第4話 社交ダンスって格闘技でしたっけ?

「これから三日後に、アーベルの妃候補の方が皇都からいらっしゃいます」


「ええええ!!」


 これは流石に驚いて声が上がる。

 そしてすぐに、貴族らしからぬ自分の言動に恥入り、カタリーナは俯いた。

 だいぶ動揺している自覚はあるので、手元のカップを見ながら一呼吸。これで少しは落ち着く。


「アーベルの結婚相手が決まった、ということでしょうか」


「ええ、そうです。ヴィレ嬢も前々から仰っていましたね。国王陛下の妃を、と」


「……はい」


 確かに、カタリーナはアーベルに結婚しろと圧力をかけていた。

 もし彼を支える王妃がいれば、カタリーナの負担は減る。王城の管理と公務が減るだけで、他に行く余裕ができるはず。レッツ婚活である。


 だが、どうして今日なのだ。

 というか、なぜよりによって今日なのだ。

 予算のあれこれで超忙しい今の、そして明日のパーティの……。


 絶句する彼女を見ながら、向かいに座る男は続けた。その分厚いメガネと前髪に向こう側にある瞳が、楽しそうに細められているのは気のせいだろうか。


「今年中に婚約の儀を行い、来年の夏ごろには結婚式を上げることで国王陛下は同意していただきました。なので、来年の国家予算には大幅な変更が必要になります。お相手は帝国貴族の令嬢なので、帝国でも結婚の宣誓式を」


「えええ、ちょっとお待ちください」

 カタリーナは思わず、よどみなく話す彼を遮る。

 どうしよう。いろいろ納得のいかないところが多すぎる。


「帝国貴族、とおっしゃいましたか?」

「ええ、アンガーマン公爵家の末のご令嬢で、御年十八歳だそうですよ」


 数字の計算以外は、特に良いとは言えない頭を必死になって整理する。この男の前でこれ以上淑女らしからぬ行動はとりたくない。そう思うが、思うが……。


「先ほどアンガーマン家とおっしゃいましたが。てっ、帝国十家のアンガーマン公爵家でお間違いないでしょうか」

 思わず語尾が震えた。

 アンガーマン家は帝国の序列では、二大公爵家、三大公家に次ぐ。しかも黄金の女神の末裔である事を誇りにしている、大変気位の高い貴族だ。


「はい」

「無理だと思います!」

 思わず叫んでしまった。淑女の仮面は壊れるのが早い。


 向かいに座るアッカーの右手がそっと顎に触れた。これは不愉快な時にする仕草だ。


「いえ、わたしのことではないので、わたしが気に入るとか気に入らないとかではなく! そもそも私には関係無いことなのですがっ」


 やや前のめりになりながら、彼に詰め寄る。

「まず帝国十家の由緒正しき貴族のお嬢様が、この辺境の隅っこの我が国に来てくださいますでしょうか?」


 ところが、カタリーネの懸念をアッカーはあっさりと払い落とす。

「ええ、あちらからの打診なので、問題はないでしょう。すでに王都は出発されているとのことです」


「それに、十八歳と言えばまだ学園を卒業……今年卒業される歳ではありませんか?」

 確認するようにいうと、アッカーは黙って書類に目を落とす。


 学園の卒業は年末の最後の月に行われる。今年は残り半年、その前には卒業記念の祝賀会もあるはずだ。

 その式を出席せず、つまりは学園の卒業を待たずにこの国に嫁ぎに、しかも直接来るとはどういうことだろう。


 普通、帝国貴族が相手なら、身分の低いこちらからお見合いに行かねばならないのが、本来の筋のはずだ。


「……どうやらその令嬢は学園に入っていないようですよ」

「行っていない?」

 カタリーナは眉を寄せて、首をかしげる。


(確か私の同級生の中にも、体が弱くて入学できていない子もいたわね)


「ええ、何か訳ありのようですね」

 アッカーの声はどこか冷ややかだった。

 それに多少の違和感を覚えつつ、カタリーネは考えを巡らせる。

 アンガーマン公爵家について詳しくは知らないが、あまり良い印象はない。というか、カタリーナにとってのとても嫌な貴族の代表が、そのアンガーマン公爵家の令嬢だ。その妹にあたる令嬢がこの国に嫁いでくる。

 考えただけでも胃が痛くなる話だ。


 だが、負けるわけにはいかない。

 相手はあの性悪貴族令嬢の妹なのだから。妹、……若い……?

「十八歳!?」


 また声を上げてしまった。


 アッカーは首をかしげる。

「十八歳の、女の子に! あの熊のお嫁さんは、無理です!」


 テーブルを叩かんばかりのカタリーナの勢いに押されるように、アッカーは少し退いた。そして分厚い眼鏡を外して、傍に置く。


「アーベルを熊と言えるのはあなただけですよ。ヴィレ嬢」

「いえ、いくら何でも! 第一婚約とか結婚式とかもう決めて、それでは彼女がもしアーベルをお気に召さなかった場合どうするのですか?」


「いえ、それはどうとでもなりますよ。それにアーベルはなかなか魅力のある方ですし」


「その魅力が万人の女子受けするものではないからです。ダンス一つとっても、どれだけ毎回私が踏ん張っているか!」


 アーベルは力が強い。その上、繊細さとはかけ離れたタイプの男性だ。そんな彼の社交の為に、幼いころからダンスの相手をさせられてきたカタリーナの苦労は大きい。


 かつてカタリーナは、学園のパーティーで初めて、親族以外の男性と踊った経験がある。はじめて楽しく、気持ちよく踊れた記憶だ。

 叔父のルスト伯や兄のパートナーを務めることもあるが、あの時の楽しさに比べたらやはり物足りない。

 アーベル相手では言わずもがなだ。


 ダンスで吹っ飛ばされないように毎回頑張っている自分の苦労を思い、それを皇都から来る十八歳の少女、しかも貴族中の貴族の高慢な令嬢にお願いできるだろうか。かわいそうすぎやしないか。


 アッカーがふんと鼻を鳴らし、不機嫌そうに前髪をかき上げる。初めて見た彼の乱暴な仕草にカタリーナは息を呑む。自分が一人の男性と対峙しているのを思い知った。


「つまりあなたはその魅力を分かっていらっしゃると」

「はぁ!?」


 なぜその方向に話がいくのだ。


「あなたとアーベルがとても仲が良いことは存じていますが、やはり面白くないですね。

 ということでカタリーナ」


 突然真剣な声で名前を呼ばれた。

 驚いて顔を上げると、遮るものがない紫の瞳が真っ直ぐにこちらを見ている。

(……紫?)


「事情が変わり、悠長に構えているわけにいかなくなりました。

 カタリーナ、私と結婚してくださいませんか?」


「……はい?」


 アッカーは驚いて言葉を失うカタリーナをじっと見る。

 そしてごく自然な動作で手を伸ばす。


 そして驚きすぎて動けないカタリーナの唇にそっと触れた。


「少しは意識していただけていたと思っていたのですが、この反応を見る限りはまだまだだったようですね」


 指についた紫色のジャムをそっと舐めながら、アッカーはゆったり笑う。その仕草、その顔に、何かおそろしい魔性と表現できるような色香が漂っていた。

 こんな笑顔を見せられて、虜にならない人間はいないのではないだろうか。


 カタリーナは顔に火がついたような気がした。

 先ほどまでのもっさりとしたアッカーはどこに行ってしまったのだろう。何も言葉を発せず、ただはくはくと呼吸しながら彼を見つめる。


(こ、こんなことってある!?)



 ■■■■■




 呆然としたまま、書類の修正点をいくつか話し、その後やはり呆然としたまま退室したカタリーナの後ろ姿をだいぶ不安な気持ちで見送った後、ニコラウス・アッカーは再び皇都から届いた手紙に目を通す。


 帝国の友人からの信書には、いくつかの懸念すべきことが書いてある。

 ふと視線を落としただけで、思い通りにならない腹立たしさから、乱暴に前髪をかき上げ舌打ちをした。


 しばらくの間は難しい顔のまま書類を眺めていたが、ふと先程のカタリーナの顔を思い出し、口元が緩む。

 以前から警戒心がなさすぎるとは思っていたが、容易に接触を許したり、敬称なしで名前を呼ばれても気が付かないあたり、だいぶ危なっかしい。


「今まではアーベルに警戒させていたけど」

 それだけでは足りなかった。

 大きなため息をつきながら、アッカーは再び書類に目を落とす。

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