24. TRUTH
……どこかでベルが鳴っている。
この音は……僕のスマホの着信音?
その瞬間僕は目覚める。いつの間にか僕は自分の車の運転席に戻っていた。
胸ポケットの中で鳴動を繰り返すスマホを取り出す。知らない番号。着信ボタンをタップ。
「もしもし」
『竹内君か?』
その声は……
「松崎先生!」
『ああ、ようやくつながった……君、今どうしてる?』
「僕は……」
言いかけて、周りを見渡す。目の前に芹奈の家があった。唐突に僕は思い出す。
「先生、芹奈が……芹奈が何者かに
『落ち着け、竹内君。大丈夫、森下君は無事だ』
「ええっ!」信じられなかった。「先生、なんで知ってんですか?」
『詳しくは明日にしよう』先生の声には、疲れが滲み出ていた。『電話ではとても伝えきれない。明日のいつでもいいから、僕の研究室に来られるか?』
「え、ええ」
『わかった。とりあえず、君が心配することは何もない。それだけは確かだ。ただ、杉浦君と林君にはまだ黙っていてくれ。それじゃ、明日待ってるから』
「は、はい」
電話が切れる。
……。
いったい、何が起きているんだ……
---
次の日は講義が3限までだったので、4限の時間に僕は松崎研を訪れた。
「やあ、来たね」
部屋の中には、心配そうな表情のカオ姉と、うっすらとヒゲを生やし、見るからに疲れ切った顔の松崎先生がいた。
「早速ですが、芹奈はどうしてるんですか?」
「彼女は今、うちの医学部の大学病院にいる」
「大学病院?」
大学病院って……松本の?
「どうしてですか? 何か怪我したとか、病気になったんですか?」
「違う。だが、事は急を要するんだ。君、今日はこの後何か予定あるかい?」
「プロジェクトの部屋で作業する予定でしたが……それよりも芹奈が心配です」
「OK。それじゃ、僕の車で一緒に松本へ行こう。話せることは道中で話すから」
「わかりました」
---
松崎先生の車はグレイのフィアット・パンダ4×4だった。助手席にカオ姉、後席の右側に僕がそれぞれ乗り、さっそく出発する。この車もマニュアルシフトだ。
「実はね……昨日君らが帰った後に、入れ違いで訪問者があってね……それが、なんと……内調の人間だったんだよ」
運転中で前を向いたままなので、松崎先生が今どんな表情をしているのかは分からない。だが、声の調子でかなり思い悩んでいる雰囲気がうかがえた。
「ないちょう?」
なんだろう。聞いたことがない。
「内閣情報調査室……と言えば分かる?」カオ姉だった。
「え……」
「そう。国の諜報機関だよ」と、松崎先生。
「ええっ!」
諜報機関って……スパイとかエージェントの組織、だよな……映画とかドラマでしか見たことのない世界だ……
「正直、こんな
そう前置きをして、松崎先生は話し始めた。
---
三月、カリフォルニアのダム湖であるシャスタ湖に隕石が落下した。カリフォルニア州立大学の研究グループが湖に潜って隕石を見つけたのだが、その中に微生物が複数存在していたという。そしてその後、湖に謎のアオコが大量発生した。調査の結果、やはりキラリティの反転したシアノバクテリアであることが分かった。隕石の中の微生物のキラリティも完全に反転していた。このままではキラリティが反転した微生物たちに、湖周辺の生態系が乗っ取られてしまう。
そんな中、研究グループの中の一人の十九歳女子大学院生が、調査中に誤って湖の中に落ちてしまったという。すぐに彼女は救出されたのだが、その後アオコがかなり広範囲で死滅したことが分かった。研究グループがその大学院生の女子の皮膚の常在菌を調べた結果、アオコへの攻撃性を示す微生物の存在が認められた。そこで研究グループはその微生物を培養しようとしたのだが、様々な微生物が複雑に関連しあっているようで上手くいかない。しかしアオコは依然として増え続けている。早く対策しないと大変なことになる。
そこでその大学院生が、自ら水着を着て湖に浸かることを提案した。十分な時間湖に浸かっていれば、おそらくアオコを一掃することができるのではないか、と。もちろん彼女の身の安全を考えればそのようなことを気軽に行うわけにはいかない。だが、他に方法があるわけでもない。研究グループはやむなく彼女の提案を受け入れた。
そしてとうとう彼女が湖に浸かる実験が開始された。だが、春とはいえ水温は未だ10℃を切っている。彼女が低体温症になるギリギリまで実験は続けられた。そして……彼女の献身は見事に実を結んだ。三日後、アオコが湖から一掃されたのだ。
ところが。
その後、彼女は高熱を出して倒れた。感染症にかかったらしい。二日間生死の境をさまよったが、医療チームによる懸命の治療により一命をとりとめたという。だが、未だに完全に回復はしていないとのことだった。
そして、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)がレーダーによる映像から隕石の軌道を逆算したところ、同時期に同じようなコースをたどってきた隕石が日本に向かったらしいことが分かったという。CIAを通じて内調にその連絡が来たのが一週間前で、アオコの発生の事実から、その隕石が野尻湖に落ちたであろうことは容易に推測できた。それで自衛隊員のダイバーが野尻湖に潜って探したところ、やはりそれらしい隕石があったという。そしてそれをうちの大学の橘先生が分析したところ、キラリティが反転した微生物が多数見つかったのだ。
「例の女子院生が湖に落ちたのはね、ボートに乗って作業していた彼女が、いきなりとてつもない恐怖感に襲われ、訳が分からなくなって気が付いたら湖に落ちていた、ってことらしい。確か……森下君も、似たようなこと言ってたよな。しかも彼女は野尻湖で不思議な体験をした、とツイートしていた。それが内調に見つかって、例の女子院生と同じ能力を持っているのではないか、同じことができるのではないか、と考えた内調が彼女の身元を割り出しここにやってきた、というわけだ」
とても言いづらそうな口調で、ようやく先生は言葉を締めくくった。
「ちょ……ちょっと待ってくださいよ。それって、芹奈を……その、アメリカの女子院生と同じように、湖に浸からせるつもりなんですか?」
「わからない」松崎先生は首を横に振った。「今、病院で彼女の常在菌を調べてもらってる。場合によっては、そういうことになるかもしれないな」
「……」
そんな……下手したら、命を落としてしまうかもしれないのに……
「さ、着いたよ」と、松崎先生。
いつの間にか、車は医学部付属病院に到着していた。来客用の駐車場に先生が車を停める。エンジン停止。
「行こう」
シートベルトを外し、松崎先生が車を降りた。
---
芹奈がいたのは、隔離病棟の個室だった。入院着になっていた彼女は僕に気付くと、
「真!」
と嬉しそうに駆け寄ってきたが、すぐに顔を曇らせる。
病室内には彼女の他に三人の見知らぬ男性がいた。そのうち二人は紺色のスーツを着ていて、三十代くらいのがっちりした筋肉質のボディ。もう一人は五十代くらいで、メガネをかけていて白衣だった。
「やあ、昨日は私の部下が手荒な真似をしてすまなかったね。我々がもう少し早く来てれば学校で君らに会えたから、あんなことはしなくてよかったんだが……」筋肉質の男性の一人が、にこやかに言う。「
そう言って、スーツの男性――松田さんが右手の先を向けたのは、もう一人の筋肉質の男性だった。確かに松田さんよりは若く見える。
「矢島です。よろしく」もう一人の男性――矢島さんが小さく会釈をした。
「え、ええと、竹内 真です」つられて僕も頭を下げる。
「私は橘。今は理工学部の生物学科の教授だが、元々は医学部で、病原性細菌の研究をすっとやってた。医師でもあるから、今回の医療面のサポートも私がメインで担当するよ。臨床は久々だがね」
そう言って白衣を着たメガネの男性――橘先生が白い歯を見せた。そして彼は松崎先生を振り返る。
「松崎さん、彼にはどこまで話したのかな?」
「一通り、全部話しました」と、松崎先生。
「そうか」橘先生が僕に向き直る。
「竹内君、検査の結果が出たよ。君のガールフレンド……森下 芹奈君も、どうやらフローレンスと同じマイクロバイオームを持っているようだ。一億人に一人、というね」
「え……」
何を言っているのか、さっぱり意味が分からない。
「ああ、フローレンスって言うのは、例のカリフォルニアの大学院生の名前だ」松崎先生だった。「で、マイクロバイオームは、微生物の集合体のことだよ」
なるほど。何となく分かってきた。
「一億人に一人って、そんなに珍しいんですか?」
僕が質問すると、橘先生はニヤリとしてみせた。
「ああ。決定的なのは、彼女のマイクロバイオームがラセマーゼを作り出す酵母菌を豊富に含んでいる、ってことだね」
「ラセマーゼ?」
「ああ。ラセマーゼはイソメラーゼ……異性化酵素の一種だよ。エナンチオマーを相互に変換できる酵素だ。アミノ酸のラセマーゼを使えば、D型のアミノ酸でも普通に地球に存在する生物のL型アミノ酸に変換できる。そうなれば後は細菌の殺し屋、バクテリオファージが片付けてくれる。だから、敵にとっては彼女のマイクロバイオームは強力な破壊兵器になるわけだ。まさに最終兵器だよ。フローレンスも君の彼女も……さしずめ、
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