6. COME AND GET IT
「……」
首だけをこちらに回していた森下さんは、僕と目が合った瞬間に顔を逸らして正面に戻した。
「……すみません。なんでもないです」
「はぁ」
……。
ちょっと拍子抜けしてしまった。
だけど、ここはとりあえず、何か話しかけようとしてくれた、ってことだけでも喜ぶべきなんだろうか……
いや、待てよ。
これはチャンスじゃないか? 少なくとも、彼女は僕と全くコミュニケーションしたくない、というわけではない、ってことじゃないか。
だったら、僕の方からも話しかけてみよう。
「森下さん」
僕が声をかけた瞬間、ビクン、と彼女の背中が跳ねた。
「……はい」
相変わらず、聞こえるか聞こえないか、くらいの小さい声。こちらに向くこともない。だけど彼女は、はっきりと応えた。
さあ、ここで何を聞けばいい?
”彼氏いるんですか?”……とか?
……アホか。いきなりそんなこと聞けるわけないだろ。ここはやはり、穏便な世間話から始めるべきだ。
と言っても……彼女と共通の話題なんて……
あ……そうだ。これがあった。
「森下さんと僕って、一年の時から英語、一緒のクラスですよね」
「はい」
「森下さんの発音、すごく上手だなあ、って前から思ってて……どうしてなのかなあ、って一度聞いてみたかったんです」
それは嘘じゃない。実際、彼女の発音はネィティブに近い滑らかなものだった。声が小さいので聞き取りづらいのも確かなのだが……
「それは……子供の頃に英会話教室に行ってたことがあって……それで……」
森下さんは訥々と応えた。
「あ、そうなんですか……」
「はい……」
「……」
会話終了。
ダメだ。全然話が膨らまない。
いや、大丈夫。僕と彼女が共通で履修している科目ならまだある。
「そう言えば、教職科目も一緒ですよね」
「……!」
再び、森下さんがビクリと反応する。
「この前の生物学実習もそうですし、教育原理も一緒ですよね。森下さんは先生を目指してるんですか?」
「……まだ、わかりません」相変わらず消えそうな声で、森下さんは応える。「でも一応、教員免許だけは取っとこう、って思って……」
「あ、それ、僕もそうです。僕も別に教員を目指しているわけじゃ無いけど、一応免許だけはあった方がいいかな、みたいな」
「……」
うーん。
どうにも会話が続かない……どうしたらいいんだ……
しょうがない。思い切って、一番気になっているところを聞いてみるか。
「森下さんって、花粉症なんですか?」
「ふぇっ!?」
予想外の質問だったのか、えらく奇妙な声が彼女の口から漏れる。
「い、いえ……違いますけど……」
「あ、そうなんですか」
「なんで、そう思ったんですか?」
お? なんか、会話が続き始めたかな。
「いや、この前の生物学実習の時、カタクリの群生地のところで、なんか涙を流してたみたいだから……僕は花粉症なんで、この時期目が痒くて涙が出るんですよね。だから、森下さんも花粉症なのかな、って」
「……」
森下さんは辛そうにうつむいてしまった。どう考えても、これ以上の会話の継続を歓迎しているようには見えない。
やっちまった。地雷を踏んだみたいだ。やっぱ、泣いてたのは恋愛関係だったのか……
沈黙が痛い。二人っきりでこうも黙り込まれると……気まずくて仕方ない……
……ん?
二人っきり……それも、密室の中で……男女が……
……ああっ!
よく考えたら、この状況って、女子にとってはかなりリスキーじゃないか。
まあ、密室といっても外からは窓を通じて中が見えるし、廊下側にも窓があるから、この部屋の中の様子は丸見えだったりするんだが……それでも、やっぱりよく知らない男子と一緒にいるのは……怖いのかも……
ひょっとして、森下さんがさっき何かを言いかけたのって、このことだったのかもしれない。今だって様子がおかしいのも、やっぱそれを気にしてるんじゃ……
なんてこった。今になってそれに気づく己の鈍さを、心底僕は呪う。
「ご、ごめん! 森下さん、僕、全然気づかなくて」
「……えっ?」森下さんが僕の方に振り向いた。
「森下さんも女性ですから、こんなとこで彼氏でもない男と二人っきりになるのは……ちょっと抵抗がありますよね。僕、今日はもう先に帰りますから!」
そう言って僕がカバンを持って腰を浮かせた、その時。
「……違います!」
驚いた。森下さん、こんな大きな声、出せるんだ。
「私……竹内さんが変なことするような人だって、思ってないですから……」
「……」
うーん。信頼されて嬉しいような、でも、あんまり男として認識されてないようで、悲しいような……
「竹内さん……」森下さんは何かを決心したような表情になったが、すぐに僕から顔を背ける。「私のこと、おかしなヤツ、って思ってますよね……」
「え……いや、別にそんなことないですけど……なんでそう思うんですか?」
「……」
しばらくうつむいたままだった森下さんが、ようやく口を開く。
「あの時、私があんな場所で、泣いていたから……」
ああ。
やっぱり彼女も、僕に泣き顔を見られたことを気にしていたんだ……
「それは……花粉症とかでは……」
「違います」はっきりと、森下さんは横に首を振った。「私は花粉症じゃないです。私……あの時、急に悲しい思いが込み上げてきて……別に何か悲しいことがあったわけでもないんですけど……」
「原因不明で、悲しくなるんですか」
そんなことって、あるんだろうか。
「ええ。以前から時々そういうことがあるんです。なぜか街中じゃなくて自然の中にいるとそうなることが多くて……でも、あんなに涙が出るほど悲しくなったのは初めてで……」
「……」
「自分でもおかしいって思うんです。何も理由がないのになんでいきなり悲しくなるんだろう、って。何かの病気なのか、って思って精神科のお医者さんにもかかったんですけど……ただ単に、感受性が高いだけじゃないか、って言われて……」
「そう……なんですか」
「ごめんなさい」いきなり森下さんは僕に向かって頭を下げた。「こんなこと、竹内さんに言っても困らせちゃうだけですよね」
「そんなことないですよ」あわてて僕はかぶりを振る。「なんて言うか……すっきりしました。実は、ずっと気になってたんです。森下さん、なんであんなところで泣いていたんだろう、って。それに、お医者さんに診てもらって何ともないって言われたんだったら、たぶん病気じゃないと思うし……よかったです」
僕が笑顔を見せると、森下さんの頬に赤みが差した。
「す、すみません……なんか、ご心配をおかけして……」
「い、いえ、そんな……僕の方こそ、なんか色々変なこと言っちゃって……」
僕らは互いに頭を下げ合う。てか、いったい僕らは何をやっているんだ……
そうだ。
「ね、森下さん」
「はい」
「ひょっとしたら、それって……霊感とかじゃないですかね」
「ふぇっ!?」
森下さんの変な声、第二弾。
「ほら、いきなり悲しくなるのって、実はそこに地縛霊がいるから、とか……」
「はぁ」
……あれ? なんか反応が薄い。てっきり怖がるかと思ったのに。
「竹内さんは幽霊とかオカルト、信じてるんですか?」
おっと。逆に質問されてしまった。
「あ、いや、信じてはいないですよ。ただ、あまりにもオカルトめいた話だな、って思ったんで」
「私も幽霊は信じていません。一度も見たことないですから」
さすが理工学部。どうやら、彼女をちょっとだけ怖がらせちゃおうかな、っていう作戦は失敗したようだ。
「でも……確かに、ちょっとオカルトっぽいですよね」と、森下さん。「やっぱりお祓いに行った方がいいのかなあ」
「うーん……別に悲しくなるだけで、何か幽霊みたいな物を見たり、乗り移られたりとかはしないんですよね?」
「ええ」
「だとすると、霊の仕業ってわけでもなさそうですけどね」
「……」
森下さんは下を向いてしばらく考え込んでいたようだが、やがて顔を上げた。
「乗り移られたり、操られたりしている感覚はないんですけど……なんて言うか、何かが伝わってくる、っていう感覚はあるんです」
「何かが伝わってくる……?」
なんだろう。やっぱ霊的な何か?
「そうです。何かが伝わってくるような……それが何か、までは分からないんですけど……」
それは僕も非常に気になる。ようし……提案してみるか。
「ねえ、森下さん」
「はい」
「良かったらちょっと調べてみませんか。それが何なのか」
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