2. CHANGE YOUR MIND

「!」


 その声は……


「カオ姉!」


 振り返ると、松崎TA……つか、カオ姉が仏頂面で僕を見つめていた。


「な、なしてなんで?」


「あたしの子分みてぇなもんだすけから、に決まってんねかねじゃないの


「……それ、今でもそういがなの?」


 そう。カオ姉は僕と同じ新潟県上越市大島区出身。といっても六歳離れているので小中高とも学校で一緒になったことは一度もない。だけど家が近所だったので昔からよく知っている。この大学に来てキャンパスで偶然出くわした時には驚いたものだ。


 彼女は昔から姉御肌で、子供の頃は僕も随分面倒を見てもらった。ぶっちゃけ頭が上がらない存在だったりする。


「当たり前だろね?」さも当然、と言わんばかりの様子でカオ姉は続ける。「三つ子の魂百までって言うねかね。まあでも、実際のところ物理のプロパーもプロジェクトに欲しいんさね。雪の性質とか、屋根に積もった雪の挙動とか、どう考えても物理の領域だろね? おまんだったら気心も知れてるし、しかも、おまんはばかとても成績優秀だって話だねかね」


「……」


 そうか。彼女の指導教官の松崎先生から、教官同士のネットワークを通じて聞いたんだな。


「そんにおだてられてもなぁ……僕だって色々やることあるんだすけさぁ。バイトとか」


「なーに言ってんだてー。バイトだって毎日やってるわけでもねえろ? プロジェクトも毎日あるわけじゃねえすけさ。プロジェクトない日にバイトすりゃいいねかね」


「そりゃそうだけど……どうしてもやらんきゃなんねえが?」


「そう。これは命令だすけね」


「……」


 ったく。


 ほんと、カオ姉はこういう強引なヤツなのだ。昔から何も変わっていない。


 しかし。


 僕だっていつまでも彼女の子分でいるつもりはない。ここはやはり、切り札を投入するしかないか。


「……カオ姉」


「な、なに?」


 僕が今顔に浮かべている、ニチャアと音を立てそうなほどに邪悪な微笑みに恐れをなしたのか、カオ姉が顔を引きつらせる。


「僕さぁ……見ちゃったんだよなぁ……去年の八月に、カオ姉と誰かさんが菖蒲しょうぶ高原の牧場でデートしてたのを、さぁ……」


「……!」


 一瞬でカオ姉の顔色が変わった。こうかはばつぐんだ! 僕はわざともったいを付けた口調で続ける。


「その誰かさんってのがさぁ……なんか、見たことある人だったような……気がするんだよなぁ……てか、さっき顔見たばっかのような気も……するし、なぁ……」


「……」


 顔を真っ赤に染めたまま、カオ姉は下を向いてしまった。効いてる効いてる。心の中でほくそ笑みながら、僕はトドメを刺す。


「いいのかなぁ……先生が教え子に……」


「わー! わー! わー!」


 いきなりカオ姉がわめき出した。


「いいい、言っとくけど、あたしらはまだプラトニックな付き合いなんだすけね! それに……あたし、一応彼のフィアンセなんだすけさ! 卒業したら、結婚するってことになってんだてー!」


「ええっ!」


 なんと。


 そこまで話が進んでいたとは……それは想定外だった。


 そう。僕があの日菖蒲高原で見た、彼女の隣の男性は、彼女の指導教官である松崎先生だった。あの距離感……間違いなく男女の仲の二人……と思っていたのだが……


 結婚を前提にしたお付き合いなら、先生が教え子とそういう関係になっても、責任を取ったって事になるから許される……のかな?


「だけど、あんまし他の人に言わんどいて。なんもやましいことはないんだけど……やっぱ外聞が悪いすけさぁ……」


「いいよ」僕の微笑みが、さらに粘度を増す。「その代わり、これからはカオ姉も僕を子分扱いするのは無し、ってことで」


「……」


 しばらくカオ姉は黙り込んでいたが、やがて大きくため息をついた。


「はぁ……分かったよ。しかたないね。そっかぁ……残念だなぁ……せっかくおまんが喜びそうなミッションを用意してた、ってがになぁ……」


「……僕が喜びそうなミッション?」


 思わず僕が聞き返すと、待ってましたとばかりに、今度はカオ姉がニタァと笑う。


「ほら、計算科学科のあの娘、森下さんだっけ? 彼女の勧誘を、おまんにやってもらおうと思ったさ」


「ええっ!」


 しまった。うっかり大げさに反応しちまった。だが、カオ姉の口から森下さんの名前が出てくるとは思ってなかったからな。意表を突かれちまった。


「な、なして?」


「今回のプロジェクトのWebサイトも作りたいし、積雪状況をセンサネットワークで把握する、なんてこともやりたいっけさ、その辺りに詳しそうな情報系の人材も欲しかったんさね。彼女も優秀だし、おまんとも仲良さそうだすけ、おまんがプロジェクトに誘えば参加してくれると思うんだて」


「い、いや、僕、別に彼女と仲良くないし。つか、話もしたことないって」


「あれ、そういが? それにしちゃ、おまんのこと気にしてたようだけど。実習中もおまんのこと、チラチラ見てたみてぇだったけどね」


「え……」


 気づかなかった。しかし……たぶんそれは、カオ姉が考えているようなロマンチックな理由からじゃないと思う。おそらく、泣いているところを僕に見られたのを気にしているだけだろう。


「それに……」カオ姉の微笑みが、さらに嫌な感じに歪む。「おまんも彼女のこと、気になってんだろね?」


「……!」


 くっ……見抜かれていたか……さすがはカオ姉、そういうところは抜け目ないんだよな……


「だから、彼女に声をかけられる、絶好の口実を作ってあげたってがになぁー。あーあ、ほんと、残念だわー」


 カオ姉、セリフが棒読みなんだが……


 まあしかし、悔しいけど彼女の言うとおりだ。森下さんに話かけられる……それはあまりにも魅力的だった。


「はぁ……」


 ため息をついた僕は、肩を落とす。


 やっぱカオ姉の方が一枚上手だった。ほんと、この人にはかなわない。


「分かったよ。僕、プロジェクトに参加する」


 とたんに、カオ姉の顔が満面の笑みに輝く。


「よっしゃ! 正式メンバー第一号ゲット!」

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