16. UNEXPECTED LOVER

「……ごめんなさい」森下さんは首を横に振って、俯いた。


「!」


 うわあああああ! 終わったぁ!


「私……暗くて、つまらない女なので……竹内さんにはもったいないです」


 こ、これは……定番の断り文句……?


 ダメだ。何も言葉が出てこない。ショックが大きすぎる。うなだれた僕の視界が、涙で滲み始めた。


「森下パイセン! 何言ってんスか!」林さんだった。そのまま彼女は右手で森下さんの左肩を掴み揺さぶる。


「きゃっ……」森下さんが小さく悲鳴を上げた。


「パイセンは暗くないし、全然つまらなくないッス! それどころかめっちゃカワイイッスよ!」


「で、でも……私、さっき言ったみたいに他の人と違うところあるし……自分でも、おかしな人間だって思うし……」


「もう……そういうところも全部ひっくるめて、竹内パイセンは森下パイセンが好きなんスから! ね、そうっしょ? 竹内パイセン?」


「もちろんだよ」僕は即答する。林さんの言うとおりだ。心からそう思う。


「だったらなんも問題ないっしょ? それとも……森下パイセン、他に好きな人がいるとかッスか?」


「い、いえ……そういうわけでは……」


「だったら、パイセンは竹内パイセンのことをどう思ってんスか? この際だから、本音ではっきり言った方がいいッスよ?」


「……」


 あからさまに森下さんは困り顔だった。


 これではっきりした。彼女は僕に対してその気はない。弁当なんか作ってもらったりして、僕一人が舞い上がっていただけだ。バカだよな……

 だとしたら、もうこれ以上彼女を苦しめる必要はない。


「林さん、もういいよ」林さんから森下さんに視線を移し、僕は頭を下げる。「ごめんなさい、森下さん。困らせてしまって……さっきのは聞かなかったことにしてください。これからはもう、迷惑かけたりしないから……」


「ち、違います!」


 彼女らしくない大声で、森下さんは僕の言葉を遮った。そして、ポツリポツリと話し始める。


「私……竹内さんと一緒にいて、ほんとに楽しかったんです。また、一緒にお出かけ出来たらな……って、思ってました。でも……竹内さんははっきり私のこと、好きって言ってくれましたけど……私、男の人を好きになるって気持ち、よくわかってなくて……そんなんではとてもお付き合いなんてできないですよね……」


 ……え?


 それって、僕のことを好きか分からないから、付き合えない、ってこと……?


「はぁ……」林さんがあからさまにため息をついた。「森下パイセン……竹内パイセンと一緒にいて楽しかったんスよね? これからも一緒にいたいんスよね? それはもう、間違いなく好きってことッスよ! そもそもッスね、好きな人のためじゃなかったら、お弁当作ったりしないっしょ?」


「え……」


 ポカンとした森下さんの頬が、徐々に赤みを増していく。


「好き……? 私が……竹内さんを……」


「そうッスよ! だったらもう、オケっつーことでいいんじゃねッスか?」


「……」


 真っ赤な顔のまま、森下さんは上目遣いで僕を見つめる。そして……モゴモゴと口を動かした。


 その声はファミレス内の喧騒に見事にかき消されてしまったが、彼女の唇は明らかにこう動いていたのだ。


 ”こんな私で良ければ……よろしくお願いします”


 その瞬間、僕と彼女の隣で同時に拍手が巻き起こる。


「おめでとう、竹内!」


「やりましたね! 森下パイセン、カップル成立ッスね!」


    ---


 こうしてこの瞬間、僕と森下さんはカップルになってしまった。の、だ、が……


 全然実感がない。というか、未だに信じられない。この場でこんなことになるなんて……予想もしていなかった。


 それでも、僕が目の前の彼女を見つめると、彼女も恥ずかしそうに上目遣いでこちらを見つめてくる。ヤバい。かわいすぎる。


「あーあ。さっそく二人だけの世界に突入ッスか」


 呆れ顔の林さんだった。


「う、ごめん」


 そうだった。ここはまだコンパの場なのだ。二人だけの世界に入ってしまうわけにはいかない。


「別にいいッスよ」ニヤニヤしながら、林さん。「まあでも、これで森下パイセンもモヤモヤがスッキリ解消出来たんじゃないスかね。化学物質過敏症も結構ストレスが影響してる気もするし、案外これで治っちゃったかもッスよ」


「そうですね……」言いながらも、森下さんはあまりスッキリした顔をしていなかった。


「あれ、パイセン、まだなんか心配事でもあるんスか?」


「あ、いえ、何でもないです」慌てて森下さんは笑顔を作る。


「ほんとッスか?」横目で森下さんを見ながら、林さん。「この際だから、色々ぶっちゃけたらどうスか? なんか困ったことがあるんなら、あーしらで良ければいくらでも相談に乗るッスよ」


「……」しばらく森下さんは口ごもっていたが、やがて意を決したように顔を上げる。「困ってるって程じゃないんですけど……最近、なんか変な夢を良く見るんです」


「変な夢? どんな夢ッスか?」


 それは僕もぜひ聞きたいところだ。


「夢の中で二人の神様がケンカしてるんです」


「神様のケンカぁ?」林さんの口が開きっぱなしになった。


「ええ。一人は男性で、もう一人が女性。二人とも、ギリシャ神話の神様みたいな格好してて、だけど取っ組み合いのケンカをしてて……」


「その二人、どんな格好をしてるの?」なぜか杉浦が食いついてきた。


「ええと、男性の方は、ヒゲもじゃで何か手に持ってて、電撃が武器でした。女性の方はものすごい美人で、イルカに乗ってました」


「ああ……何となく分かった。男性はゼウス。絶対神だな。雷が武器だからそうだと思う。女性はたぶん、アフロディーテ。美の女神だ。イルカに乗ってるなら、たぶんそう。アフロディーテの神獣はイルカなんだ」


「杉浦……詳しいな」


 意外だった。彼がこんなに神話に詳しいとは……


「ああ。星座や星には神話由来の名前がついてることが多いからな。ギリシャ神話もローマ神話も北欧神話も、俺は一通り押さえてる」


「そっか。そういや高校時代、天文部だったんだっけ」


「えー! 杉浦パイセン、天文部だったんスか?」林さんが口を挟むと、


「そうだよ。だから?」杉浦が突っかかるように応える。


「いや、意外だったッス。パイセン、茶髪だし割とチャラ男ぽいッスから……」


「茶髪が天文部で悪いか?」杉浦はムッとした顔になった。「つか、てめえだってチャラいギャルじゃねえかよ。日サロで肌焼いてっし、髪も染めてっし」


 みるみる林さんの目が吊り上がっていく。


「言っとくッスけど、あーしは肌も髪も地のままッスよ! 焼いたことも染めたことも一度もねッス。高校の頃毎日テニス部で練習してたらこうなったんスから。だからあーしは天然100パーのギャルッスよ!」


「まあまあ」僕は二人の間に割って入る。「とりあえず、話を戻そう。森下さん」


「は、はい?」


「森下さんはギリシャ神話読んだことあるんですか?」


「小学校にあった子供向けの本で、ちょっと……でも、中身は良く覚えてません……」


「そうなんスか」林さんだった。「それでも、たぶんゼウスとかアフロディーテの特徴は、潜在意識に刻み込まれてたんじゃないスかね。それで夢に出てきた、と。しかし、なんでゼウスとアフロディーテが出てくるのかはよくわかりませんが」


「だな」と、杉浦。「神話の中でも、特にゼウスとアフロディーテの仲が悪くて戦った、みたいなエピソードはないからなぁ……」


「でも、同じ夢、何度も見るんです」森下さんだった。「だからと言って何か困ったりしてるわけじゃないんですけど……なんとなく、気になってて……」


「そういや、木星と金星が同じ方向に見えるって、最近話題になったよな」と、杉浦。


「……は?」僕は思わず杉浦を見つめる。なんだこいつ。いきなり何も関係なさそうな話を始めたぞ?

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