13. BETWEEN

「……」


 ええと……最初はカタクリ。と、笹、ジャガイモ、クロッカス、蓮、水芭蕉、チューリップ、そして野尻湖の桜——これには「?」が付くが——これくらいかな……


 だけど、これらの共通点って……なんだろう。花……ってわけでもないよな。笹と蓮は花をつけていなかったし。


「そうか。君らは生物学科じゃなかったな。それなら分からなくても仕方ないか。香織君、分かる?」


 松崎先生は、僕らが座っているソファの横のパソコンデスクに向かっている、カオ姉に視線を投げた。


「ええ、もちろんですよ」カオ姉がニッコリとして僕らを振り返る。「桜を除けば、全部地下茎を持った植物ですよね」


「ご名答。さすがだな」先生は満足そうな笑顔になった。


「地下茎……ですか」僕が首をかしげると、先生は楽しげに応える。


「ああ。本来は茎なんだが、根と同じように地下にある部分のことだ。栄養をため込んでいたり、そこから芽を出すこともある。地下茎には大きく分けて四つの種類があるんだ。根茎こんけい塊茎かいけい球茎きゅうけい鱗茎りんけいってね。根茎は根に近い形をしてて、塊茎はまあ、イモと同義だね。球茎はいわゆる球根と同じ。鱗茎は魚の鱗のような薄い層がいくつも重なっている。タマネギなんかが典型的だね。と言っても、この薄い層はもともとは葉だったんだが」


「そうなんですか」と、僕。


「そうよ」カオ姉もうなずいた。「さらに言えばね、笹と蓮は根茎で、ジャガイモは塊茎。クロッカス、水芭蕉は球茎で、カタクリとチューリップは鱗茎。どう? 森下さんが近くで感じた、っていう感情も、その分類にぴったり来ない?」


「あ……」


 僕はスマホに記録しておいたメモを開いてみる。

 確かにそうだ。笹と蓮の近くでは、困惑。ジャガイモは怒り。クロッカス、水芭蕉では弱い悲しみ。カタクリとチューリップでは悲しみ。


「ただ、な」松崎先生が眉間に皺を寄せた。「その、野尻湖の桜については、僕も良く分からない。桜には地下茎がないからな。それなのに、強い恐怖が感じられるとは……しかも、以前にお花見したときには何も感じなかったんだろ? だから、これについては僕も何とも言えない。もしかしたら、原因は桜じゃないのかもしれないな」


「それは僕も思いました。まあ、それは例外としても、どうやら地下茎の種類と想起される感情には、何か関係がありそうですね。でも……どうしてそんなことが起こるんでしょう」


「そこは僕もよくわからないな」と、松崎先生。「だけど……一つの仮説としては、Chemical Sensitivityかな」


「ケミカル……なんですって?」


 先生の発音はかなり流暢で、そこまでしか僕には聞き取れなかったのだ。


「ああ。化学物質過敏症、ってヤツだな。シックハウス症候群もその一つだ」


「あ、それは聞いたことあります」


「だったら竹内君、フィトケミカル、って知ってる?」


「いえ。森下さん、知ってます」?


 隣の森下さんに顔を向けるが、彼女は首を横に振った。


「いいえ」


「植物が持つ化学物質のことだ」松崎先生が続ける。「よく言われるのは、ポリフェノールとか。聞いたことあるだろ?」


「ああ、あります」僕は応える。「体にいいって言われてますよね」


「そうだな。だけど、もともとは植物が害虫とかの外敵から身を守るために作り出した成分だ。そして……これらは情報伝達にも使われている」


「情報伝達?」


「そう。Biogenic Volatile Organic Compounds――BVOCと呼ばれている物質があってね。日本語で言うと生物由来揮発性有機物、ってところかな。これを大気中にばらまくことで、他の植物や動物にメッセージを送っている。花の香りなんか、まさにその一種だね」


「香りがメッセージなんですか?」


「ああ。そうだな……例えば、ライマメなんかはすごいことをやらかすぞ。ライマメはナミハダニという草食性のダニに食べられると、そのダニを食べてしまう肉食のダニを呼び寄せる揮発性の物質を出すんだ。言ってみれば、救助要請だな」


「へぇ!」驚きだった。「そんなことが出来るんですか」


「ああ、つまり、化学物質はコミュニケーションの手段……言葉なんだよ。植物にとっての、ね」


「……」


 知らなかった。


「意外に植物って頭がいいんですね。いや、頭があるわけじゃないけど」


「そうだな。植物には動物とは全く異質な知性があるらしい、というのはいろいろな研究から示唆されているからね。そして……たぶん、森下さんはそういう植物が発している化学物質に、過敏に反応している……ってことなんじゃないのかな」


「なるほど」


 さすがは植物の専門家だ。すごく説得力のある説明だった。


「化学物質過敏症の症状ってのは様々だからね」松崎先生はさらに続けた。「普通はくしゃみが止まらないとか、蕁麻疹が出るとかってパターンが多いけど、感情が揺り動かされるパターンもあるのかもしれない。人間の感情だって、化学物質によるところが大きいからな」


「そうなんですか?」


「ああ。ほら、ドーパミンが分泌されると幸せを感じる、なんていうじゃないか。ドーパミンやセロトニン、エンドルフィンとかは神経伝達物質って言われてて、シナブス間の情報伝達を司っているんだ。そして、植物も化学物質を情報伝達に使ってる。案外、動物も植物もその辺は似てたりするんだな。ひょっとしたら……森下さんは、植物の言葉が分かるのかもしれない」


 そこで松崎先生はニヤリとした。


「……!」思わず僕が森下さんを見返すと、同じように僕に顔を向けた彼女と視線が真正面からぶつかりあった。慌てて僕は彼女から目を逸らす。


「はっはっは!」松崎先生は破顔一笑する。「ま、それで健康を損なってるわけじゃなさそうだからあまり心配することもないとは思うけど、森下さん、なんだったら医学部の付属病院に行ってみるかい? 確か化学物質過敏症の治療も出来たはずだけど」


「い、いえ……大丈夫、だと思います」


 森下さんはあわてて首を横に振った。


    ---


 それから数日後。


 学食。その日、たまたま2限が同じ科目だった杉浦と僕は、向かい合わせに昼食をとっていた。


「なあ、竹内」目だけを僕に向けて、杉浦が音を立てて味噌ラーメンをすする。


「ん?」口の中にカツ丼のカツが残っていた僕は、口を閉じたまま応えた。


「お前さあ、あの森下ちゃんって子と、うまくいってんの?」


「……ぐっ」


 カツが気道に入りかけ、僕はむせかえる。


「ごほっ! ごほごほっ!」


「大丈夫か?」


 ちっとも心配してなさそうな声で、杉浦。


「……ふう」


 ようやく一息ついたところで、杉浦が蒸し返す。


「で、どうなんだ?」


 ……どうやらノーコメントでは済まされないようだ。とりあえず僕は聞き返した。


「うまくいってる、って何が?」


「いや、なんかお前ら最近ちょっといい雰囲気じゃね?」


「え……」


 こいつには、僕らがそう見えるのか……


「だから、ひょっとしたら付き合い始めたのかなあ、とか思ってさ」


「別に……付き合ってるってわけじゃないよ。まだ」


「まだ?」杉浦が眉をひそめる。「ってことは、いずれは付き合うってことか?」


 しまった。「まだ」っていうのは失言だったみたいだ。


「どうかなあ。今のところは友達ってだけでしかないけど」


「で、お前はその先に進みたいわけ?」


「……」


 これは……正直に言うべきだろうか……

 あ、でも、ひょっとしたらこいつも森下さんを狙ってるのかもしれない。だとしたら……先制攻撃しておいた方がいいかもな。


「そう……だな。少なくとも僕はそう思ってる。彼女の方はどうかわからないけど」


「白状したな」杉浦が揶揄するような目つきになる。「でもさあ、お前、林ちゃんとも仲いいよなあ。ったく、モテモテじゃねえかよ」


「へっ?」


「まさかお前、二股かけるつもりじゃねえだろうな?」


 そう言って、杉浦はギロリと僕を睨み付けた。


「そんなことないよ」僕はあえて淡々と対応する。「林さんとはバ先が同じだから、いろいろ話はするけどさ、それ以上のことはないよ」


「ほう、そうか……」なぜか杉浦は安心したような顔になる。「だったら、俺が林ちゃんにアタックしても、別に構わないな」


「え……」


 ああ、そっちか……確かに林さんはタイプとしてはカオ姉に近いものがあるからな。こいつの好みなのかもしれない。こいつと女性の好みがズレてて、良かったかも。


「いいんじゃない? 林さんがお前をどう思ってるかは知らないけど」


「あの子、彼氏いるのか?」


「さぁ……どうだろ。前はいないって言ってて、今もいるような気配はなさそうだけどね」


「おっしゃ!」杉浦はガッツポーズを作ってみせた。「それじゃあさ、プロジェクトメンバーの親睦を深める、ってことで、今度みんなでコンパしようぜ!」


「コンパ……?」

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