8. REALLY LOVE

「あ……」


 いきなり森下さんの足が止まる。


「どうしました?」


 彼女の背後から駆け寄って顔をのぞき込むと、彼女は目を堅く閉じていた。


「……」


 僕は無言で、森下さんが目を開けるのを待つ。


 ようやく彼女が両目を開いた。しかし、なぜか困り顔になっている。


「なんだか、困惑を感じます」


「困惑? 悲しみではなくて?」


「ええ」


「ってことは……必ずしも悲しみだけを感じる、ってわけでもないのか……」


 言いながら、僕は辺りを見回す。

 そこは笹の群生地だった。深緑で艶のある長楕円形の葉がうっそうと茂っている。


「笹がたくさん生えてますね」と、森下さん。「これの影響なのかな」


「笹、ですか……」


 笹を見ると、大抵の新潟県人なら思い出すものがある。新潟名産のアレだ。何枚かの笹の葉に包まれていて、ヨモギが練り込まれた団子の中に餡子が入っている、アレ。


「なんか、笹だんご食べたくなってきたなあ」


「ぷっ」


 いきなり森下さんが吹き出した。


「……くっ……くっ……」


 口に手を当て、必死で笑うのを堪えようとしているが、堪えきれないようだ。僕は呆気に取られていた。


 この人が笑うの、初めて見た。こんな風に笑うんだ。


 つか、今のセリフ、そんなに面白かったのか? 別にウケを取るつもりは全然なかったんだが……他人のツボってのは、分からないものだ。


 それはともかく。


 やばい。笑顔、かわいいじゃないか。笑わせることができてよかった。

 思わず見とれていたら、その視線に気づいたのか、森下さんがふいに表情を引き締める。


「すみません……笑いすぎました。竹内さん、食いしん坊さんなんですね」


「いや、新潟県人は笹を見たら条件反射でそうなるんですって」


「あはははは!」


 我慢しきれなくなったのか、とうとう森下さんは声を立てて笑った。ほんと、この人のツボは分からん。が……とても楽しそうだ。つられて僕も笑顔になる。


「はぁ……ほんと、竹内さんって面白いこと言いますね」ようやく森下さんは笑いを収めた。「確かに、笹だんごってこの辺の名物ですよね」


「ええ。食べたことあります?」


「もちろんです。美味しいですよね」


 ……おお! 森下さんも好きなんだ!


「ですよね! 笹とヨモギの香りに包まれた団子と、その中の餡子の風味が絶妙のハーモニーを奏でてて……あーなんかめちゃ食べたくなってきたー!」


 思わず口の中にツバが湧いてくる。キュゥッ、と腹が鳴いた。


「あ、やばっ」


 慌てて腹を抑えるが、どうやら森下さんの耳にも届いてしまったようだ。彼女が微笑む。


「私もお腹すきました。そろそろお昼にしませんか?」


 スマホの時計を見ると、十二時十分前。確かに昼時だ。僕はうなずく。


「そうですね」


    ---


「とりあえず、分かったのはですね……」


 道の駅あらい。ここは道の駅としてはかなり規模が大きく、飲食店が軒並み連なっている。ラーメン、海鮮、和食、中華と多種多様だ。僕らはその中のそば屋に入り、二人とも天ぷらそばを注文した。もちろん食後はデザートとして二人で笹だんごを食べるつもりだ。


「……カタクリの花が咲いていないと、悲しい気持ちにはならないようだ、ってことと、笹では困惑の感情が伝わってくる、ってことくらいですかね」


 言い終えて、僕はそばをツユに漬けてすする。醬油の豆の香りが濃い。そばの香りと相まって、なかなか美味い。


「そうですね」


 全く音を立てることなく森下さんはそばを食べていた。よくそんな器用なことができるものだ。


「どっちにしても、植物が関わっている可能性は非常に高いです。他の植物で同じような気持ちになったこと、ないですか?」


「……」


 しばらく首を捻って思案顔だった森下さんは、やがて何か思いついたように顔を上げる。


「ジャガイモ……ですね」


「ジャガイモ?」


「ええ。家の近くにジャガイモ畑があるんですけど、最近花が咲いて……きれいだな、って思って見てたら……なんか、怒りが湧いてきて……」


「怒り!?」


 ジャガイモの花が、怒り?


 どういうことなんだろう。


「なんか、ジャガイモに恨みでもあるんですか?」


「いえ、ないです。食べるのは好きですけど。肉じゃがとか」


 今日はなんだが食べ物の話題になること多いなあ。森下さん、実は意外に食いしん坊だったりして。


「だったら、なんで怒りが湧くんだろう……うーん……」


 カタクリが、悲しみ。笹が、困惑。ジャガイモが、怒り。何なんだろう。花言葉も一応調べてみたけど、全然関係ない。そもそもカタクリと笹とジャガイモって、全然共通点なさそうなんだけどなあ。しかも、どっちかというと全部ネガティブな感情ばかりだ。


「なんか、楽しい気持ちとかポジティブな気持ちになったりしたことはないですか?」


「そうですねぇ……」森下さんが思案顔に戻る。「以前はそんなこともあったような気もしますが、最近はないですね」


「そうなんですか」


 しかし、いずれにせよ、植物が何か関係しているのは間違いなさそうだ。となると……


「森下さん、思い切って松崎先生に相談してみませんか? あの人植物の専門家だし、ひょっとしたら何か知ってるかもしれない」


「でも……大丈夫でしょうか」


「え? なにが?」


「以前竹内さんもおっしゃったように、なんだかオカルトめいた話なんで……大学の先生みたいな人に、信じてもらえるかどうか……」


「どうでしょう。わからないけど……ただ、何となくですが、僕は松崎先生ならたぶん信じてくれそうな気がします」


「……わかりました。先生に説明する時、竹内さんも一緒にいてもらえますか?」


「もちろんですよ! 言い出しっぺですから」


 やった! また森下さんと一緒に過ごす約束が出来たぞ!


    ---


 というわけで、森下さんとの初デート(?)を無事に終えた僕は、彼女を大学の正門まで送り、アパートに帰ってきた。本当は彼女に「家まで送りましょうか?」と聞こうかと思ったのだが、彼氏でもなんでもない男に自分の家を知られるのも嫌かもしれないと思い、やめておいた。それに彼女は自宅生なので、良く分からない男が彼女を家まで車で送ってきた、なんてところを彼女の家族に見つかると、たぶんややこしいことになりそうな気もしたのだ。


 ベッドに転がり、僕はひたすら余韻を噛みしめる。胸の中が甘酸っぱい気持ちで溢れかえっていた。


 やっぱ、かわいいよなあ、森下さん。


 今日一日で、ずいぶん距離が縮まった気がする。思ったより話も出来たし。


 ああ、もうダメだ。彼女が僕の頭の中から離れようとしない。


 どうやら僕は、本気で彼女を好きになってしまったみたいだ……

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