第4話 鬼病④
なんとも居心地の悪い思いを抱きながら作業を続け、一通りが終わったとき、ふすまが開いて八瀬が姿を現した。手にはグラスと茶菓子が乗った盆を持っている。
「お疲れ様です。碌なおもてなしも出来ませんが、こちらをどうぞ」
機材を片づけ、骨を元通り木箱に戻すと、八瀬がグラスと茶菓子を机に置いた。グラスにはよく冷やされた緑茶が入っていた。小皿にはカットされた水羊羹が乗せられている。先ほど姿がいつの間にか見えなくなっていたのは、これを準備していたからのようだ。
作業中には使わなかった分厚い座布団に座りって、出された品を口にすると、“金持ち”という花本の言葉の正しさがよく分かった。
茶も水羊羹も、高級品とは縁遠い篠田の舌にも上等なものであることが理解できた。どこか有名な店の品だろうとは思ったが、黙っておくことにした。
「これおいしいですねえ」
篠田の思いを完全に無視して、花本が上機嫌にそんなことを言った。皿の上にあった水羊羹のほとんどが消えている。
「お口に合ってよかったです」
特に表情を変えることもなく言う八瀬に、花本が何か言い始める前に、篠田は話を鬼の頭蓋骨へと持っていくことに決めた。
「こちらの“鬼”の骨について、詳しくうかがってもよろしいでしょうか? 由来をご存じないとのことでしたが、それ以外についてでも」
八瀬の視線が篠田の方を向く。黒曜石のように見える瞳にみられ、篠田はわずかに心臓が跳ねるのを感じた。
「はい。経緯についてはメールにて送らせていただいた通りになります。あの骨は祖母が子供のころからあったという話だけを聞いております。誰がどこで手に入れたなどの話はありません」
「なるほど」
定期健診の際に、レントゲンを撮っていただいた先生と骨のお話をしたときに思い出して話すと、そうしたことに詳しい人がいるとのお話を伺ったので、ご連絡をさせていただいた次第になります」
篠田は紹介してきた医者のことを思い出した。あの人物がこんな人と知り合いというのは意外な気もしたが、世間は狭いということか。
「なるほど。他に関係がありそうなことなどはありますか」
「実は、我が家は昔から“鬼八瀬”と呼ばれることがありました」
「ほう」
思わず篠田は身を乗り出した。変わった者の調査を行う中で、こうした昔のことを聞くのが醍醐味の一つになっている。
「こちらは祖父母から聞かされた内容ですが、戦前あたりまでは、八瀬の家は鬼の血が混じっているとか、それで鬼になって狂死するとかのうわさが立っていたようです」
「昔の人は嫌な話しますね」
花本が呆れたとでも言いたげな声を出した。
「それで、集落から離れたこんな場所に家を建てたようです。お金はあったので村八分扱いでも生活に困らなかったし、それをあてにして他からお嫁に来る人がいたから、今まで残ってきたようです」
篠田はその話を聞いて、思い当たる節があった。
「失礼な言い方になるかもしれませんが、“憑物筋”のような扱いであったということでしょうか?」
「憑物筋……。ある意味、そうかもしれませんね」
「先生、憑物筋って何ですか」
花本が学生よろしく手を挙げた。
「憑物ってのは憑依する霊とか狐とか蛇とか、そういう怪しい物のことだよ。そいつがどっかからやってきて誰か憑くんじゃなくて、家――家系に憑いている血筋が憑物筋って呼ばれていた」
「憑物筋の者は自分の家系に憑いている狐や蛇、狗神などを使役して、他所の家から物を盗んでこさせたり、敵対すれば病気にしたりすることがあるとして、昔から嫌悪の対象になっていました」
篠田の言葉を八瀬が継いだ。彼女の語り口は、それが民俗学的な事例よりもっと身近な事である様子をうかがわせた。
「憑物筋と言われる理由は、一番多いのは“僻み”だよ。どこかよそから来た人がいて、それで商売をうまくやって金を持ったとすると、他の連中はそれを僻んで ”俺たちが同じようにできないのは、あいつが俺たちの金を奪っているからなんだ”と言い始める。怪しいお祓い坊主やら似非山伏やらがやってきて、それに何か理屈をこじつければ、憑物筋の出来上がり」
「陰湿な上にセコイですね」
「閉鎖的な環境が作る、悪い部分の代表例って感じだ」
「実際にこの家は近隣の――とはいっても山一つは離れておりますが、そちらとはほとんど関係のない地域から来た者のようです。実際にどこから来たのかについては全く分かっておりません。どうやら鉱山に関する知識や金細工の技術があったらしく、それが財を成す礎になったようです。憑物筋と同じ扱いをされる背景は備わっていたわけです」
「憑物と言えば狗神や狐、オコジョのような管狐やイサキ、あるいは蛇などといったところなので、鬼憑きというのはまた変わっていると思っていました。なるほど、鉱山や金細工の関連ならばあり得る話ですね」
「先生、意味わかりません」
またも手を挙げる花本に、篠田は若尾五雄という人物が、『鬼伝説の研究』という本でまとめた説について話した。この説は、日本各地の鬼伝説地が鉱山地に多いことを指摘し、伝説中の鬼が話中で金工に密接に結び付いている例も少なくないことから、鬼が金工師をモチーフとしているのではないかとしている。実際にこれだけで鬼の起原全てを説明するのは無理だが、イメージ形成の中で大きな役割を担っていることは想像に難くない。
つまり、よそ者としてやってきて、金工で財を成した八瀬の先祖が、鬼の子孫であるとされて憑物筋のような扱いを受けたのは理由としては十分にあり得る。
「ただ、あの骨については、それと関係がある話はありません。もしかすると、我が家が鬼八瀬であることに関連付けようと、誰かが面白半分に作らせたのかもしれませんね」
そのあとも、篠田と八瀬は鬼と憑物についての話をつづけた。篠田は彼女が当初の印象と異なっていろいろと話をするのを意外に思った。しゃべる際にあまり口を動かさず、表情の変化も大きくないので無機質な雰囲気は残ったが。
「先生、そろそろお暇しないと」
携帯に目を落とした花本が、篠田と八瀬の会話に割って入った。篠田も自分の時計を見ると、すでに夕方になっていた。山を下りているときに夜になってしまうとかなり危ない。後ろ髪を引かれる思いだったが、さすがに帰らざるを得なかった。
「ああ、すみません。長居しすぎました。骨はお預かりして、詳細な検査を行います」
篠田は書類を出して説明した。2か月間の預かり証と、これから行う予定の検査の内容を記した書類にサインをもらった。緩衝材を詰めたクーラーボックスに骨と箱を収め、篠田と花本は山中の屋敷を後にした。
「やっぱり来てよかったですね。美人さんと話が合って」
「まだ言うか」
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