第5話 カタリーナは決意する
書類をいっぱいに広げた執務机の上で、カタリーナはふと目眩をおぼる。
ここ数日の寝不足がすこし辛い。
だがカタリーナは気持ちを奮い起こして、顔を上げる。
「あのクルックルの妹……」
学園で同級生だったアンガーマン公爵家のご令嬢は、いつも髪をきつく巻いていたので、カタリーナは影でクルックルと呼んでいた。
非常に高慢で、嫌な子だったと思う。お嫁に来るのはあの令嬢の妹だ。なら、やはり負けるわけにはいかぬ。
当日はめいっぱい化粧して、一着だけ持っているいま流行りのドレスを着て迎えよう。
こう言うことは、多分最初が肝心だ。
「明後日到着だから、朝から……」
国王執務室の隅っこにある自分の机の上で、カタリーナはぶつぶつ独り言を呟く。
幸い今は一人なので、誰にも迷惑はかけていない。
「で、
晩餐会はちょっとしたパーティーで、アーベの婚約者の国内初お披露目になる。国内の要人が集まるので、うまくいけばダンスも踊れるかもしれない。楽しみだ。
実はティグノスの民は歌や踊り、音楽が大好きだ。
老人から子供に至るまで、皆よく歌い踊る。
それは帝国流のダンスと全く違うので、カタリーナは帝国のダンスはあまり好きではない。
帝国での舞踏の場で楽しいと感じたのはあの五年前の一回きり。相手の顔はまったく覚えていないが。
ふと、あの時の自分を見下ろす、青のような紫のようなそんな瞳を思い出した。
「あれ……? あれ……?」
カタリーナは記憶を探る。
なぜか自分を見つめるアッカーの瞳がそれに重なった、その時。
「カタリーナ! 今日もオマエは真面目だな‼︎」
扉を蹴破らんばかりの勢いで、巨漢が部屋に入ってきた。
その勢いで書類が何枚かパラパラと宙を舞う。
「……お褒めいただいてありがとう。今日もあなたは元気そうね」
慌てて手元の書類を押さえ、せいいっぱい嫌味を込めて言うが、男は楽しそうに大声で笑うだけだ。
そしてふとカタリーナの様子に気がつき、どかどかと歩いて彼女の前に来る。
「お? 顔色が悪いな。大丈夫か?」
彼はティグノス国王のアーベル・アインザーム。
女性としては背の高いカタリーナよりさらに頭一つ分大きく、その髪はティグノス特有の赤銅色で、顔には見事な髭。日焼けした小麦色の肌に、ちこんと覗く瞳は緑かかった金色。この色合いはティグノスの三家の男性に多い。
実年齢よりいくつか上に見えるが、アッカーと同じ二十八歳の、年相応の青年だ。
ただし海賊相手に戦斧を自在に操るその様は、とてつもなく恐ろしく、戦神とも呼ばれているらしい。
ぼんやりと彼を見上げながら、カタリーナは目を瞬かせる。
「熊が見える……幻影かな」
「うむ、大丈夫だ。ちゃんと見えているものを信じろ!」
よくわからない励ましをいただき、さらにその大きな掌で頭をがしがしと撫でられた。
カタリーナは一つため息をつく。
「アーベル、あなた結婚するのよ。大丈夫?」
「うーん、実感はないのだがなぁ」
そう言いながら自分の椅子に腰掛け、執務室に積み上げている書類の中から何か手紙のようなものを掘り起こた。それを片目で眺めながら、息を吐く。
「中央の方もなんだがゴタゴタしてるようだなー」
「叔父様のお手紙?」
「ああ、なんとか晩餐会には間に合うように帰るとのことだ。ギルも呼び戻さねばならぬなー」
カタリーナの兄、ヴィレ伯ギルバートは現在国内の諸島視察中だ。この視察もここ数年行えず、アッカーの応援を得てようやく実施できたのだが、全部の島を回るのは難しいらしい。
「まぁ何とかなるだろう。オレは明日からいないがなー!」
「……は?」
幻覚だけじゃなく、幻聴だろうか。
カタリーナが呆然とアーベルを見ると、彼はにやりと笑う。
「北の海域に海賊が出たそうだ。ルーザン諸島には護衛基地がない。緊急のことなので、明日からちょっと行ってくる」
「はぁ!? あなたの奥さまがいらっしゃるのよ!」
思わずカタリーナは両手で机を叩いて立ち上がった。
「まぁ仕方ないだろう。カタリーナがいれば安心だ。オレは海賊退治に行くぜ! 無事に終われば
それは令嬢が到着し、ティグノスの王城で歓迎の晩餐会を開く夜だ。国王不在など笑い話でしかない。
馬鹿じゃないの!? との叫びは、さすがに堪えた。絶対言っても無駄だと分かっている。
だがどうして、帝都から遠路はるばるやってきたやんごとなきお姫様を、王族でもない一伯爵家のカタリーナが迎えねばならないのだ。
ひとり、頭を抱えるカタリーナの横で、アーベルは豪快に笑う。
「なんでこうなるのよ!!」
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Q、この世界に熊はいるのか?
A、山岳部にいます。ティグノスから一番近いと北東部の半島付近に出没します。ティグノスにはいません。熊対虎も見てみたいです。
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