第3話 鬼病③
撮影の準備が整い、篠田と花本は用意してきた使い捨てのラテックス手袋をはめた。手垢や皮脂などに含まれるDNAが、検査対象を汚染することを防ぐためだ。
そうしているうちに、八瀬が戻ってきた。手には木箱を抱えている。机の上に敷かれたシートを見て一瞬だけ怪訝な表情を浮かべた気がしたが、意味を理解したのかすぐに元に戻った。
篠田はこの女性が人らしい表情を浮かべるのを見て、何か安心したような気になった。
「こちらになります」
八瀬が箱を机に箱を置いた。高さは40cm程度で、縦横は30cmほど。ちょうど人間の首が入るサイズだ。材料は桐らしく、丁寧なつくりをしている。蓋には特に何も書かれていない。こうした類の物ならば、どこかに中身の詳細や日付が描かれてあるようなものだが、そうでもないようだ。
篠田の視線を知ってか知らずか、八瀬は高級な料理の皿に被せられたクロッシュを外すように、箱のふたを開けた。
“それ”を眼にした瞬間、篠田と花本の口から感嘆の声が漏れた。
紛うことなき「鬼」の頭蓋骨があった。
“それ”は人間の頭蓋骨でありながら、明らかに異なる特徴を有していた。
本来ならば滑らかなドーム状となっているはずの前頭骨に、一対の大きな突起が形成されている。まさに“角”だ。
位置は両方の眉よりも上、人間でいえば生え際のやや下あたりになる位置だろうか。
特大サイズの猛禽類のカギ爪といえる形状をしており、長さはそれぞれが10cm程度、太さは付け根が4cm程度ある。左側の角の先端部は折れて短くなっていたが、残った右側はスチール缶に風穴を開けられそうな鋭さを有している。
異常なのは角だけではなかった。眉の根元にあたる位置は、眼窩上隆起を思わせるほどに上眉弓が発達している。人間の眉毛の内側と鼻の付け根にかけての部分の張り出しが大きく、非常に彫が深い顔立ちになっているのだ。
コーカソイド系やオーストラロイド系の民族に近いが、それよりも張り出しが強く、そのせいで骨そのものが眉をしかめているような形状になっている。般若面の様だともいえるし、威嚇する獣の顔立ちともいえた。
さらなる異様さを感じさせるのは口元と顎だった。歯並びはかなり悪く、八重歯が数える限りで15本以上ある。さらに犬歯の発達が著しく、口を閉じていても覗きそうなほど長くなっている。
全体的な印象から見るに、元から長かった物がせり出してきたような雰囲気がある。
顎そのものも相当な重量感を持ち、正面から見ると頭蓋骨のアングルがほぼ四角形を成するほど発達している。さぞかし厳つい顔立ちになったことは想像に難くない。
篠田は顔を近づけ、より細部を入念に確認した。全体の色はクリーム色がかかっており、そこまで古い骨でないことを示している。骨格標本などとも異なり、特に漂白処理なども施されていないようだ。
普通の人間とは異なる部分――特に角の周辺を確認してみたが、はっきりとみてわかる継ぎ目はない。頭骨と角の色合いもほとんど同じだ。角を境にして頭骨との色が異なっていれば別の生き物の骨を継ぎ接ぎして作ったことは明らかだが、その様子もない。
技術さえあれば、組み合わせの痕の処理と細工によって、本物に極めて近いフェイクを作り出すことは可能だ。江戸時代には水牛の骨を加工して膠で貼り付けて組み上げることにより、本物と見紛うばかりの“象の頭骨”を作った細工師がいたとされている。
彼に依頼した人間は、この奇妙な贈り物を賄賂にして出世の手掛かりにしたとかいう話がある。
篠田はこれまで、いくつかの“鬼の骨”を見てきた。岐阜県の念興寺に収められている鬼の頭骨。大分県の十宝山大乗院に収められている鬼のミイラ。
ただ、前者は角の取り付けに不自然さがあり、他はただの頭蓋骨だった。後者は形状が明らかにおかしく、X線検査で作り物と判明している。
それらに対し、この頭蓋骨は異常でありながら自然だ。いかに異形であっても、動物の体を構成するのであれば一定の自然な印象がある。優れた才能の持ち主が描けば、空想の動物であってもまるで実在している動物を描いたかような自然さを得ることができるのは、そうした生き物としての自然なポイントを押さえているからだ。
この頭蓋骨を作った者は、非常に優れた細工の技術に加え、生き物らしさを生み出すポイントを完全に把握していたのに違いない。
現代まで残っている河童や天狗や人魚やらのミイラは、いずれも動物のミイラをつなぎ合わせて作った偽物で、中には死体すら使用していない完全な人形まであった。どれもが見世物小屋の種や土産物として作られているものだが、優れた作品は本当の死体ではないかと思わせる自然な仕上がりになっている。
たとえフェイクであることが判明しても、出来の良さが衰えることはない。この頭蓋骨もその一つ、あるいはそれ以上とも言える代物だった。
「これはすごい」
篠田ははっきりと口にした。美術の素養は無いが、それでもこの頭蓋骨が工芸品どころか芸術品としての完成度を持っていることは確かだ。
「これ本物だったりしませんか?」
花本がそんなことを言い始めるほど、この頭蓋骨の出来栄えは自然で真に迫っていた。
「これの由来については、私は特に家族から何か聞いたことはありません。鬼の骨があるということは子供のころから聞いていましたが、目にしたのは成人してからのことです。子供に見せるには、あまりに……、気味が悪いというのもありますし、なんとも不吉な物ですから」
「ごもっともです。触れても良いでしょうか?」
「どうぞ」
八瀬の許可を得た篠田は、頭蓋骨にそっと触れた。ラテックスの薄い手袋越しの感触で、この髑髏が木やプラスチックではなく、本物の骨で作られていることが分かった。
篠田は頭蓋骨の前頭骨と頭頂骨の境目を指でなぞった。人間の頭蓋骨は45個ものパーツから成り立っている。赤ん坊の時は狭い産道を通り抜けられるようにパーツがまだ癒着していないが、成長するにつれて間にある組織が骨化して固まっていく。このパーツ同士の境目が、骨が固まった後でも縫合線と呼ばれる継ぎ目となって残っている。
違う骨同士を組み合わせるなら、この縫合線のところでパーツをつなぎ合わせれば最も自然に見えるのは間違いない。相当に高い技術を使っているようで、縫合線のところは自然に見えた。隆起している眉の付近や角の付け根を含む前頭骨とその他のパーツの境目はやや盛り上がっているように見えるが、はっきりとつなぎ合わせと分かるレベルの物ではない。研究室に持って帰って、表面のサンプル素材を取ったり、顕微鏡などで精査したりすれば、作った方法が明らかになるはずだ。
もっと詳細に観察をしたかったが、それは我慢した。最低限の仕事をすます必要がある。
まず骨を撮影ブースの上において照明を点けた。後ろと左右に立てられた白い板が骨の後ろまできれいに照らして、全体が明るく映るように設定する。横にサイズの目印になる定規を立てて、花本が前後左右の状態を撮影した。
学術的な記録だけでなく、これからこの骨を借り受けるにあたっての状態を記録しておく法的な意味合いもある。あらかじめ取り決めた以上の破壊をしないようにするという宣誓のようなものだった。
可能ならば所有者の立ち合いがある方が望ましかったが、いつの間にか八瀬の姿が消えていた。こちらが骨に夢中だったせいもあるかもしれないが、出ていく気配がまるでなかった。
ひとまず仕事を開始し、さまざまな角度から撮影していく。一眼レフのシャッター音がするたびに、頭蓋骨が反応しているかのような気がした。
「いやあ、それにしてもすごいお金持ちですよねえ」
骨の入っていた木箱の写真を撮りながら、花本が呆れたかのように言った。
「すごい家だし、それで定期的にメンテしてもらってるんでしょ? こんなデカい一枚板の杉の机なんて見たこともないし。由緒ある家系ってやつなんですかね」
「まあ、そうなんだろうな。この骨に関係があるなら話してくれるかもしれんが、あまり詮索しなさんな」
「いやあ、それでも気になりますよ。お金持ちなのに、こんなところで一人っきりって」
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