第1話 カタリーナは威圧したい(失敗)

「なにこれ。どういう事」


 カタリーナ・ヴィレが、思わずこぼしてしまった言葉は、彼女が思った以上に大きく廊下に響いた。


 そして、その言葉に弾かれたように、彼女に向かい合うように対峙していた金髪の少女の肩が大きく揺れる。

 光のない苔色モスグリーンの瞳が一瞬大きく開かれ、それから俯く。華奢な少女が縮こまると、まるで親からはぐれた子犬のように寂しげだ。


(しまった! 怯えちゃったわ!)


 カタリーナはあわわと慌てる。

 彼女は結えあげた真紅の髪に、黄金の瞳を持つ、このゴルドメア大陸でも比較的珍しい色合いの持ち主だ。しかも女性にしては身長も高い。威圧するにはもってこいだ。


 背後に控えるこの城唯一の女官、マティーニの顔を見ると、彼女も困惑したような顔で見返してくる。


「とにかく姫さま、お客様をお迎えしませんと!」

 背後からもう一人の付き人、侍女のエメが囁くように言ったので、慌ててカタリーナは前を向いた。


「ようこそ、アインザーム城にいらしゃいました。わたくし、この城内を取り仕切っております、カタリーナ・ヴィレと申しますわ。どうぞよろしくお願い致しますわね」

 満面の笑顔を浮かべて言ったものの、少女は顔を上げようともしない。挨拶を返すことも、名前を名乗ることもできないようだ。


 背後でマティーニとエメが固唾を呑んで見守っているが、ここでなにを言えばいいか、カタリーナは全くわからない。


(失敗だわ! 何もかも失敗だわ!!)

 カタリーナは頭を抱え、わぁわぁと騒ぎ出したい衝動を抑える。何せ今の自分の姿は、この城にやってきた少女を威圧する目的で準備したものだ。


(だって! 今日来るのは、高慢きちきちの中央貴族の令嬢だって聞いてたのに!)


 こちとら蛮族だ田舎貴族だと馬鹿にされ続けてきたカタリーナだ。

 負けていられるかと朝から二人に手を借りて準備をし、体を磨き上げた。

 自慢の真紅の赤い髪はくるっくるに巻いて、たいして自慢ではないけど、めりはりの効いた体の線を強調するようなワインレッドのドレスを着た。全身赤なので、エメが『姫さまの色彩センスはどうなってるんですかぁ』と嘆いたので、羽織るケープは皇都で流行っているいるという白い生地のものだ。縁取りに毛皮が使われているので、夏の今にはちょっと暑苦しいが、まぁ威圧感は増すだろう。


 そばかすもしっかり隠し、化粧も威圧感増しマシにした。尖った犬歯がちょっとだけコンプレックスの口には、これでもかと真っ赤な口紅を塗った。エメは『姫さまにはこういう化粧似合わないですよぅ』と嘆いていたが、いいのだ。

 初回どれだけ相手を圧倒できるかが、勝負に関わるのだから。


(なんて、考え込んでる場合じゃないじゃない!)

 いつもの三割り増し脳内が騒がしいカタリーナは、真っ直ぐに目の前の少女を見つめる。


 彼女はたった一人、お付きの侍女もなく、大陸からはるばるこのティグノス諸島連合に嫁いできたのだ。この国の国王、アーベル・アインザームの妻となるために。

 少女の名前はフィリーネ・アンガーマン、帝国国内に四つしか存在しない公爵家の娘で、カタリーナとは比べ物にならないほど高貴なご身分のはずだ。


 なのになぜ、たった一人で、しかも薄っぺらいワンピース一枚でここに立っているのだろう。使い込まれたブーツにこれまた古びたトランク。どちらも令嬢が使うものではない。これではまるで、使用人のようではないか。

 怯えて震えているその姿を見ると、途端にカタリーナは叫びだしたくなるような衝動に駆られる。


(十八で嫁ぐ娘にこれはないだろう!!)

 カタリーナは怒った。彼女は非常に短気なのだ。


 とにかく、怯えている少女を一刻も早く保護せねば。

 つかつかとフィリーネに近づく。ひっとその喉が鳴り、更に体を縮こめてしまったので、カタリーナはちょっと悲しくなる。だが、自分のこの容貌では、怯えられるのも無理はない。


「長旅でおつかれでしょう。今日はゆっくり休んでくださいませ。お部屋を用意しております。ご案内しますわね」


 カタリーナは自分の羽織っていたケープを脱ぎ、フィリーネの震える肩にそっとかけた。


 振り向いてひとつ頷くと、エメがさっと動きだした。フィリーネはこの侍女に任せることにしょう。

 エメに付き添われ、俯いたまま歩いて行くその後ろ姿を笑顔で見送ったカタリーナだが、二人の後ろ姿が角を曲がった途端、その微笑みは一瞬にして凶悪な色を孕んだものになった。


「マティーニ、後はお願いね。わたしはちょっとあの男に抗議してくるわ」

 そう言い残し、返事も待たずに走り出す。ドレスが足に絡むし、いつもより強調している胸が大変鬱陶しいが、構っていられない。

 すれ違う兵や城おじじたちが、ギョッとしたような顔でこちらを見ているが、やはり構ってはいられない。


「あの男、やってくれたわね!」


 その日は、毒付きながらアインザーム城を駆け抜けるカタリーナの二十歳の誕生日。


 四季の変化が少ないこのゴルドメア大陸の東の果て。

 ティグノス諸島王国にも、夏らしい気配が漂うような、そんな日のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る