32. FRIENDSHIP
しかし、橘先生は顔をしかめてみせた。
「それは私も考えなくもなかったんだ。だが、君は彼女自身ではないからね。おそらく彼女よりアオコに対する攻撃能力は低いと思う。ということは、より長い時間湖に浸からなくてはならないかもしれない。となると危険度は彼女の場合よりもずっと大きくなる。それに……森下君が感染症にかかったことを考えると、君もそうなる可能性は非常に高い。大学教員として、本学の学生をこれ以上危険に晒すことは……避けるべきだろう」
「それでも、芹奈をもう一度出撃させるよりは、ずっとマシでしょう? 僕はまだ、全然元気ですから」
「ちょっと待て」と、晴男先生。「そろそろ天気が崩れてくる。気温もかなり下がってるし、野尻湖では雨が降るだろう。下手すりゃ雪になるかもしれん。そうなるとかなり体が冷える。長時間水に浸かっていたら、感染症になる前に低体温症になってしまうぞ」
「……構いません! 芹奈だって頑張ったんですから、僕も頑張らないと!」
「松田さん」晴男先生が言う。「今、湖には何%くらいアオコが残っているか、わかりますか?」
「いえ……50%以上ということだけで、具体的な数値までは……」と、松田さん。
「そうですか」晴男先生はスマホを取り出し、電話をかけたようだ。「ああ、松崎さん。お疲れ様です。まだ野尻湖にいます?……ああ、良かった。すみません、アオコが今何%残ってるか、分かります?……はい、60%? 分かりました。そちらの天気はどうですか?……え、やっぱ雨降ってきましたか……はい、了解です。また連絡します」
電話を切っても、先生はスマホを操作し続けていた。そしてため息をつく。
「かなり難しいな。今試算してみたが、君の持つ森下君のマイクロバイオームを彼女の30%程度と仮定しても、アオコの50%殲滅まで単純計算で7分かかる。だが、雨が降ってきている。水温も5℃以下となると、もうそれくらいの時間が意識を保てるギリギリだ」
「……」
かなり危険、ってことか……それでも、やるしかない。
「十分です。橘先生、僕のマイクロバイオームを調べて下さい」
僕が言った、その時。
ポン、と右肩に手が置かれる。
「?」
振り返ると、杉浦だった。ニヤリとして彼が言う。
「及ばずながら俺も協力するぜ。俺たちは仲間だ。お前だけにリスクは負わせねえよ」
「……え?」
「俺らは同じ室内で結構長い時間過ごしたし、一緒に食事もしてる。だとしたら……俺にも、お前や森下ちゃんのマイクロバイオームがあるはずだ。もちろんその量はお前にはかなわないにしても、な」
そして彼は、橘先生に顔を向ける。
「先生、俺のマイクロバイオームも調べてもらえませんか。俺にもそれが少しでもあれば、一緒に水に浸かればそれだけ竹内の水の中にいる時間を短く出来ますよね?」
杉浦がそう言うと、今度は僕の左肩に手が置かれる。笑顔の林さんだった。
「あーしも協力するッスよ。あーしにだって竹内パイセンや森下パイセンのマイクロバイオームは、あるはずッスよね? しかも、あーしはパイセンとハグまでやってるんスから。下手すりゃ竹内パイセン並にあるかもッス」
「林さん……」
目頭にジワリときた。この二人が仲間で、本当に良かった。
「分かった。それじゃ、君らのマイクロバイオームを調べよう。ついてきてくれ」
橘先生が部屋の引き戸を開ける。
---
検査の結果が出るまでに、僕らは松田さんの車で水着を買いに行くことになった。自衛隊ナンバーの白いADバン。
と言ってもあまり時間がないので、僕らは近所のディスカウントストアで見繕うことにした。僕も杉浦も、サイズだけ合わせて試着もせずに買ってしまった。競泳用のビキニタイプ。ちなみに林さんは売り場にあったビキニの水着が一着だけで、それを買うしかなかったようだ。
買物を済ませた僕らは病院にとんぼ返りする。控え室にはノートPCに向かっていた絵瑠沙先生、その後ろで画面を見つめている晴男先生と、見知らぬ中年の男女がいた。
「竹内さんは、どちらでしょうか?」中年の男性が言うので、
「あ、僕です」と僕が手を挙げると、男性は僕の前にやってきた。見た感じは50代くらいだろうか。眼鏡をかけていて、真面目そうな印象。
「芹奈の父です。娘がお世話になっています」
「……!」
なんと……
「え、いや、こちらこそ……せ、芹奈さんとは、仲良くさせてもらっています……」
なんだかしどろもどろになってしまった。
「このほどは芹奈の力が及ばず、竹内さんたちにご迷惑をおかけすることになって、申し訳ありません」
そう言って、彼女のお父さんは深々と頭を下げた。
「い、いえ、違いますよ! こちらこそ、芹奈さんをこんな大それたことに巻き込んでしまって……しかも、命に関わるような事態になってしまって……本当にすみません」
僕も頭を下げる。そうだよ。芹奈は何も悪くないんだ。それなのに……こんなことになってしまって……
「お、帰ってきたんだね」
声に振り返ると、橘先生だった。
「先生!」お父さんが先生に駆け寄る。「芹奈の具合は、どうなんですか?」
「今のところは小康状態です」と、橘先生。「先ほど抗生物質を投与しました。が、状況は……特に改善は見られません。今晩が峠……ですかね。後は彼女の自己回復力に期待するしかありません」
「……わかりました」お父さんがうなずくと、先生は、
「すみません。ちょっと失礼します」と言って絵瑠沙先生の席に向かう。
「絵瑠沙さん、3人のマイクロバイオームの攻撃力は、竹内君が森下君の28%、杉浦君が8%、林君が12%だ。それでシミュレーションできるかな」
「ええ!」絵瑠沙先生がキーボードの上で指を踊らせる。
「で、森下さん」橘先生が芹奈の両親に顔を向ける。「残念ながら、お二人のマイクロバイオームでは、ほとんど効力は認められませんでした」
「え……どういうことですか?」僕が尋ねると、すぐに先生は応えた。
「実はね、このお二人も作戦に参加したいとお申し出をされたんだ。マイクロバイオームは家族間ではかなり似通ったものになる。だから、森下君のマイクロバイオームが効果的ならば、家族のそれもそうなのではないか、とね。だが……お二人のマイクロバイオームには君のものが含まれていない。そう、君のマイクロバイオームと彼女のそれとのシナジーが、彼女を最強兵器に仕立て上げたんだからね。かといって、今から君のマイクロバイオームをお二人に授けたとしても、それが効力を発揮するまでには十数時間かかる」
「そうなんですね。わかりました。やはり我々は娘のそばにいることにします」芹奈のお父さんが、納得したようにうなずく。
「そうして下さい。娘さんのためにも、その方が望ましいと思います」
橘先生がそう言った、その時だった。
「結果が出ました。3人が同時に5分以上水に浸かれば、閾値を超えられます」
絵瑠沙先生が言うなり、晴男先生が僕らに顔を向けた。
「みんな、聞いたかな。君らのミッションタイムは5分だ。水温は5℃だが、それくらいならなんとか耐えられるだろう。健闘を祈る」
そう言って、彼は敬礼する。
「了解しました!」
僕らも反射的に答礼してしまう。
オペレーション、ダブル・ウィスキー・パート2開始の瞬間だった。
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