17. LOVE IS IN MY SIGHT

「杉浦パイセン、話が見えないッス」どうやら林さんも同じように思ったようだ。


「え、ああ、そうか。ゼウスってローマ神話で言うユピテルだろ? 英語読みしたらジュピター」


「あ……木星ッスね!」林さんの目が丸くなった。


「ああ。そんで、アフロディーテはローマ神話で言うウェヌス。英語読みすればヴィーナス」


「金星だ!」ますます目を輝かせて、林さんが森下さんに振り向く。「実は森下パイセン、その状況を夢に見てる、ってことじゃないスか?」


「え……そうなのかな……」キョトンとした様子で、森下さん。


「パイセン、木星と金星が同じ方向に見えるって、知ってました?」


「ええ。ネットのニュースで見ました。自分の目でも、晴れた日の夕方に空を見たら、明るい星が二つあって……あ、ほんとだ、って思って……」


「じゃあ、きっとそれっしょ! それで無意識に夢の中に出てきたんスよ」


「まあ、同じ方向にいても、別に戦ってるわけじゃないけどな」杉浦だった。「つか、こっちから見て同じ方向に見えたって、実はめっちゃ距離離れてんだよ。かたや内惑星、こなた外惑星だからな」


「……もう、この人なんでそう盛り下がるようなこと言うかなぁ」再び林さんが呆れ顔になった。僕は森下さんに問いかける。


「それはともかく、森下さんはローマ神話も知ってたんですか?」


「ええ……昔、子ども向けの本で読んだことあったかもしれません」


「だったら、やっぱ林さんの言うとおり、木星と金星が一緒に見えるってことから呼び起こされた夢なんじゃないですかね。脳科学か何かの本で読んだんですけど、夢って記憶の整理のために見るらしいですから、過去の記憶が色々混ざってそういう夢になったのかも」


「なるほど……」森下さんがうなずき、嬉しそうに微笑む。「やっぱり、相談してみるものですね。私一人で考えてても分からなかったことが、みんなに相談したら色々明らかになりましたから。ありがとうございます」


「くぁー! 森下パイセン! むちゃ尊いッスー!」


 いきなり林さんが森下さんに抱きついた。


「ひゃぁっ!」森下さんが小さく悲鳴を上げる。


「……もしかして、なっちゃんってLの人?」杉浦が意外そうな顔になった。


「L?」森下さんに抱きついたまま、林さんが杉浦に顔を向ける。


「いや、だから……LGBTの……さ」


「あー、そう言うんじゃないッス。あーし、恋愛嗜好はノーマルっすから。けど、そういうのとは別で、女子にとってもかわいい女子は尊いんスよ。彼氏持ちの森下パイセンだって、そういうのあるッスよね?」


「ふぇっ!?」森下さんはポカンとしていたが、やがて小さくうなずく。「え、ええ……なんとなく、わかります」


「ほらぁ! 言ったっしょ?」得意そうに、林さん。


「そっか。良かったな、竹内」杉浦が、ポン、と僕の肩を叩く。「百合の間に挟まる男にならなくて。それ、一番嫌われるヤツだからな」


「心の底からどうでもええわ!」


 なぜか関西弁が口をついて出てしまった。


    ---


 森下さんの門限が21時というので、20時45分にコンパはお開きとなった。「駅まで送っていこうか?」と杉浦が林さんに声をかけたが、彼女は「あーし、自分の車で来てるんで! それじゃ!」と軽やかに去って行ってしまい、彼はトボトボと一人で帰る羽目になった。


 そして僕は学校まで森下さんと歩いて戻った。駐車場に停めてある僕の車で彼女の家まで送るためだ。最初は「一人で帰れますから」と言っていた彼女も、「彼女を家まで送るのは彼氏の役目ですから」と僕が言うと、「それじゃ、お言葉に甘えます……」と、少しはにかみながら目を伏せた。


 そして今、僕は助手席に森下さんを乗せ、彼女の家に向かっている。


 大学から2キロメートル北の住宅街にある、5階建てのマンション。普段彼女は自転車やバス、場合によっては徒歩で通っているのだとか。


「あの……森下さん……」


「はい……」


「ほんとに、僕とお付き合いして……くれるんですか?」


 聞かずにはいられなかった。だって、未だに信じられなかったのだから。


「ええ。むしろ……私の方こそ、こんな私とお付き合いしてもらえるなんて……信じられないくらいです」


「それは僕もですよ。でも……僕、今まで女の人とお付き合いしたこと、なかったんで……正直、どうしたらいいのか良く分からないんですよね」


「私もです。今まで男の人とお付き合いしたことなかったですし……でも……この前、上越の公園に行った時、とても楽しかったです。また、一緒にどこかに行きませんか……?」


「そうですね。僕もあの時はすごく楽しかったです。今度またお出かけしましょう。今度は正式なデート、ってことになるのかな……」


「……」


 森下さんの顔が真っ赤になった。ヤバい。林さんじゃないけど、これは確かに尊い……


 ”目的地に到着しました”


 ナビが僕らの束の間の逢瀬の終わりを告げる。残念。もっと一緒にいたかった。だけど……焦る必要もないよな。時間はあるんだ。これからじっくりとお互いのことを知って、仲を深めていけばいい。


 マンションの玄関前で僕は車を停める。


「あ、ありがとうございました」シートベルトを外してドアを開きかけた森下さんを、僕は呼び止めた。


「あ、森下さん」


「はい?」


「あの……これからは、その……お互い、敬語使うの止めませんか? 僕ら、同い年タメですよね?……いや、タメだよね?」


「そうですね……いや、そうね」森下さんが微笑む。「だったら、私も一つ提案があるんだけど……竹内さん、これからはお互い下の名前で呼ぶことにしませんか……じゃなくて、しない?」


「え、森下さん、僕の下の名前、分かるの?」


「もちろん。真でしょ?」


「……当たり!」


 マジか。知っててくれたんだ。


「それじゃ、私の下の名前は?」


「芹奈」僕は即答する。そりゃ、ずっと気になってた人の名前だ。知らないはずがない。


「当たり」森下さんが……いや、芹奈が嬉しそうに笑った。


「な、なんか……照れくさいね」


「そうね。でも……なんだか、すごく心地よい」


「そうだね……」


 胸の中をギュッと手で掴まれているようだ。切なくて甘酸っぱい思いがこみ上げてくる。だが。


 ”二一時です”


 無情なナビの音声が、僕を我に返らせる。


「あ、もう時間だ。それじゃ森……じゃなくて、芹奈、おやすみ。またね」


「ええ。おやすみなさい、真」


 芹奈は車を降り、ドアを閉めた。僕は手を振り車を発進させる。バックミラーの中で、ずっと手を振り続けている彼女がみるみる小さくなっていった。


    ---


 次の日の放課後。勉強会の時間だが、そろそろ具体的な活動を始めよう、とカオ姉が言い出したので、僕らは二班に分かれて作業することになった。僕と芹奈がシミュレーション班で、杉浦と林さんが調査班。ようやくPCが使える環境になったので、四つの机を二つずつ向かい合わせに並べなおし、その一つ一つにPCを置いた。僕の正面には杉浦、彼の右隣に林さん、そして彼女の正面であり僕の左隣に芹奈が座ることになった。


 調査班の二人は古い方のPCで情報収集。候補地の選定や、防風林に最適な樹木の種類について調べる。シミュレーション班の僕らは新しく買った強力なマシンに気流シミュレーションのソフトウェアをインストールした。仮想の環境の中で地形を作り、そこにいくつか木を配置して、さっそく風を吹かせるシミュレーションをやってみる。テストなので、地形は実在のものではなくランダムに生成させてみた。木の種類もスギだけだ。スギの木はモデリングしやすいのか、フリーのモデリングデータも多い。まあ、こいつの花粉は僕の天敵なのだが、仮想の世界ならどうということはない。


 実際にシミュレーションを走らせてみて、僕は不思議なことに気づいた。同じような初期条件でシミュレーションを開始しても、最後に得られた結果がかなり変わってくるのだ。芹奈のマシンでも同じことになるので、環境の問題でもなさそうだった。


「おかしいなぁ……」


 僕が首を捻っていると、晴男先生がやってきた。たまたま今日は崎田夫妻がシミュレーション班のアドバイザーとして来てくれていたのだ。


「竹内君、どうした?」


「いえ、なんか……シミュレーションの結果が安定しないんですよ。ほとんどパラメータ変えてないのに、結果がすごく変わってきちゃって……」

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