15. OVERHEAD KICK

「えっ……?」林さんが目を剥く。「竹内パイセンと森下パイセン、二人でなんかやってんスか?」


「う……」


 それ、ここで言うか……?


 森下さんをチラリと見ると、彼女は恥ずかしげに下を向いていた。


 ぶっちゃけ、彼女とは結構微妙な間柄だと思う。だけど……その関係まで話すことはないにしても、彼女の化学物質過敏症の話はこの二人にもしておいた方がいいかもしれない。ふとした拍子に彼女が反応して泣き出したりしたら、何も知らなければこの二人だってパニクるだろうし。


「森下さん……ケミカルなんとかの話、この二人にもしてもいい?」


「!」森下さんがビクンと顔を上げる。が、すぐにコクンとうなずいた。僕は話を切り出す。


「いや、実はね……」


    ---


 というわけで、これまでのことを僕はかいつまんで話した。


「あーしもハウスダスト、ダメなんスよね。花粉もちょっと反応するんスけど」苦笑しながら林さんが言う。


「まあ、アレルギーとはまたちょっと違うみたいなんだけどね」と、僕。「それを言ったら僕だってスギ花粉のアレルギーあるし」


「でも、匂いで感情が左右されるって言うのは、分かる気もするな」杉浦だった。「俺の姉貴がアロマに凝っててさ。以前、安眠できるから、って勧められて俺も試してみたんだけど、そん時はやっぱよく眠れるような気がしたからな。ま、プラシーボってヤツかもしれんけど」


「そう言えば、匂いをかぐと記憶が蘇る、って話あるじゃないスか」と、林さん。「あれって何て言うか、知ってます?」


「……いや、知らんなあ」と、杉浦。


「僕も」言いながら、僕も首を横に振ってみせる。


「……プルースト効果?」


 森下さんがそう言った瞬間、林さんが満面の笑顔になった。


「すげーっ! さすが森下パイセン! 当たりッス! やっぱパイセン、マジリスペクトッスよ! アネキと呼ばせてくだせぇ!」


「え……アネキ……ですか……」


 森下さんの笑顔が強ばる。ここは助け船を出した方が良さそうだ。


「なんでプルーストなの?」僕が問いかけると、林さんは得意げに言った。


「プルーストの『失われた時を求めて』っていう小説に、主人公がお菓子の匂いで昔を思い出すシーンがあるんスよ。そこから来たみたいッス」


「へぇ」


 そうだったんだ。


「んでッスね」相変わらず得意そうに、林さんは続けた。「なんでそうなるか、って言うと、嗅覚以外の感覚は大脳新皮質で認識されるんスけど、嗅覚だけは新皮質をすっ飛ばして大脳辺縁系に直接届くんス。だから嗅覚って一番原始的プリミティブな感覚で、感情に直結してるんスよ。アロマとかで気分良くなったりするのはそういうわけッス」


「そうなのか」杉浦が深くうなずく。


「そんでぇ、きっと森下ネキは普通の人よりも嗅覚が鋭いんスよ。それで植物と感情がシンクロしてるのかもしれないッス」


「植物の感情? そんなのあるの?」僕は思わず聞き返した。


「まあ、さすがに人間のそれとは根本的に違うと思うんスけど、感情って本能つか欲求と直結してるんスよね。植物もその辺りは同じで、例えば水が足りないと水に対する欲求でストレスを感じてたりするらしいッス。植物の水ストレスを測定する機械もあるらしいんスよ」


「そうなんだ。この前松崎先生から、植物にはある種の知性がある、なんて話を聞いたんだけど、感情もあるなんて……」


「ええ。だから、ひょっとしたら、鱗茎の植物は悲しんでて、塊茎の植物は怒ってて、根茎の植物は困惑しているのかもしれないッス。なぜかは分かりませんが」


「そう言えば松崎先生も似たようなこと言ってたな。『森下さんは植物の言葉が分かるのかもしれない』って」


「ああ、そういう解釈もアリッスね! さすがあーしの推し先生ッス!」


 林さんがトロンとした目になった。


「でさあ、話は変わるんだけど」杉浦がジットリとした目で僕を見つめる。「お前と森下ちゃん、ほんとに付き合ってないの?」


「……!」


 一瞬、場が凍りついた。


 こいつ……なんて爆弾をいきなり落としやがんだよ……


「え、ええと、今のところ、そう言う関係では……ないと思うけど……」


 言いながら、ちらちらと森下さんの様子をうかがう。相変わらず彼女は下を向いていたが、徐々に頬が赤く染まっていった。


「いや、でもさぁ、森下ちゃん、二人分弁当を作って持ってきたんだよな? で、二人で上越の公園に行って一緒に弁当食べたんだろ? なあ竹内、これがデートじゃなかったらいったい何だって言うんだ?」


「……」


 杉浦の主張には、正直僕も激しく同意するところだ。何も言い返せない。


「マジッスか!」林さんが笑顔で言う。「森下パイセンも竹内パイセンも、意外にやるじゃないスか! あーし、お二人がお付き合いするなら祝福しますよ! 結構お似合いだと思うし!」


「……」


 参った。こんな展開になるとは……完全に予想外だ。

 どうしたらいい……ここではっきり否定してしまうと、森下さんとの関係もおそらく完全に終わってしまう気がする。かといって、肯定してしまうと……森下さんにその気がなければ非常に気まずい状況になってしまう。どっちを選んでも地獄が待っていそうだ……つか、杉浦ももうちょっと空気読んでくれよな……


 しかし、ここはもうどちらかを選択しなければならないようだ。となると、自分に素直になるしかない。というか、既に杉浦には、僕の森下さんに対する気持ちは知られてるわけで、今さら嘘をついても……


 ん? まさか……こいつ、僕の気持ちを知ってたからこそ、こういうことを言い出したんじゃ……ないだろうな……


 いずれにせよ、覚悟を決めなくては。僕は森下さんを真正面から見つめ、とうとう言ってしまった。


「正直、僕は……森下さんとお付き合いできれば嬉しい、と思ってる」


「!」森下さんの顔が跳ね上がった。驚きの表情で僕を見つめる。ええい、この勢いで告白してしまえ。


「森下さん……初めて会った時から、ずっと好きでした。僕とお付き合いして……くれませんか?」

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