11. PAIN IN MY HEART

 早速おむすびの一つにかじりつく。

 ん……この米……この粘り気、風味は……コシヒカリだ! 生まれも育ちも上越、地元のコシヒカリを食べて育った僕だから、間違うはずがない。


「このおにぎりのお米、コシヒカリじゃないですか?」


「さすが、新潟出身ですね」微かに森下さんが口元をゆるめた。「そうです。長野県産のコシヒカリですよ」


 やっぱり、大当たりだ。そして、おむすびの中身は……梅干しだった。結構オーソドックスだなあ。でも、梅の果肉が柔らかくて美味しい。竜田揚げも、ガーリックとショウガと醤油が利いてて、とても食欲をそそる。


「おにぎりの中の梅干し、美味いですね!」


 僕がそう言うと、森下さんの笑顔がさらに輝く。


「ありがとうございます。家で漬けた梅干しなんですけど、お気に召したようでよかったです。ちなみにもう一つのおにぎりの中身は、塩ジャケです」


「マジですか! 僕、塩ジャケのおにぎり好きなんですよね。この竜田揚げの味付けも、むっちゃ好みです!」


「あ、それ、正確には竜田揚げじゃないんです」


「……え?」


 思わず僕は森下さんの顔をのぞき込む。相変わらず、彼女は微笑みを浮かべたまま続けた。


「山賊焼きって言って、長野県の郷土料理なんですよ」


「あぁ!」


 そうか。山賊焼きは長野市じゃスーパーにも惣菜として売ってるし、いろんな飲食店で食べられる。僕も何度か食べたけど、竜田揚げと何が違うのかはよくわからなかった。


「これ、そうなんですね。竜田揚げと何が違うんですか?」


「うーん……」森下さんは首を傾げた。「そうですねぇ……味付け自体は竜田揚げより唐揚げに近いんですけど……唐揚げって普通、肉を小さな塊にして揚げますよね。山賊焼きは大きな肉をそのまま揚げてからそれを切りわけるんです。違いはそれくらいかなぁ……」


「そうなんですか」


 なるほど。確かに、言われてみればその味付けは竜田揚げというより唐揚げに近いかもしれない。竜田揚げってガーリックで味付けはあまりしないよな……


「これ、森下さんの手作りですか?」


「揚げたのは私ですけど、タレは母が作ったものを使ってます」


 ということは、これは森下家の家庭の味、ってことなのか。久々に手料理を堪能した気がする。胃袋掴まれるって、こういうことなのかな……


    ---


 昼食の後、僕らは二番目の目的地である五智公園にやってきた。この時期ここでは八重桜が満開なのだ。今年は高田公園の桜はなんだかんだで見逃してしまったので、ちょうどよかった。花見を楽しむことにしよう。それに、ここには水芭蕉みたいな珍しい花もある。いろいろな花の近くで例の現象が起きるかどうかを調べて欲しい、というのが松崎先生からのオーダーだった。


 五智公園に着いたのは、13時半を少し過ぎていた。本願寺国分別院の隣の駐車場で車から降りると、森下さんが、


「あ……ここ、来たことあります」


 と、懐かしそうに言った。


「え、そうなんですか?」


「ええ。すぐそこ、海水浴場ですよね。小学校と中学校の時、海水浴に来ました。長野は海無し県だから、海水浴っていうと直江津海水浴場まで来ないと、なので」


「へぇ。僕らも海水浴はここですね。大潟おおがた区のの浜に行くこともありますけど。ひょっとしたら僕ら……海で出会ってたかもしれませんね」


「ふふっ……どうでしょうね……」


 森下さんは微かに笑った。


    ---


 僕らは並んで八重桜ロードを歩く。公園内のちょっとした山道なのだが、片側に八重桜の木が並んでいて、咲き誇るピンクの花が青空と凄まじいまでのコントラストを成していた。ただ、少し風が出てきたようで、じっとしているとちょっと寒い。


「八重桜も、なかなかきれいですね」


 言ってしまってから、あまりにも月並みなその言葉に我ながら呆れる。もうちょっと気の利いたことが言えないものか……


「ええ。ほんとに、きれいです」


 森下さんが満足そうにうなずく。良かった。楽しんでもらえているようだ。


「そう言えば、森下さんは八重桜には何も感じないんですか?」


「え?……あ、そうですね」


 不意に足を止め、森下さんは目を閉じる。


「……何も感じないみたいです。今年、家族でお花見したんですけど、ソメイヨシノにも特に何も感じませんでした」


「そうですか……」


 そうか。花だったら何でもそうなる、ってわけでもないんだな。それに、笹とか蓮は花が咲いてなくても感じるものがあるみたいだから……何がどうなっているのかさっぱり分からないな……


    ---


 展望台に登って海を眺めた後、僕らは一気に下って池のある湿地に向かった。展望台までは結構な上り坂の山道で、ジャージの方が良かったかもしれないと思ったけど、どうせ歩き回ると思って二人ともトレッキングシューズを履いてきたので、足下は特に問題なかった。

 この時期、池の近くでは水芭蕉の花がピークを迎えている。炎のような形の白い花。


「……」


 僕が何も言わなくても、森下さんは両眼を閉じていた。しばらくそのままでいた彼女は、不意に、目を閉じたまま言った。


「微かにですけど、悲しみのようなものが感じられます」


「そうなんですか……」


 やっぱ、良く分からないな。


「あ、ちょっと待って下さい」森下さんがスマホを取り出す。「水芭蕉って初めて見たんで、写真撮りたいので」


 そう言って森下さんはスマホを水芭蕉の花に向けた。パシャ、とシャッター音がする。


「いい感じに撮れました」


 満足そうな彼女が差し出したスマホの画面の真ん中に、水芭蕉の白い花があった。森下さん、意外に写真撮るの上手なんだ……


    ---


 駐車場に向かった僕らは、途中で交通公園に寄ってみた。ここには蒸気機関車D51の実物が展示してあり、またゴーカートで子どもから大人まで交通ルールを学ぶことが出来る。と言っても僕らの目的はD51でもゴーカートでもない。近くにあるチューリップ畑だ。


 赤や黄色、ピンクのチューリップが並んで咲いている。どぎつい原色が目に突き刺さるようだ。きれいだとは思うけど……やはり僕はカタクリみたいな優しい色のかわいい花の方が好きだなあ。


 ここでも相変わらず森下さんは、花の前で目を閉じていた。


「水芭蕉の時よりは強く、悲しみを感じますけど……やっぱり、妙高のカタクリの時に比べたら弱いですね」


「……」


 うーん。残念ながら僕の知識では、全く見当もつかないな……


    ---


 国道18号で僕らは帰途についた。車中では海水浴の思い出で話が弾んだ。同い年で、同じ五智海岸で海水浴をしていたとなると、本当に出会っていたかもしれない。お互い水着姿で……


 ……う。


 水着姿、か……今の森下さんのそれは、どうなんだろう……なんて、何を考えてんだ僕は……いや、もちろん見てみたいという気持ちも……無いわけでもないが……

 それに、彼女いない歴=年齢の僕が、夏に森下さんを海に誘う度胸なんて……あるはずがない。今だって、「彼氏いるんですか?」って一言が、全く言えずにいるのに……


 いつの間にか、車は新潟県と長野県の県境の橋を越えていた。


「ああ、そうそう」いきなり森下さんが言う。「野尻湖のじりこの桜が咲いたんですって。良かったら見に行きません?」


「え、そうなんですか。ずいぶん遅いですね」


 野尻湖は県境に近い信濃町しなのまちにある湖だ。旧石器時代の遺跡があって、ナウマンゾウの化石が出たことでも知られている。そう言えば、一月に杉浦にワカサギ釣りに誘われたので、一緒に来たっけ。


「ええ。標高が高いので、桜が咲くのも遅いんです。そろそろ見頃だと思いますよ」


「いいですね。それじゃ、ちょっとだけお花見しますか」


 僕は野尻湖入口の交差点を左折する。


    ---


「……!」


 湖畔にたどり着いた僕と森下さんは、その風景に心を奪われた。


 膨大な数の桜の花びらが風に乗り、渦を巻くように湖の上を舞っていたのだ。まさに桜吹雪だった。そしてそれはそのまま湖面に降り注ぐ。桜並木に面した岸は、数メートルにわたって水面が花びらで白く覆われていた。荘厳というか壮絶というか、とても美しい光景だった。


 シャッター音に振り返ると、森下さんがスマホのカメラを湖に向けていた。


「きれい……だけど、変ですね」スマホの画面で写真を確認しながら、森下さんは、信じられない、といった表情で言う。「開花したの、三日前ってテレビのニュースで言ってたのに……」


「そうなんですか。確かに、風があるとは言えそんなに強くもないのに、こんなにすぐ散っちゃうなんて……おかしいですよね」


 そう言いながら森下さんの顔をのぞき込んだ僕は……絶句する。


「……!」


 いつのまにか、彼女の顔が真っ青になっていたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る