第2話 鬼病②

 文明の利器越しに人の声を聴いてからも、まだ化かされたような気妙な気分が付きまとっている。ひとまずそれを横に置き、二人はSUVのトランクから今回の“作業”に使うための道具を取り出した。

「先生の研究室に入ってから、こういう場所に来るってのはちょっと予想外だったかもです」

 トランクに入れていたクーラーボックスを引っ張り出しながら、花本がそんなことを言った。

「たいていは博物館とか研究室に行くからね。こっちから出向くってのはあんまりないな」

 篠田はカメラ一式と照明器具、撮影用ブースボックスのセットを取り出した。

 篠田は北東大学の自然人類学研究室で助教授の職に就いている。自然人類学は自然科学の分野から人類の進化や歴史を読み解く学問で、発掘された骨や歯の形態を分析することで、その持ち主がどういう人間でどういう生活を送ってきたのかを調べ上げる。

 石器や食事、入れ墨、装飾品などの文化的な情報の他、DNA解析や炭素年代測定、CTや3Dスキャナーまで利用することで、たとえ数千年前の遺体であっても年齢や顔、肌の色、目の色、食習慣、持病、当時の流行りのファッションに至るまで明らかにすることが出来てしまう。

 そうやって人類の歴史にメスを入れていくことが、この学問の目的となっている。

 他の研究分野と同じように、自然人類学も多数の専門分野に分かれ、どの場所で、どの年代の人間を相手にした分析を行うのかは異なっている。600万年前のアフリカに生きていた猿人を専門とする学者もいれば、江戸時代の大名の遺体を研究する学者もいる。

 その中で、篠田は古代から近代にかけての、遺骨やミイラの分析を専門としている。工事の際に地面を掘り起こしたら江戸時代の墓場だったので骨を何とかしてほしいとか、博物館に収蔵されている化石を再検査してほしいとか、古い骨がらみの話は意外と多く、技術提供のために海外の大学や研究機関と共同研究を行ったこともある。

 ただ、篠田の場合は人間の遺体に加えて“怪奇”に造詣が深い。河童に天狗に鬼に化け物。人魂に死人憑きに妖怪に至るまで、仕事の合間にあらゆる怪奇譚を読みふけり、小学校のころから水木しげるファンクラブに入っていた筋金入りとして知られている。

 そんな人間なので、彼の元にはいろいろと胡散臭い話が入ってくることがある。河童のミイラだの鬼の角だの、宇宙人の指なんてものまで、持ち主が正体を確かめてほしいと思ってどこかの大学に鑑定を依頼すると、それがなぜか篠田の方に話が流れてくる。

 篠田の方も物好きなので話に食いつき、あれやこれやの手で教授と委員会にねじ込んで予算を取り付け、嬉々として出かけていく。もっとも、それが本当に河童や鬼の持ち物とは思っていない。持ち主からいろいろな話を聞く方がメインなのだ。

 分析すれば結果はほぼ100%、つまらないものにしかならない。小動物のミイラの継ぎ合わせ、牛の角の加工品、ただの石ころ。それを野暮としてしまうか、それとも大したことがないものに尾ひれがついた工程を考える楽しみができると考えるかは人によるが、篠田は常に後者の考え方を取るようにしていた。


 今回の話も、そうした経緯で持ち込まれた案件だった。

 紹介してきたのは篠田の旧友の法学医で、骨の鑑定仲間ということで知り合っている。依頼者の名前は八瀬雪緒。見てほしい物品は「鬼の頭蓋骨」。メールに記載されていた住所を検索した篠田は、そこがとんでもない山奥であることに驚いて断ろうとも考えたが、添付されていた写真を見て考えを改めた。

 一目見てわかった。偽物だろうと何だろうと、これは実際に見る価値がある。

 そうやって長い時間をかけて山の中までやってきた篠田は、ようやくメールの送り主と対面できるところまで来た。花本の方はそろそろ論文のテーマを決めようかというところで、うまくいけば篠田が関わっている件に相乗りさせてもらえるかもしれないと踏んでいる。

 戸をくぐると、その先には石畳と玉砂利が敷かれた広い庭と、その先に立つ茅葺の母屋が見えた。敷地の広さは3千坪ほどもありそうだ。ちょっとした旗本屋敷ほどもある。母屋の方も、一家に加えて使用人家族が住んでもまだ余裕がありそうに見えた。それ以外にも様々なものがありそうだが、一度にすべてを見渡すことは出来そうになかった。

 ひとまず、篠田達はインターホンからの言葉に従って正面の玄関に向かった。ドアは近代的なガラス入りの引き戸に変えられている。縁側も商事ではなくガラス戸が入っていた。迷い家ではないのは確かそうだ。

 篠田が玄関横にインターホンがあるかどうかを探そうとしたとき、戸が横にひかれた。そこに立っていた人物――インターホンの声の主を見た時、篠田は思わず目を見張った。

 声の通り若い女性だった。年のころは20代半ば。背は170少々の篠田と同じぐらいで、女性としては高い方だ。夏物の暗い色のブラウスと紺色のロングスカートの姿が、背の高さと体格の細さを強調している気がした。

 篠田が目を奪われたのはその顔立ちだった。整った細面の顔立ちの中で、切れ長の目が篠田と花本の方を見据えている。化粧気は無いが、白い肌とうっすらと赤い唇の対比が目を引いた。女優やアイドルのような華美さがなく、肖像や写真のモデルが持っている彫像のような美しさがあった。

「お暑い中、ありがとうございます。この度、ご依頼をさせていただきました、八瀬京子と申します」

「は、はい。北東大人類学研究所の篠田です。こちらは院生の花本です」

 予想もしていなかった相手の登場に、篠田の声が思わず上ずった。

「よろしくお願いいたします。それではこちらへ」

 篠田の様子にも眉一つ動かすことなく、八瀬は二人を仲へといざなった。玄関は広さが8畳もありそうだったが、靴が入っている棚の中にあったのは数足だけだった。どれも女物で、スニーカーやサンダル、それとパンプスが1足ずつ。この家に住むのが八瀬一人だけであることを示していた。

 靴を脱いだ篠田達は、広い屋敷の中の奥にいざなわれた。薄暗い家の中で、八瀬の背中まである全く癖のない黒髪に光が反射して見える。

「立派なお家ですねえ」

 花本がそんなことを言うと、八瀬は振り返ることもなく答えた。

「先祖から受け継いでいる家です」

「失礼ですが、お一人ですか?」

「現在は私一人だけです。家族もおりません」

「こんな広いところに一人……」

「定期的に庭師さんや業者の方に手を入れていただいているので、何とか維持できております」

 花本の質問に、八瀬が簡潔で事務的な答えを返すやり取りが続き、やがて篠田達は客間の一つに案内された。12畳の大きな部屋で、真ん中には杉の一枚板を使った大きな座卓が置かれている。

「こちらでお待ちください。すぐに持って参ります」

 そうして、八瀬はしずかにどこかへ部屋を出てどこかへと行った。

 残された篠田と花本は、なんとも言えないあっけなさを感じながら、いそいそと準備を始めた。まずはビニールシートを出して座卓の上に敷く。標本と机を両方とも汚したり傷つけたりしないようにするためだ。

「先生、あれですよ。来てよかったんじゃないですか?」

 シートの上に撮影に使うブースを置いて展開しながら、花本がそんなことを言った。

「あの写真を見たからね。確かめたくもなるさ」

「いや、そうじゃなくって。出迎えてくれたのがすげぇ美人だったってこと」

「そっちか」

「あんな美人さんがこんなところで一人暮らしって、何か気になっちゃいますよね」

 これが東京の高級マンションならともかく、こんな辺鄙というには辺鄙すぎるところで、不自然なまでに立派な旧家屋で一人暮らしているとなると、訳ありめいたものがあるような気がする。

ただ、それをいちいち尋ねる気はさらさらない。誰にだって事情がある。それを根掘り葉掘り聞こうとするのは、河童のミイラの正体が作りものだったからと騒ぎ立てるよりもはるかに野暮だ。

「そういうことは胸の内にしまっておくんだね」

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