25. YOU ARE THE ONE

 彼女が最終兵器……なんか、昔そんなマンガだかアニメ作品があったような……


「待ってください」とりあえず、僕は自分の中で沸き上がる疑問点を解決させることにした。そうしないと……とても理解が追いつかない……


「その、フローレンスって人も、芹奈も、一億人に一人のマイクロバイオームを持っている、ってことですか?」


「そうだね」と、橘先生。「二人とも、たまたま現場の近くにいたのは奇跡に近い幸運だった、としか言いようがないが」


「その……彼女が特定の植物のそばで、その植物に応じて様々な感情に襲われるっていうのも……今回の話に関係があるんですか?」


「ああ。フローレンスも湖で恐怖を感じたらしいから。森下君も野尻湖で怖い気持ちになったんだよね?」


 橘先生が芹奈に顔を向けると、彼女はコクリとうなずいた。


「だけど、それ、桜の影響じゃないんですか? その、カリフォルニアの湖でも桜が咲いてたんですか?」


「もちろんカリフォルニアの湖に桜はないよ。私はね……おそらく、その恐怖の感情は桜じゃなくてアオコのものじゃないか、と思っているんだ。たぶん奴らは、彼女が潜在的な脅威であることを感じ取ったのかもしれない。自分たちに害をなす存在だ、とね」


「!」


 なんと。


「で、でも、だったら他の植物に対する芹奈の反応は……何を意味するんですか?」


「実はね、竹内君。土壌の中にはインターネットがあるんだよ」ニヤリとして、橘先生。


「はい?」


 全然答えになってない。つか、意味が分からない。


「菌糸根ネットワークと言ってね、土壌の中では菌類が互いに菌糸を伸ばしているんだ。長いものは数十キロメートルくらいにもなるんだよ。そしてそれが植物の根と相互作用している。栄養分を受け渡ししたりね。それに、菌糸の中には情報として電気信号が伝わっているらしい。脳神経のようにね。まさにインターネットじゃないか。人類が登場するよりも何億年も昔に、菌類はインターネットを実現していたんだ」


「前にライマメの話をしただろう?」松崎先生だった。「それと似たような話で、ソラマメやトマトはね、害虫から攻撃を受けていることを、菌糸根ネットワークを通じて近くの仲間に伝えているんだ。その結果、まだ攻撃を受けていない個体も攻撃に備えてフィトケミカルを作り出すんだよ」


「……」


 知らなかった。だけど……


「その話が、芹奈に起きる現象とどう関係してるんですか?」


「これは私の推測に過ぎないが」橘先生が続ける。「おそらく、野尻湖周辺の土壌の菌糸根ネットワークには、野尻湖の異変が既に伝わっているんじゃないか、と思うんだよ。それで色々な植物が警戒態勢に入った。土壌のマイクロバイオームが置き換わったら、地中に地下茎を持つ植物は特に深刻なダメージを受けるからね。森下君は何らかの方法で、地下茎植物の警戒態勢を感じ取っていたのかもしれない。松崎さんの話では、野尻湖に近い妙高より遠い上越の方が、彼女が植物から感じる感情の強度が弱かったんだろう? やはりそれだけ情報の伝達に時間がかかっているから、じゃないかな」


「……」


 すごい。芹奈に起きていた不思議な現象に、次々に説明がついていく。


「あるいは、森下君は菌糸根ネットワークに直接アクセスできるのかもしれない。菌類ってのは……つまるところ、キノコだからね。森下君はキノコが大好物らしいから。それも彼女の特異なマイクロバイオーム形成に一役買っている可能性もあるね」


 マジか……僕はどっちかと言うとキノコは苦手な方だ。シイタケはもう全然ダメだし、マツタケやナメコやシメジも食べられなくはないけど、そんなに好きじゃない。何の抵抗もなく食べられるのはエノキくらいかなぁ……


「いずれにせよ、森下君に起きている現象の背後にマイクロバイオームがあるのは間違いないようだ。人は細菌が9割、なんて話もあるからね。案外、人間ってのはマイクロバイオームに操られている存在なのかもしれない。だが……彼女のマイクロバイオームにそんな特殊能力が発現した原因の一端は……たぶん、君だよ」


 そこで橘先生が僕をまっすぐに見つめた。


「え、僕が、ですか?」


 どういうことなんだろう。


「ああ。彼女の本来のマイクロバイオームに、明らかに何か別種のそれが混ざりあって今の状況を形作っているんだ。そしてそれは家族のものではないことも分かってる。家族は同じ家で同じ飯を食って生活しているんだから、マイクロバイオームもかなり似てくるんだ。なのに、彼女だけ微妙に異なるマイクロバイオームを備えている、となれば……その原因として最も考えられるのは……彼氏だろう」


「で、でも、僕と芹奈は付き合い始めたばかりで……まだ手を握ったこともないんですけど……」


「森下君が最初に激しく感情を揺さぶられたのは、妙高のカタクリの群生地にいた時だったという話だね。そして、その場に君もいた。違うかい?」


「!」


 確かにその通りだ。だけど……


「そうですけど……僕はただ、近くにいただけですよ」


「人間はね、何もしてなくても周囲にマイクロバイオームをエアロゾルとして大気中にまき散らしているんだ。一時間に約3700万個の微生物を、ね。それで、たまたま近くにいた君のマイクロバイオームが森下君に伝わり彼女のそれと融合した結果、カタクリの発するフィトケミカルとも相まって、彼女の能力が目覚めたのかもしれない」


「……」


 そうだったのか。あの時、目に見えない世界ではそんなことが起こっていたのか……


 橘先生はさらに続けた。


「それに、君らはその後もデートをしてるんだろう? 彼女から聞いたよ。妙高とか上越の公園に一緒に行ったそうだね」


 マジか。


 確かにあれは、僕にしてみればデート以外の何物でもなかったわけだが、芹奈もそう思ってくれてたんだ。


「そう言われれば、そうですね。一応二回くらいドライブデートっぽいことはしてますが……その、キスとかは全然してないんで……」


「それでも、同じ車の中で同じ時間を長く過ごしたんだろう? エアロゾルに含まれるマイクロバイオームが互いに混ざり合って、マリアージュを起こすには十分だ。君らのマイクロバイオームは、君らに先駆けて既に結婚してしまっているんだよ」


「!」


 思わず僕が芹奈を見ると、彼女と真正面から視線が合った。彼女の顔がみるみる赤くなっていく。


「というわけで、まずは君にもマイクロバイオームの検体をお願いしたい。いいかな?」


 そう言って、橘先生は眼鏡のブリッジを指先でクイッと上げる。


「ええ、それは構いませんが……それで、どうするつもりなんですか?」


「今後はその結果次第だ。場合によっては君にも協力をお願いするかもしれない。どういう形になるかはまだ分からんがね」


「はぁ」


    ---


 検査はすぐに終わった。体のいろんな場所の皮膚の角質を採取するだけだった。そしてその結果もあっという間に出た。僕のマイクロバイオームにも芹奈のそれが混ざりこんでいたのだ。まさに僕らのマイクロバイオームは、僕らに遥かに先駆けて結婚してしまっていた。


 橘先生に連れられて芹奈の病室に戻ると、彼女と内調の二人、そして松崎夫妻(?)が全員そこに揃っていた。


「さて、それじゃ『ダブル・ウイスキー』作戦の第二段階に進むことになるが……森下君、本当にいいのかい?」


 橘先生がベッドに座っている芹奈に言うと、彼女は顔を真っ赤にして、コクンとうなずいた。


「ダブル・ウイスキー作戦?」


 僕が聞き返すと、松田さんが応える。


「今回の作戦のコードネームだ。ダブル・ウイスキーは二つの”W”の文字を意味する。これはね、H・G・ウェルズの古典SF『宇宙戦争』――"War of the Worlds"のWarとWorldsの二つの頭文字を並べたものだ。あの話は最後に地球の微生物が侵略者の火星人を倒す話だからね」


「なるほど。それで、第二段階って言うのは?」


「彼女のマイクロバイオームをより強固なものにすることだ。そのためには、君の協力がぜひ必要なんだ」と、橘先生。


「僕の協力? 何をしろ、って言うんですか?」


「それは……だね……」


 なぜか橘先生の言葉の歯切れが悪くなった。周りを見渡すと、誰もが微妙な顔つきになっている。なんなんだ、この雰囲気……?


 とうとうカオ姉が大声を上げた。なぜか真っ赤に染まった顔で。


「よ、要するにね、あんたたち、エッチしちゃいなさい、ってことよ!」

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