第2話 『姫さまは今日も独り言が多い』

 かつて地上に降臨した黄金の女神に護られているというゴルドメア大陸。そこから離れた東の海上に、このティグノス諸島王国はある。


 もし上空から地上を俯瞰できる存在がいるとしたら、この島は一頭の虎の姿に見えるかもしれない。

 その虎は、大陸から幾つもの足跡を残しながら進み出、やがて東南に向かって大きく跳躍するように四肢を伸ばす。


 その獣の頭部に当たる場所には、霊峰と呼ばれる山がある。山頂は高く、崖のような絶壁に囲まれているため、人が登ることは叶わない。

 その山頂には、今でも一頭の虎がいて、果てしない南の海に想いを馳せているのだと言う。


 その神獣は緋虎と呼ばれている。


 そんな伝説が眠るティグノス諸島王国の王城、アインザーム城の一室。

 柔らかい朝の光が、カタリーナの枕元を照らしていた。

 

 なんとか上半身を起こして、朝が来た事を確認すると、カタリーナは再び寝具に突っ伏した。まだまだ眠い。

 不用心に少し開いている窓から忍び込んでくる風が、カタリーナの自慢の真紅の髪を揺らしている。


 もう一度顔を上げて、カタリーナは諦めたようにため息をついた。枕元に隠している鏡を取り出し、そこに映る自分の顔を凝視する。


(……ひどい顔)


 昨日は遅くまで仕事をしていたので、目の下にはくまができている。もうすぐ二十歳の誕生日を迎える、うら若い乙女なのに悲しい。

 だからといって、しっかり自分を磨いている余裕はない。やっぱりとても悲しい。


 けれど、鏡の縁に可愛らしく装飾された色とりどりの宝石が、朝日を受けてキラキラ輝くのを見ると気持ちが少しだけ明るくなる。

(本当にかわいい……)


 この鏡は、最近同僚にプレゼントされたものだ。

 カタリーナはこういう外見なので、可愛いものに縁がないと思われている。が、きらきらした小物は心が躍る。持っているだけで幸せになれる。

 流石に子供っぽいと思われる気がして、こんなところにこっそり隠しているが。


 お気に入りの鏡をそっと枕元に戻して、カタリーナは起き上がる。大きく背伸びし、そしてふと、外を見て息をのんだ。


 今日も大海原はきれいだ。

 この部屋が海側の壁一面がガラス戸になっており、そこからは蒼海が一望できる。

 毎朝目にしているのに、毎回感動してしまうので、自分は本当に単純だなとカタリーナは苦笑した。


 ここはティグノス城でいちばん良い部屋だ。もともとは王妃の部屋で隣には国王、従兄弟のアーベルが生活している。

 いわゆる続き部屋というやつだ。

 本来ならこの城の女主人が住む部屋だが、あいにくアーベルは独身。色恋沙汰のいの音も聞こえないようなむさ苦しい筋肉だるまである。


 王城一番のテラスを持つ素晴らしい部屋を、無人のままにしておくのは勿体無い。

 可愛らしい猫足のソファや、使い込まれたオーク材のチェストなど、カタリーナは前王妃の叔母がどれほど大切に使っていたか知っている。

 叔母も生前、自分の後にこの部屋を使うのはカタリーナね、と言っていたのだ。そういうわけで、ちゃっかりカタリーナは王城のこの部屋を使わせてもらっている。


 城のみんなも最初は苦笑いをしていたが、最近はなにも言われなくなった。

 他国の友人によると、いつの間にかアーベルとカタリーナが恋人同士になったという噂が広がったらしい。残念ながら二人は兄妹も同然なので、双方その気はない。友人には全力で否定させてもらった。


 皆の呆れかえった顔には閉口したが、まぁいいのだ。こんな素敵なお部屋は他にはないのだから。

 そういうわけで、いまだに文句を言うのは、某同僚のみとなっている。


 一つ問題があるとしたら、隣の国王の部屋に続く扉だ。これには鍵がついていない。夫婦の部屋なので当然かもしれないが。


 一度酔っぱらいのアーベルが酒瓶を抱えて侵入してきた事があったので、それ以来この扉はチェストで塞いでいる。

 テラスは繋がっているので、本気でアーベルがこの部屋に入ろうとしたら防ぐ手段はないのだが、もちろんアーベルはそんなことはしない。


「朝の筋トレの声さえ聞こえなければなぁ……」

 そんなことをぼやきながら、カタリーナは姿見の前に立ち、身だしなみを整える。


 服装はいつもおなじ、シルクのブラウスに、ワインレッドのスカート。胸が大きいので、どんな服を着ても無駄に目立ってしまうのがコンプレックスだ。昔から海に出ていたので、肌にはそばかすが浮いているが、そのまま。真紅の髪は一つに括るだけ。


 妙齢の女性としてはあまりに雑だが、今は身支度を整えるより重要なことがある。

 カタリーナはしっかり鏡の中の自分を見て言う。


「なにがなんでも今日中に、仕事を終えるのよ、カタリーナ」


 そして今日の夕方には大陸に向かう船に飛び乗らねばならない。明日の夕方には、とある夜会に出席するのだ。


「明日こそ、お婿さまを見つけなきゃ!」


 そう、明日は一年ぶりの婚活パーティー。

 いや、本当は違う。隣国に帝国の皇子とやらが訪れているそうで、その歓迎の為の夜会が開かれるのだそう。

 招待状をくれた同僚によると、隣国の貴族の大半が集まるらしい。中には皇都で働いている独身の男性も多いという。これは滅多にない、出会いのチャンスに間違いない。


 カタリーナは、来週の誕生日で二十歳になる。いわゆる結婚適齢期というやつだ。


 貴族の娘の多くは結婚が可能になる十六歳前後には婚約者をつくる。

 国家間の政略結婚も珍しくないが、貴族の子息子女たちが集まる学園で出会い、結婚する例も少なくない。思えばその頃に本気で婚活すればよかったのだが、なんせあの頃の自分は色恋沙汰には興味がなかった。

 学園卒業後は生国の内務官の仕事を引き受けてしまった為、毎日仕事に追われ、あっという間に二十歳。友人の中には既に子供が生まれた子もいる。

 カタリーナは焦っていた。何が何でも今年中に、皇都で働く男性と巡り合って、そしてせめて婚約まではこぎつけたい。


 これまで何度か、帝国主催の公式行事や出会いが目的の夜会や舞踏会にも参加しているが、ことごとくうまく行かなかった。


 この国の貴族で、独身の娘はカタリーナしかいない。なので、同じく独身で婚約者のいないアーベルのパートナーを務めることが多かった。

 華やかな場であっても、自他ともに認める熊男アーベルの隣にいては、声をかけてくれる男性は皆無だ。

 せっかくイケメンが闊歩しているというのに、ひとりで猟に行こうと思っても心配性のアーベルに手を掴まれ、カタリーナはついにこの年までろくな出会いも無いままだ。


 外見には自信はある。あるのに!

 真紅の髪も、黄金の瞳も、母譲りのこの顔も、決して悪くはない。体は出るところは出る、締まるところは引き締まった美しいプロポーションで、女性としては身長も高く、足も長い。完璧と言っていい。

 顔に関していえば、神々しき帝国貴族の中ではそれほど目立つ方ではないが、それなりに作りはよいと思う。少なくとも遠慮して俯くより、堂々と顔を上げているほうが女性として誇らしいとカタリーナは思うので、いつも自信たっぷりに前を向いている。

 なのできっと、アーベルのいない明日にはいい出会いがあるに違いあるまい。


「大丈夫、絶対決めてみせる!」

 カタリーナは姿見の前で一人気合を入れた。


 ______________________________



 そんなカタリーナの後ろ姿を、ちょうど彼女を起こそうと入ってきた城おばばのターラは、ちょっと呆れつつも温かい目で見守っていました。

 サブタイトルは城おばばたちの感想。笑

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る