君の隣で見る夢は---緋虎をめぐる幻想譚---
ひかり
【序】その出会いは
「あら、だってわたしは黄金の女神に戦いを挑む者ですのよ?」
少女らしいその声は素晴らしく明瞭で、まるで払暁の光のように、彼の心に届いた。
彼は呆然と少女を見返す。
真紅の髪に金の瞳は、この大陸では珍しい。だが幼さの残る顔に健康的な肌の色の、どこにでもいそうな少女だ。
彼はますます混乱する。
黄金の女神と戦う? この帝国の主たる神に?
意味がわからない。
だが少女はその金の瞳をキラキラと輝かせながら、彼を見つめる。
その時、その瞳が彼の中に何かの種を植えた。
それが彼と少女、カタリーナ・ヴィレの出会いだった。
■■■■■
このゴルドメア帝国の貴族たちは、帝国が運営する学園への入学が義務付けられている。
この学園は冬至で始まる新年に入学式があり、その半年後、夏至の日とその次の日、学祭と呼ばれる大規模な催しが開かれる。その最後を飾るのが生徒会主催の夜会、いわゆる後夜祭と呼ばれるものだ。
今年入学の生徒たちにとっては、社交デビュー前のはじめての公式の場となる。
この後夜祭には帝国の主だった貴族が呼ばれることもあり、彼は父の名代としてその場に参加していた。
だが、会場に足を踏み入れた瞬間から、うんざりした。できるだけ目立たぬように動いたつもりが、女学生らに一瞬で取り囲まれたからだ。
彼は自分の容姿が優れていることを自覚している。金の髪に、独特の色を持つ虹彩。その昔、『あなたの瞳は魅了の効果があるから注意してね』と言ったのは誰だったか。だが目を合わせなくても、どれだけ無表情でいても、意味がない。
娘たちの甲高い声に囲まれ、彼はなんとか社交辞令の挨拶を返しながら、息が詰まるのを感じた。
この娘たちは、彼の表面、皮一枚にしか興味がないのだろう。もしくは、宰相補佐、将来はこの帝国の内務の長になる地位にか。
彼の中に湧き上がるのは嫌悪だが、それを隠すくらいの分別は持っている。
と、その時。
「まぁ小煩い小鳥たちですこと。姦しいだけ、ちぃっとも可愛らしく無い。さっさとお散り」
少女にしては少し低めの、だがはっきりと通る声が響く。
声の主は亜麻色の髪を高く高く結い上げた、
今年十四歳になり、この学園に入学した彼の妹だ。
妹は贅を凝らした扇をわざとらしく振るう。そして年不相応なほどしっかりと化粧した顔で、彼を取り囲んでいた娘たちを睥睨した。その中には勿論上級生もいたのだが、妹のその恐ろしく尊大な態度に、周囲は息を呑むしかない。
「散りなさいと言ったでしょう。喧しいだけで何の役にも立ちはしない。しかも礼儀もなっていないとは。これ以上私のお兄様を煩わせないでちょうだい」
妹の態度を誰も抗議できないのは、彼女がヴェルドフェス公爵家という、帝国で最も力を持つ公爵家の娘だからだ。
名残惜しそうに立ち去る小娘たちを、侮蔑の表情を浮かべながら見送ったあと、妹はぱっと彼を見上げ、嬉しそうに微笑んだ。
「お兄様、今日もきらっきらに目立っていますわね! どこにいらっしゃるか、探さなくても良くて楽ですわ!」
「……それは全く嬉しくない。だがエルヴィラ、助かったよ」
この妹エルヴィラは、彼がこの容姿でどれほど生きにくい人生を歩んでいたかを知っている。
わざとらしく周囲の敵意を煽るのも、彼と彼に群がる者達の間に距離を取るためだ。
妹はにっこり微笑み扇を畳むと、そっと手を差し出す。
「ファーストダンスはお兄様とじゃなきゃ嫌よ。さぁ、この妹を讃えて」
いや、エルヴィラはこういう性格なのだ。
仕方ないなと彼は手を伸ばす。
「承知しましたよ。我が姫」
始まり出した音楽に合わせ、先程壇上で開会の挨拶をした当代の生徒会長総帥が踊る。確か彼は西の大公国の公子だ。パートナーをつとめるのは彼の婚約者、確か西部諸国の王女。
かつてこの学園で同じ役職を務めた彼は、それを懐かしく思い出す。だがあの時踊った相手は誰だったのか。それも今は記憶にない。
西の公子の見事なダンスが終わると、会場は一斉に色めき立つ。
各々、自分の決めた相手と手を取り、音楽に合わせて踊る。
彼も妹の手を引いたが、反応が悪い。横を見ると、妹は壁際に並ぶ生徒たちを見ていた。
そして突如、悪戯を思いついた子供のように笑う。
「お兄様、わたしのお友達を紹介するわ」
会場の眩しいほどの灯りに照らされて、妹の
妹の、友達?
この気難しく矜持の高い妹に、付き合える子供などいるのだろうか?
彼は首を傾げる。
「よければ、そのお友達と踊ってくださらない? 何と彼女、あの『紅焔の魔女』の子孫なのよ!」
彼のほんの少しだけ、目を見開く。
そして妹に手を引かれるまま、壁際へと歩き出した。
「なんと曽祖母なんですって! わたくし、とってもびっくりしましたわ!」
実は彼の妹は、三度の飯より魔導具が好きだという変わり者だ。
そして紅焔の魔女とよばれる人物は、東のティグノス諸島連合にかつて存在した高名な魔導具師で、その子孫は彼の友人にもいる。
という事は。
(あいつの妹の、例の令嬢か)
親友と言ってもいい友人の顔を思い浮かべながら、連れて行かれた先に立っていたのは、ひとりの少女だった。
真紅の髪に金眼の乙女。日に焼けた肌にはやんちゃなそばかすがいくつも浮かんでいる。決して豊かではないティグノスの国勢ゆえか、身に纏っているドレスは少々流行から離れた古い物だが、柔らかい若草色はよく似合っていた。
「カタリーナ、あなた誰とも踊らないつもりでしょう!?」
妹が声を弾ませる。だがカタリーナと呼ばれた少女は二人の姿を認めて、それからふいと視線を逸らした。
「私みたいな田舎貴族はこの場にふさわしくないんですって。踊らないわよめんどくさい」
「まぁ! またヴィクトーリアですの? あの女も飽きないわね」
妹が吐き捨てるように言ったのは、同じ帝国の公爵家の娘の名だ。確かエルヴィラと同い年なので、この会場に居てもおかしくはないが。
「じゃあ、ちょうどいいわ。カタリーナ、この人と踊ってちょうだい!」
エルヴィラが押し付けるように彼を差し出す。一方の少女も突然の事に驚いたようで、ぱちぱちと金色の目を瞬かせた。
流石にこれは無理強いだろう。
彼が抗議の意味を込めて妹を睨むと、妹は楽しそうに微笑んで手を振る。仕方ないので、彼はその真紅の髪の少女に手を差し伸べた。
「はじめまして。申し訳ないが、一曲だけお付き合い願いますか?」
少女はきょとんとした顔で彼を見上げ、そしておそるおそる彼の手に自分の手を重ねる。
そこで彼は、おや? と思った。
彼の顔を至近距離で見て、紅潮しない少女は初めてだ。その瞬間、俄然興味が湧いた。
年齢の割には背の高い少女と並び歩く。ダンスの方はあまり慣れていないようだが、それでも動きが良い。彼は久々に楽しいという感覚を味わっていた。
だからつい、気が緩んだ。気になっていたことを口に出してしまった。
「ヴィクトリーア・アンガーマン公爵令嬢をやり込めたとか。噂を聞きました」
噂とういうか、帰宅した妹が誇らしげに話していたのを聞いただけだ。
「あそこは古き黄金の女神の血を引く家系。恐ろしくはないのですか?」
踊りながら投げかけた問いに、少女が返した言葉が、冒頭の言葉だった。
「戦い? 女神に、ですか?」
思わず食いついてしまい、彼は後悔する。
取り入ろうと、突飛な話題で彼の注意をひこうとする女性は沢山いる。
だが少女は楽しそうに体を動かしながら、世間話でもするかのように話す。その口調は軽く、ねっとりと欲の絡む声に慣れている彼は新鮮に感じた。
「そうよ、大陸には緋虎の伝説は知られていないのかしら?」
「緋虎……確か、朱の女神の神獣」
彼の言葉に、少女は満足そうに頷いた。だが、帝国には緋虎の伝承は一切伝わっていない。彼が知っているのは、緋虎の末裔という友人がいたからだ。
「むかしむかし、朱の女神は姉妹神のなかでい一番美しくて、愛らしかった。それを疎んだ黄金の女神が、朱の女神を果てしない南の海に封印しようとしたの」
そんな話は聞いたことがない。
帝国内に伝わる黄金の女神は常に慈悲深く、寛大だ。嫉妬とはあまりに違う性質の女神だ。
だが彼は知っている。
かの女神が嫉妬深く、執念深いという事を。
「へえ、聞いたことがないですね」
心の中は珍しく好奇心に溢れていたが、それを悟られないように返答する。
「本当に? 誰でも知っている話だと思っていたわ」
彼女は金色の瞳を大きく見開く。
「それで、怒った緋虎は、朱の女神を守るために黄金の女神の喉元に食らいついたのよ」
流石にぎょっとして、彼はその少女を見下ろす。若い男女が踊りながら話す話題ではない。
「黄金の女神は怒って、大地の剣を緋虎の頭に突き刺したの。緋虎はそれでも、朱の女神のそばに行こうと海を渡り、途中で力尽きた」
その緋虎の体がティグノス諸島王国、そして大地の剣が神峰『嘆きの山』だという。
さらに緋虎は自分の魂を三つに割いた。
そしてアインザーム、ルスト、ヴィレの三家を作り上げ、彼らに命じたという。
ーーー決して諦めるな。南の海の果てに封印された朱の女神を救い出せ。
女神が孤独に飢えぬよう、その魂のために祭事を欠かすな。女神の心を癒すよう、歌を欠かすな。
少女の足が止まった。
彼が神話の時代に思いを馳せていた間に、一曲終わったらしい。少女は礼をし、さっさと彼の元から離れようとしている。
「あ」
ここで引き留めて、話の続きを聞いたい。
いや、この弾けるような笑顔の少女と、もう少し会話がしたい。彼は手を伸ばす。
だが少女はそんな彼に気がつくことがなく、あっという間に彼から離れてしまった。
虚しく宙をかいた自分の手を見下ろしながら、彼は笑う。
黄金の女神と戦う、緋い虎の末裔という少女。
きらきらと輝く黄金の瞳で、何の躊躇いもなく彼の手を離した少女。
できるならばあの少女を、手に入れたい……。
何かに導かれるように、彼はそう強く望んだ。
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