第6話 アーベルは揶揄いたい
烈火の如く怒るカタリーナから逃げたアーベルが、国王の執務室に戻ってきたのは、夜も更けた頃。
灯りの存在を不思議に思い、覗き込むとカタリーナが書類に突っ伏して寝ていた。
「ありゃりゃ」
疲労の濃い寝顔を覗き込んで、アーベルは唸った。流石にここで寝たままはよくあるまい。
揺さぶっても起きないので、仕方ないので部屋に運ぶことにする。
ひょいと横抱きに持ち上げるが、よほど疲れているのか、安らかな寝息のままで目を覚ます様子がない。アーベルは腕の中で眠るカタリーナの顔を、まじまじと見つめた。
起きている時は、だいぶきつい印象を与える目元も今は閉じて、柔らかな灯りを受けたまつ毛の影がほおに落ちている。
まともな言葉も喋れないような幼児の頃から一緒にいた彼女は、美しく成長してくれた。最近ではティグノスの紅珊瑚と称賛されているらしい。毎回社交の場や公式行事に出席するたび、彼女に近付こうとしてくるものも多い。
「コレならどこに嫁に出しても、大丈夫だと思うんだがなぁ…」
「まるで未練でもあるような言い方だな」
誰もいないと思っていた空間から、独り言に反応する声がある。
あかりを消した部屋の入り口で、アッカーが立っていた。
こちらもだいぶ疲労の色が濃い。
「まだ起きてたのか。オマエたちは本当に仕事中毒だな」
「誰のせいだと」
前髪をかき上げて、アッカーがため息をつく。
「この多忙な時期に、北方の支援に行く必要があるか?」
「まぁなぁ。……帝国海軍は今回も動かないだろう?」
これにはアッカーはなにも答えない。
苦虫を噛み潰したような顔でアーベルを見ている。
本来、帝国支配下の海域での略奪行為に対応するのは、帝国の海軍の役割だったはずだ。
だが半世紀ほど前に設立された海軍は、明らかに力を落としている。その穴を狙うように、最近はあちこちの海域で海賊とよばれる連中が暴れていた。
「東の海はまだいい。オレがいるからな。
北は貧しい。魔獣の襲撃に怯えながら作った収穫物を蔵に詰め込んだ途端、海賊が村を襲撃しているんだ。……さっさとなんとかしてくれ」
吐き捨てるようなアーベルの言葉に、アッカーは深く深くため息をつく。なにも言い返せないのは、その指摘が間違えていないからだ。
「……そうだな」
「海軍は何とかならんのか。資源も魔導具も人材も、ウチとは比べものにならんだろう」
海の猛者の指摘には、アッカーは苦笑いする。
「人材が足りない。風を読める者がいないそうだ」
その言葉に、アーベルもアッカーと同じような苦い顔になる。
「とりあえずカタリーナを寝せてやりたい。オマエはオレの部屋に来い」
「色気のないお誘い、どうも。だがお前が彼女に触れるのは気に食わないな」
歩き出すしたアーベルががははと笑う。
「残念ながら、これは兄の特権だ」
「実の妹ではないだろう」
「血のつながりなら濃いぞ」
それでもアッカーは不服そうだ。
「まぁオレも昔は、将来はカタリーナと結婚すると思っていたがな」
「ほう……」
「オマエのそういう顔を見るのは楽しいな」
「揶揄うな。……本当ににそういう余裕がないんだ」
アーベルがチラリと見ると、ひどく苦しそうな顔のアッカーがいる。友人のそんな顔を見てしまい、アーベルも少し申し訳ない気持ちになった。
「血が、濃すぎるんだそうだ」
アーベルとカタリーナの母親は双子だ。現ルスト伯の姉の二人は、ヴィレ伯と王家に嫁いだ。これはどちらも従兄妹婚だったという。
さらにその双子の母親も王家から嫁いだ従兄妹同士の結婚だった。そんなことを百年以上、この国では続けていたのだ。
「血が濃いと子どもの体が弱くなるんだってな。オレたちは三人ともぴんぴんしてるが、オレたちの両親はどちらも体が弱かった」
カタリーナの母親は早くに亡くなり、まだ乳飲み子だったカタリーナとその兄を引き取って育てたのは、アーベルの母親だった。
だが、その母親もそのわずか五年後に亡くなってしまう。この時よりこの国では従兄妹婚は禁止となった。妻を失った国王の悲嘆は大きく、彼も床に伏せることが多く、数年前に亡くなった。
「……魔女の血筋を守るため、か」
アッカーは静かに呟く。
「よくある話らしいなー」
紅焔の魔女、実際には魔女ではなくて魔導具師だったのだが、海を渡るものには女神のように慕われている存在だ。
彼女の開発した魔導具によって、この世界の海は拓けた。かつては未開の地と呼ばれた東大陸まで。
ティグノスが最も小さい国でありながら、多くの特例を認められている理由の一つに、この紅焔の魔女の存在は大きい。百年前の魔女は三代目、初代は本物の魔法を使えたらしいが、ニ代目、三代目は傑出した魔導具師だった。古代魔導具を基礎にし、彼女たちの開発した魔導具は、帝国の文明を一気に発展させたと言われている。
そして彼女たちは揃って、真紅の髪の持ち主だったという。カタリーナが生まれた時、大人たちは『もしや四代目か!?』と期待したものだったが、残念ながら彼女は何の力も持っていない。
だが、紅焔の魔女と同じ容姿を持つカタリーナを狙う者が多い。
「なのでオレとしてはオマエがコイツとくっついてくれるとありがたいんだが」
わざとらしくそう言いながら隣を見ると、アッカーが死人の形相をしている。
「逃げられた」
「お?」
「お前は俺が不幸だと嬉しそうだな」
「あー、すまんすまん。……えーと、本当か?」
アーベルとしては、カタリーナがはっきりアッカーを拒絶するとは思えない。というか、そもそも男として意識していたかも、だいぶ怪しい。
「ああ、昨日求婚したが、今日は顔を見るなり逃げられた。廊下で顔を合わせた途端に……走るの早すぎだろう。おかしい……いや性急に進めようとした俺のせいだが……逃げられた……悲しい……」
「ほう」
「とにかくさっさと決めてしまいたかった。焦った。失敗した。ちくしょう何でやらかした俺、もう少し外堀を埋めて……」
呪詛の如く自分を責め続ける親友を見ながら、やはりアーベルはどこか楽しんでいる。この男は、学生の頃から女性に人気があった。声をかけてくる令嬢をいつもあしらい、むしろ辟易していたように思う。
その男を振り回しているのが、自分の従姉妹だと思うと、誇らしいような痛快なような、不思議な気分だ。
「まぁ今、コイツは余裕がないからな。もう少しの辛抱だろう」
「そうも言っていられないだろう」
「そうだなぁ。……どうしたもんかなぁ」
ブツブツつぶやく友人の顔を見ながら、アーベルはふと回廊の窓から夜空を見上げる。
「風を読むものは、ウチの部族でも減っている」
ボソリとつぶやく自分の声が、どこか寂しげな事をアーベルは自覚している。アッカーは頷く。
「異能は失われつつある。それは、大陸全土のことだ」
異能とは、常人が持たない能力のことを言う。
かつて、人類は魔法を使うことができたという。その力は凄まじく、天候を操り、空を舞い、大地を焼き尽くした。その時代から既にニ千年あまり、魔法の使い手は絶え、その代わりに人を導いたのが異能と呼ばれる能力の持ち主だった。
だがそれも、ここ百年ほどでだいぶ減った。
それを意図したアッカーの言葉に、アーベルはとても難しい顔で答える。
「いや、なんというか、そういうんじゃねえんだな……」
そして自分の腕の中で安らかに眠るカタリーナの顔を見る。
「もしかしてオレたちの求めているものは、もう南の海にはないのかもしれん」
それは完全な独り言で、首を傾げるアッカーにアーベルは曖昧な表情を返す。そんな自分の中にも、南の海への強い渇望が消えていえる事を自覚していた。
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