4. FEEL ALRIGHT
『
LINE通話の向こうでカオ姉が、先ほど僕の脳裏に浮かんだとおりの表情をしているのは、想像に難くなかった。
「良くねぇって! なんか僕、めっちゃ恥かいた気がすんだけど」
『いいんだて! ほら、人生は重荷を背負って旅をするようなもんだ、って徳川家康も言ってたねっかね』
なんでここでいきなり徳川家康が登場せにゃならんの? 全然話が見えない。
「だから?」
『で、旅の恥はかき捨て、って言うねかね。だすけ三段論法により、全然問題なし』
「……」
その論法だと、人生の中であらゆる恥はかき捨て、ってことになるけど……
『それはともかく、彼女、参加するって言ってくれた?』
「あ、ああ。まあね」
『おまんが参加する、って言っても、参加するって?』
「ああ。よろしくお願いします、って言われたよ」
『おー! ほしたらワンチャン脈アリじゃない? マコッチ、がんばれー!』
「……」
何をどう頑張れというんだ……皆目わからんぞ……つか、マコッチって誰だよ……
『ま、それはそれとして、キックオフミーティングの日が決まったよ。来週の火曜の5限。場所は208番教室。全員補講がないことは確認してる。おまんも必ず来な
「あ、そういが。分かったて」
『彼女も来るし、楽しみだねー』
カオ姉、再び棒読み。
「あーはいはい」
僕も棒読みで返す。
『
「分かったよ。ほしゃね」
通話を切る。
カオ姉のヤツ、悪びれようともしていないんだもんな……ったく、僕がどんな思いをしたと思ってんだよ……
だけど……
森下さんと話が出来たのは、確かに僕にとっても嬉しいことだった。僕に対してそれほどネガティブな感情を持っていないっぽいのも分かったし。
何より嬉しかったのは、彼女がちゃんと僕の名前を把握していてくれた、ってことだ。学科が違うからクラスメイトになる機会もそんなにないのに……
これらが分かったのも、カオ姉が僕をけしかけた結果だから、そういう意味ではちょっとは彼女に感謝しないといかんのかもな。
「あ、竹内パイセン!」
アルトの声に振り向くと、入り口のドアから
今僕がいるのは、
「待て。ここでは竹内『先生』だろ? 林『先生』?」
「あ、そうだったッスね。てへぺろー」
そう言って林さんは舌をぺろりと出して片目をつぶる。まさか、わざわざ口で「てへぺろー」とか言いながら「てへぺろ」をやらかすヤツがいるとは……
しかしながら彼女はそういったキャラからはかけ離れた外見だ。まず、身長が176センチメートルの僕とほとんど変わらない。日本人女性としてはかなり背が高い方だろう。顔立ちもキリッと整っていて、十八歳なのに二十台後半くらいに見える。サラサラの少し茶色のロングヘア、メリハリの効いたボディラインも相まって、スーパーモデル並のクール・ビューティ……と言えるのだが……
言動が年齢相応というか、むしろ若干幼いのだ。しかも色黒で化粧もギャルっぽい。なので違和感がハンパない……まあ、そのギャップに萌える男もいるかもしれないが……彼女はどうやら今まで彼氏がいたことがないらしい。にわかに信じがたいが、どうも美人すぎる女子にはままあることらしいのだ。いずれにせよ、僕は森下さんみたいな可憐な感じの女性が好みなので、確かに林さんは美人だとは思うが、ぶっちゃけあまり魅力を感じない。
「それで竹内先生、実はちょっと頼みがあるんスけど」
屈託のない笑顔で、林さんがさらりと言う。こういう、お願いごとをする時に媚を作らない態度は、好感が持てるところではあるが。
「え、なに?」
「実は次の火曜日、あーしちょっと都合が悪くて、バイトに来れないんスよね。なのでその日のあーしの英語のクラス、竹内先生に代理をお願いできないかな、と思いまして。中一向けなんでメチャ簡単スから」
「あー、ごめん。その日僕も都合悪いんだ」
「えー! で、でも、竹内パイセン、火曜日って何もなかったんじゃないスか?」
「いや、実は知り合いに誘われてさ……課外活動やんなきゃならなくなって……来週火曜日に第1回をやることになってるんだ。それに出なきゃなんだよね」
「……それ、もしかして、克雪プロジェクトッスか?」
「!」
驚いた。ビンゴじゃないか。
「う、うん」
「あーしも、その第1回に参加しようと思ってたんスよ」
「え、そうなの? でも、長野キャンパスだよ?」
林さんは一年生なので、共通教育課程がある松本キャンパスに通学している。僕も杉浦も一年の時は松本市にアパートを借りていたが、今年の三月に長野市に引っ越してきた。
ちなみに信越大学は史上初めて県境をまたがって合併した国立大学法人で、松本に本部、共通教育、人文社会系学部と医学部があり、長野市に理工学部、伊那に農学部、上田市に繊維学部、そして新潟県上越市に教育学部のキャンパスがある。
「大丈夫ッス。あーし、自分の車で行くんで」
「そっか」
彼女の愛車はスズキのラパンSSだ。外見はかわいらしいが、実はツインカムターボエンジンで結構速い。この塾にもそれで松本から通ってきている。
「それよりも、パイセンの知り合いって、誰ッスか?」なぜか林さんの表情が険しくなった。「まさか……『マダム』じゃないでしょうね?」
「マダム?」
「マダム松崎ッスよ。あの、松崎先生の奥さんとか言われてる、女の
マジか。カオ姉、「マダム」って呼ばれてんだ。
「……いや、たぶん、その人。松崎香織。実は同じ町出身でさ。幼馴染、って言えばそうなんだよね。だもんで誘われたんだ」
「え、そうなんスか! 松崎先生とあの人、結婚してるって本当ッスか?」
林さん……顔、恐いよ……
「いや、違うよ。カオ姉……つか香織さんも昔から松崎だったから、苗字がかぶってるけど、結婚してるわけじゃない」
少なくとも、今のところは。僕は心の中で付け加える。
「そうッスか」林さんは安心した表情に戻った。「あーし、松崎先生推しッスからね。高三の時に信越大のオープンキャンパスの体験講義で松崎先生に出会って、この大学に行こう、って決めたくらいッスから」
「……」
うーん。
松崎先生って……いつもジャージ着てて髪の毛はボサボサで、オシャレでも何でもないしかっこよくもなんともないけど、なぜか女子にモテるみたいなんだよな……
「んじゃ、パイセンもキックオフに参加するんスね。ってなると、バイトの代理どうしよう……困ったッス……」
林さんは眉根を寄せてみせた。
「塾長に相談してみたら? 塾長のルートで代理を調達してもらえるかもだし、最悪休みにして後で補講してもいいと思う」
塾長は五十代くらいの気のいいおっちゃんだ。林さんとは母方の伯父に当たるとのこと。学習塾業界も少子化でなかなか厳しい状況の中、都市部ではやはり大手のチェーン塾が幅を効かせているが、こんな田舎町ではそもそも塾が存在しない。塾長は地元出身で、こういう場所でも都市部と同じような教育環境を実現したくて、脱サラし実家を改築してこの塾を始めたらしい。とは言えやはり近所の子どもは少ないが、そもそも塾の規模も小さいし、持ち家で家賃も要らないので、何とか採算が取れるのだそうだ。
「そうッスね。いざとなったらオッチャンにお願いするッスわ。それじゃパイセン、プロジェクトでもよろしくお願いするッス!」
そう言って林さんは、ペコリと僕に向かって頭を下げた。
「ああ、こちらこそ、よろしくね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます