つ当たりでもすればいい。


「フィリーネ様、そんなことをおっしゃらないでください。あなたは間違いなく尊い身分の方ですが、それ以上に一人の女の子ですし。まず大切なのはあなたのお気持ちです」


 その返答が意外なものだったのか、フィリーネは呆然とカタリーナを見る。


「一度アーベルと会っていただいて、それで生理的に無理であればその時考えましょう。

 これはお見合いみたいなものですから、そう重く捉えずに」


「あの、カタリーナ様、そう言うことではなく……」


「いいえ、身分なんてものは、その人を飾る装飾品みたいなもんです。あってもなくても、死にはしません。

 ただ、今までご苦労されてきたのもその身分故でしょう。そう思うと、本当に頭にきますね。一発殴らないと気がすみませんわね」


「え、っと……」

 呆然とするフィリーネと、何故か背後で黙り込むアッカー。というか、どうにも隠しているが笑っているようだ。腹立たしい。

 そんなカタリーナに、フィリーネがおずおずと声をかける。

「でも、カタリーナ様は、私のこと、不快ですよね?」


 今度はカタリーナがきょとんとする番だ。

「どうしてですの?」


「カ、カタリーナ・ヴィレ様はアーベルさまの恋人だと。お城では妃様として暮らしてらっしゃると……」


 今度は分かりやすく、カタリーナは舌打ちする。

 背後のアッカーは隠すことをやめたらしい。くつくつと笑い声が聞こえる。


「……誰から聞いたんですか?」


「お、お嬢様が……」

 今までの流れからすると、フィリーネの言う『お嬢様』はカタリーナの同級生だったヴィクトリーア・アンガーマンだろう。


「あのクルックル、こんど殴る」

「カタリーナ、心の声が漏れていますよ?」

 とりあえずアッカーを睨みつけて、カタリーナはもう一度フィリーネの目を見る。


「確かにわたくしは、王妃の部屋で暮らしておりました。ですが、決してこの城の女主人だからではないのです」

 驚くフィリーネがぱちぱちと瞬きする。

「わたくし、幼い頃に時に母を亡くしまして、それ以来、前の王妃様に娘のように可愛がっていただきました。物心つく前だったこともあり、まえの王妃様は亡くなるまでわたくしと一緒に暮らしてくださって……。つまりはあの部屋は、わたしが育った場所なのです」


 確かに誤解されても仕方ない。それは反省する。


「カタリーナ様は、そんなに早くにお母様を亡くされたのですか?」

 フィリーネの瞳が一瞬、悲しみの色を浮かべる。

 そういえばこの子も、数年前に母親を喪っているのだ。

「ええ、ですからこのわたくしとアーベルの間には本当に何もございません。兄と妹のようなものなのです」


 フィリーネは少し考えてから、大きく頷いた。納得してくれたらしい。

 そこでアッカーが背後からヒョイと顔を出した。

「ご安心ください、フィリーネ様。カタリーナ嬢は只今俺が」

「とーにかく!! そう言うことだから安心して! 朝ご飯がまだですよね? よければ私といかがですか?」

 何を言うのだこの男は!

 フィリーネは驚いたように瞬きした後、満面の笑顔で「はい!」と答えてくれた。


 かわいい。

 抱きしめたい衝動を抑えながら、カタリーナも幸せいっぱいの笑顔で応えた。

 その自分を、やはり柔らかな笑顔でアッカーが見守っていることなど、この時は全く気がついていなかったが。


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カタリーナが熱く語る後ろで、アッカーが笑いながら思っていた事がサブタイトルです。

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