9. IT'S HAPPENING AGAIN

 月曜日。


 放課後、僕と森下さんは松崎先生の研究室を訪ねた。


 何というか……雑然とした部屋だった。窓に向かった両袖机の真ん中に、パソコンとディスプレイ、キーボード、マウスが置かれていて、その両脇には論文誌や専門書、印刷した論文の山が築かれている。紺のジャージ姿の先生は、それらの前にあるオフィスチェアに座ったまま、こちらを振り返った。


「やあ、来たね。どうぞ、座って」


 応接テーブルに対して向かい合わせに置かれている二人がけのソファを、先生は指さす。


「あ、失礼します」


 僕らは並んでソファに腰を下ろした。応接テーブルには小さな植木鉢が二つ置かれていて、それら二つとも球根が一つ真ん中に植えられており、球根の中心から緑色の小さい芽が真上に顔を出していた。


「ヒヤシンスだよ」松崎先生が僕の向かいのソファーに座る。「花が咲くにはまだもう少しかかるかな」


「これは観葉植物なんですか? それとも、実験用ですか?」


 僕が尋ねると、先生はニヤリとした。


「どっちとも、と言えるかな。ただ、精密な実験に使う場合は生育条件も厳密に指定しないといけないから、こんなところで育てるのはあんまり好ましくないね。だから、どっちかというとやっぱ観葉植物になるかな。さて、さっそくだけど、話ってのは?」


「あ、はい。実は……」


 僕はこれまでの経緯を一通り話した。その間、松崎先生はずっと黙って何か考え込んでいたようだった。僕が話し終わると、彼はすぐに口を開いた。


「なるほど。カタクリに笹、ジャガイモ……ね」


「はい。それらがどうも原因らしいんですけど……全然共通性ないですよね」


「いや、あるよ」


「ええっ?」


 あまりにもあっさりと先生が言うので、思わず僕は目を見張った。


「あ、でも簡単に言わないでおいた方が面白いかな。よし、それじゃ森下さん、ちょっとそのヒヤシンスの匂い、かいでみない?」


「え、これ……ですか?」困惑の表情で、森下さんが植木鉢を指さす。


「ああ」


「わかりました」


 植木鉢に顔を寄せて、森下さんは目を閉じて匂いをかいでいたが、やがて首を横に振った。


「何も感じられません」


「そうか。やっぱ花が咲いてないとダメなのかな。それじゃちょっと来てくれる?」


 先生が立ち上がった。


    ---


 松崎先生に連れられてやってきたのは、同じ階だが彼の研究室から少し離れたところにある、実験室だった。やはりここにも様々な植物が鉢植えで置かれている。


「あれ、先生、どうしたんですか?」


 カオ姉だった。部屋の奥にあるパソコンに向かって、何か作業をしていたようだ。


「ああ、香織君。実は、ちょっとこの二人に相談されてね」


「……あれ、真と森下さんじゃないの。なぁに、あんたたち、もしかして正式にお付き合いすることになったっけ、報告に来たってが?」


 カオ姉がニヤリとする。


「ち、違うてー! そういんじゃねくてさ……後でカオ姉にも説明するすけ」


「ふぅん」カオ姉のニヤつきは止まらない。


「じゃあ、これの匂いをかいでみて」


 そう言って松崎先生が指さしたのは……実験机に三つ並べて置かれていた、水栽培の球根から生えた紫色の綺麗な花だった。


「これは……?」僕が言うと、


「クロッカスよ」カオ姉が即座に答える。「花言葉は『青春の輝き』。いやー、今の君らにピッタリだね。青春してるわー」


「……」


 僕と森下さんの表情から、カオ姉は自分がハズしたことを悟ったようだ。赤らんだ顔で、コホンとわざとらしく咳払いをした後で彼女は続けた。


「で、わざわざ匂いをかぎに来たの?」


「そうだけど……僕じゃなくて、森下さんがね」


「へぇ」


「じゃ、森下さん、どうぞ」


 僕が森下さんを振り返ると、


「はい」


 彼女はさっそく腰をかがめてクロッカスの鉢に顔を近づけた。


「……」


 しばらく彼女はそのまま固まっていたが、やがて腰を伸ばして僕に顔を向ける。


「なんとなく……ですけど、悲しみのようなものが伝わってきます。すごく弱く、ですが」


「なるほど」松崎先生がうなずいて、ペンを取る。「それじゃ、君らの都合のいいときにここに行ってみて」


 先生は何かをメモ用紙にサラサラと書くと、それをちぎって森下さんに渡した。


    ---


高田たかだ城址じょうし公園と五智ごち公園……」


 森下さんから渡されたメモ用紙を、僕は読み上げる。


 学食。僕と森下さんはテーブル席に向かい合わせに座っていた。ここは一九時まで営業していて、夕食を食べる学生も多い。


「竹内さん、知ってます?」と、森下さん。


 もちろんだ。知らないわけがない。高田城址公園は上越市高田区の真ん中にある、高田城周辺の区域だ。そして五智公園は、海に近い直江津なおえつ区の自然公園。


「知ってるも何も、上越市民なら知らない人はいない、って言ってもいいですよ。高田公園は桜の名所として全国的にも有名だし、五智公園も八重桜で有名です。そこに行け、ってことなんですかね?」


「だと思います」


 右手に持った、松崎先生から渡されたメモ用紙に視線を落としたままで、森下さんが答える。


「そうですか……でも、ここからだと、この前行った斐太歴史の里よりも遠くですよ」


「そうなんですか……」


「え、ええと……また、車出しましょうか?」


「あ、いや、そんな……申し訳ないです。竹内さんにご迷惑おかけしてしまうのも……」


「いえ、いいんですよ。全然迷惑じゃないです。僕もそこで何が起こるのか、すごく興味ありますし」


「ほんとに、いいんですか?」


「ええ! もちろんです!」


「……わかりました。それなら、お言葉に甘えさせてもらいます」


 森下さんがペコリと頭を下げた。


 やった! これでまた彼女とデートできる!


「あ、あの、竹内さん」


 なぜか森下さんが、少し顔を赤らめた。


「お世話になってばっかりなので申し訳ないんで……良かったら、その……」


 どんどん彼女の声が小さくなっていく。


「わ、私の手作りで良かったら……その……お弁当、用意しますので……」

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