六、誓いの間
一瞬だった。グラードの魔法によって一瞬体が浮くような感覚があり、いつそうなったとも分からないうちに、ジェラルドたちは妖精たちとともに〈誓いの間〉の中に立っていた。妖精界では森の中なのか、まるで野外のような深い草むらや木立が〈混ざって〉いる。目の前に〈誓いの巌〉がそびえ、その向こうから大勢の笑い声がした。ジェラルドたちは岩の陰からそっと様子を窺った。
笑っていたのは妖精たちだった。グラードたちと同じような古代風の衣をまとい、鎧で身を固めたバルドラの人間たちを取り囲んで嘲笑っている。誰の目も憎悪に歪み、膨れ上がった怒りが目に見えるようだった。
囲まれている人間たちの中に、ジェラルドはヴェルフリートの顔を見つけた。彼が青ざめているのが怒りのためか、恐怖のためかは見分けられなかった――その足元に、後ろ手に縛られてうつむいているエレニアの姿もあった。ヴェルフリートは剣の切っ先をエレニアの白い首筋に突きつけ、妖精たちと対峙していた。
「うちの騎士団長もいる。……本気なんだね」
ユージーンが眉をひそめてぼやいた。
「ここが〈誓いの間〉なの? 」
「間違いない」
返事をしながらも、ジェラルドはしおれた花のようにうなだれているエレニアから目が離せなかった。何度となくジェラルドを救い、彼の心を動かしてきた笑顔はエレニアの頬から消えていた。だが、王族の不合理で理不尽な仕打ちに抗う意志すら見せず、健気にじっと耐えている彼女は、もしかしたらヴェルフリートの本心を分かっているのかもしれなかった。
ヴェルフリートにはエレニアを傷つける意思などないのだろう。エレニアは縛られてはいるが他に乱暴に扱われたような様子はなく、ヴェルフリートの剣先は彼女の肌には触れていなかった。妖精の側から境界に干渉させるために、彼女が傲慢な暴力に晒されたかのように装っているだけなのだ。
それでも、妖精たちを怒らせるのには十分な呼び水だったようだが。
「招きは与えてやったぞ、魔力なき王子よ」
先頭の妖精がヴェルフリートに向かって言った。彼はバルドラ王国の言葉を話すことができるようだった。
「あれはカレニウス」
とグラードが囁いた。
「外からバルドラにやってきたものの
カレニウスは枯れ枝のような細長い指をヴェルフリートに突きつけた。
「血濡れた剣を引き、乙女を解放しろ。その娘からは、我らと同じ魔力を感じる――同胞を傷つけることは許さぬ」
「先にわたしの弟を返せ」
ヴェルフリートは剣を動かさず、唸るように言った。
「こちら側にいるはずだ――だからおまえたちを呼んだのだ。侵攻の意思はない」
「……弟? 〈妖精王〉か? 」
妖精たちはざわめいた。意外そうな囁きと押し殺したような呟きが、漂う悪臭のようにジェラルドたちのところへも届いた――妖精王が? もし本当なら、我らの手で石にでも変えてやったものを……。
「こちらでは貴殿の弟の身柄なんぞあずかり知らぬ」
カレニウスは冷たく言い捨てた。
「我らは〈妖精王〉など認めぬ。だが、だからといって連れ去って害をなすなどというおぞましいことはしない。そのような考えは、〈魔力なきもの〉に属するものだ。吐き気がする」
「なんだと……」
「よくよく調べもせずに戦を仕掛けるなど、あまりに浅はか――不可解なことをすべて魔法のせいにするのは、〈魔力なきもの〉が我らを迫害するときの常套手段であったのだ。恐怖に負けたか、魔力なき王子よ。我らは侵攻などという馬鹿げたことはしないが、わざわざ怒りを買いに来たものを無事に帰しはしない。愚かものどもめ! おまえたちはみずから棺を担いで死地に赴いてきたのだ」
〈誓いの間〉に、蜂の羽音のような低い呪詛が充満しはじめた。ひとりが足を踏み鳴らすと周囲が彼に同調し、しまいに大地そのものが鼓動しているかのような揺れになってジェラルドたちのところにまで響いてきた。
「馬鹿花、グズ馬、マヌケ雲! 」
妖精たちは声を揃えて歌うように罵声を浴びせた。弓を携えているものが鉛色の矢をつがえるのがジェラルドから見えた。
「天なる父に 地を抱く母よ
金の息子に 銀の杯
金の娘に 銀の櫛
与えたもうた たらちねの
宝の子らを 害するものは
叩いてちぎって 放り出せ! 」
青ざめる人間たちの上に、四方八方から呪いと矢が降り注いだ。妖精たちの矢は魔法でできているらしく、当たっても相手を射殺すことはなかった。だが、剣の隙間をかいくぐってきた矢に射られたものは次々と剣を手放して膝をつき、頭を抱えて泣き叫ぶのだった。バルドラでも指折りの、卓越した精神力を備えた精鋭たち――射られようが斬られようが泣き言ひとつこぼさずにいられるはずの彼らが外聞もなく声を上げてのたうちまわるさまを見るのは、味方には彼らの死を見せつけられるのと等しい恐怖だった。
「おまえたち、しゃんとしないか! 」
騎士団長のアルテミシアが叫ぶ。だが、普段であれば彼女の一声ですぐさま居住まいを正す騎士たちも、すぐには立ち上がれない様子だった。ユージーンがアルテミシアの剣幕に肩を縮めた。彼女の大喝は、彼がこの世でもっとも恐れているもののひとつだった。
「あれってそんなに痛いの? 」
「あれは〈失意の矢〉だ」
とグラードがジェラルドを介して答えた。
「肉体ではなく、魂を傷つけるための魔法だ。射られたものにとってもっとも酷な光景を現実のように見せつけ、立ち上がることもままならぬほど心を打ち砕く。泣き喚くだけで済むのなら大したものだ――あの魔法にかけられると、衝動的にみずから命を絶とうとするものも珍しくないからな」
妖精のひとりが細身の剣でヴェルフリートに斬りかかった。アルテミシアが応戦したが、矢の雨をかわしながら何人もを相手取って切り結ぶのは、ヴェルフリートとふたりがかりでも明らかに不利だった。
「殿下! 団長! 」
騎士たちはこの窮状に奮い立ったが、助けに入ろうにも普段の働きには遠く及ばなかった。彼らは肉体的にはまったく無傷であるにもかかわらず、妖精たちの猛攻に防戦一方の屈辱的な戦いを強いられていた。
「所詮肉体なぞ魂の器よ。心を挫かれたものがまともに剣を振れるはずはない。殺すまでもないわ……そのままいつまでも地べたに這いつくばっておれ! 」
妖精たちはゆったりと剣先を振り、騎士たちを挑発した――だが、この力を持つがゆえの驕りこそ、かつて妖精たちをバルドラの地から追いやった悪癖に他ならなかった。
騎士のひとりが一瞬の隙をついて振り上げた切っ先が、彼をからかおうと近づいた妖精の胸元を深く切り裂き、剣を弾き飛ばした。思わぬ反撃に妖精たちは後ずさり、〈失意の矢〉が射られたが、逆効果だった。騎士は何度も絶望を味わわされるうちに次第に理性を失い、苦し紛れに剣を振り回しはじめた。
「落ち着け、ケネス! 」
アルテミシアが止めようとしたが、もはや誰の声もその耳には届かないようだった。〈失意の矢〉によって完全に現実を見失った気の毒なケネスは、涙をぼろぼろこぼしながら周囲のものに手当り次第に斬りつけた。完全に魔法に囚われた今の彼には、すべてが敵に見えているに違いなかった。
「うう、ちくしょう! この化けものどもめ! 」
ケネスはしゃくりあげ、呻いた。何が見えているのか、赤く腫れて血走った目が、体を低くしていることしかできないエレニアを捉えた。エレニアは〈失意の矢〉を受けることはなかったが、両手を縛められたままヴェルフリートのそばに捕らわれている限り、彼女も剣と矢の応酬に否応なく巻き込まれるしかなかった。
ケネスはエレニアに向かって剣を振り上げ、喚いた。
「おれの女房と子どもを返せ! 」
次の一瞬は、ずいぶん長く感じられた――これほど凝縮された数秒、これほど何かひとつのことを強く望んだ数秒は、ジェラルドの人生にはかつてなかった。
その次の一瞬、何が起きたのか、どうやったのか、理解をまったく置き去りにしたままでジェラルドはエレニアの前に立っていた。ケネスの口が驚きに開かれる――ジェラルドはそばに打ち捨てられていた誰かの剣を取り、ケネスの剣を受けた。
すぐにグラードとともに側近たちが現れ、ユージーンがケネスの足を払った。人間だけでなく妖精たちも呆気に取られて闖入者たちを見守っていたが、それもわずかな間だけだった。
「動けるんなら手伝え! おれがケネスを斬ってもいいのか! 」
ユージーンが息も絶えだえに一喝すると、騎士たちは夢から覚めたようにはっとして彼に手を貸した。グラードが近づき、ケネスの体から鉛色の矢を一本ずつ抜いてやった。ケネスは次第に大人しくなり、やがて気を失った。
「起きても混乱しているようなら、悪夢を見たんだと言ってやれ」
グラードは騎士たちに言い、他の犠牲者に刺さったままの矢も次々に抜いていった。
妖精も人間も、このとき完全に静まり返っていた。エレニアだけが小さな声でルディ、と呼んだ。ジェラルドは返事をしたかったが、エレニアはどうやら無事だと分かっても、ほほえむだけの余裕は戻っていなかった。もしかしたら、エレニアが泣いていたせいかもしれない。大丈夫だよと伝える代わりにただ何度も頷きながら、ジェラルドは彼女の両手を自由にした。
ヴェルフリートはリヒャルトとユージーンを幽霊でも見るかのような顔で見、ジェラルドを――彼の弟とは似ても似つかない姿の――見た。そして、意思と反して声が出ているとでも言うような不可解そうな表情で口を開いた。
「……おまえ――? 」
兄上。呼ぼうとしたが、叶わなかった。
「災いの王子め」
低い呪詛のような声が間近に聞こえ、ジェラルドは左胸を鉛色の矢に射られていた。
*
〈誓いの間〉は惨憺たるありさまだった。妖精も人間も残らず死に絶え、足元を埋め尽くすほどの人数が転がっているにもかかわらず、呻き声ひとつしない。
なぜこんなことになってしまったのか――ジェラルドは重い両足を無理に動かした。妖精と人間が戦って相打ちになったと思しきもの。妖精同士の魔法の応酬によって互いが石像と木像に変わってしまったもの。人間同士が刺し違え、背から切っ先が突き出ているもの――。
呼吸が乱れ、うつむいた拍子に頭から何かがずり落ち、澄んだ音を立てて足元の血だまりに落ちた。金細工で月桂樹の冠をかたどった、バルドラ国王の王冠だ。そうだ、おれは即位したのだ、とジェラルドは思った。
政はうまくいかなかった。〈妖精王〉が即位することで妖精と人間の枠を超えてバルドラの民はひとつに統合されたが、王宮内では従来の第一王子派と第二王子派とで内政が二分し、混乱しているところを他国に攻め込まれ、問題が何も解決できないまま犠牲者ばかりが増えていった。
妖精たちは〈妖精王〉と人間たちのありさまに呆れ、怒り、あるいは絶望し、それでもジェラルドを信じるものと、彼に失望して玉座を奪い取ろうとするものとで激しい同族争いが起こった。
その結果がこれだ。
ジェラルドは心底すべてから目を背けたかったが、できなかった。見知った顔がいくつも転がっていた――体中に何本も剣を刺され、立ち往生したグラード。死してなお剣を離さず、前のめりに倒れ伏したサウィン。もはや騎士たちに発破をかけることもなく、静かに事切れたアルテミシア。
次第に耐え切れなくなりジェラルドはとうとう目を閉じたが、その途端何かにつまづいた。黒い髪がべったりと張りついた、丸い〈何か〉……ユージーンの首だった。ジェラルドは膝をつき、うなだれて、首を抱えた。すぐ近くに、壁にもたれて立つリヒャルトの姿もあった。彼は心臓を刺し貫かれ、壁に縫い留められているのだった。
クーナが倒れているのも見えた。庇おうとしたのか、誰かと折り重なっている。矢車菊と星空をかけあわせたような瞳を持つ誰か……無垢な小鳥のように優しく、水のようにしなやかな心を持つ誰か……かたわらに王妃の王冠が転がっている。ジェラルドは彼女のそばへ行って抱き上げてやることもできず、ユージーンの首を抱いたまましばしぼんやりと虚空を見つめた。
背後からビチャビチャという耳障りな水っぽい足音が近づき、ジェラルドからやや距離を取ったところで止まった。ヴェルフリートだった。望まずしてこの世の地獄で再会した兄弟は、無言のまま互いの様子を見守った。
「父上がみずから剣をお受けになった」
ヴェルフリートは彼らしく、ごく静かな口ぶりで言った。
「バルドラ中がこの〈誓いの間〉のようなありさまだ。いずれ海の向こうの馬鹿どもがおまえの首を取りにやってくるだろうが、それまで永らえられるなどとは思うな」
ジェラルドが何も言わずに彼を見上げているので、ヴェルフリートはため息をついた。
「統治者の失策の責任は、いつでも貧しいものから取らされる。王都のものたちが蜂起したのだ。中には、おまえの首を持ってどこぞの君主に献上し、バルドラを統治下に入れてもらえばいいなどと本気で言い出すものまでいる。――父上は、抵抗なさらなかった。じきにここまで押し寄せてくるだろう」
ヴェルフリートは剣を放ってよこした。そして、冷たい声で続けた。
「今ここで自害しろ。兄を押しのけて即位した挙句に国を滅ぼした愚かものは、これ以上見苦しく生き延びようなどと考えるな。最初から、バルドラの王子はわたしひとりで十分だったのだ――おまえは関わるものすべてを不幸にしかしないのだから」
ジェラルドは黙って聞いていたが、ふいにおかしくなって思わず唇の端を上げた。途端、ヴェルフリートが明らかに狼狽した様子を見せた。
「なにがおかしい! この状況で、気がふれたか! 」
「いつからそんなに口数が多くなったんです? 」
ジェラルドは立ち上がった。ヴェルフリートはうろたえ、後ずさりした。
「寄るな! なんだ、その態度は……おまえの側近たちは、おまえの愚策のために死ぬ羽目になったと恨み言を言いながら死んだのだ! おまえに生きる価値などない! 」
「なら、こいつらは本物じゃない」
ジェラルドは抱いていたユージーンの首を落とした。首は嫌な音を立てて転がり、泥のように崩れて跡形もなく消えた。
「おれの側近はそんなに誇りのないやつらじゃない」
「おまえの王妃はおまえに嫁いだことを悔いていた! 」
ヴェルフリートは血走った目で叫んだ。
「おまえの愛を受け入れさえしなければ、こんなことに巻き込まれずに済んだ! おまえに出会いさえしなければ、幸福なまま生きていられたのだとな! 」
悔いていた? 嘆いていた? 〈彼女〉が?
ジェラルドはついに声を上げて笑ったが、その途端、胸につかえるものを感じてひどくむせた。左胸に鉛色の矢が刺さっている――なんだ、こんなことになっても死んでいないのなら、やっぱり幻じゃないか。
ヴェルフリートは両目を怒りのために赤く光らせ、耳まで裂けた口を開いて咆哮した。いよいよ化けの皮が剥がれたなと、ジェラルドはかえって愉快になってきた。
「なぜ絶望しない! 」
ヴェルフリートのまがいものは、本物の彼とは似ても似つかないガラガラ声で怒鳴った。
「これはおまえの〈恐れ〉の風景のはずだ! 」
「まあな……そこそこ肝は冷えたよ」
ジェラルドは認めた。
「だが、辻褄が合っていない。〈恐れ〉は〈現実〉じゃない。どんなに本物らしく見せたって、幻だ」
ジェラルドは胸を刺している矢に手をかけた。矢は何の抵抗もなくするりと抜け、そして――。
「我が君! 」
ジェラルドが我に返ると、グラードが必死の形相で彼を振り向いたところだった。彼だけでなく、側近たちやエレニア、目の前で話していたヴェルフリートも、ジェラルドが射られたことに驚愕の表情を浮かべて何か叫ぼうとしたような形に口を開いている。おや、とジェラルドは思った。どうやら、矢を受けてから実際に経った時間は、ほんのひと瞬きにも満たないほどであったらしい。
「どうなってるの? 」
ジェラルドを自分たちの方に向かせ、平然としているジェラルドと彼が手に持っている〈失意の矢〉とを見比べながら、ユージーンが目を白黒させた。〈失意の矢〉は、砂のように崩れて消えてしまった。
「刺さらなかったの? え? 刺さる前に掴んだとか? 」
「いや、刺さった……おぞましいものを見た。だが、結局は幻だった。一度分かったらあとは簡単だった」
「〈失意の矢〉を打ち破った………」
カレニウスがジェラルドを見つめて呆然と立ち尽くした。グラードが苦い顔をして彼に声をかけた。
「カレニウス、いつまでも祖先の恨みつらみの中に生きるのはやめろ。この方は予言にある祝福の王だ。我々を迫害する王ではない。災厄を退け、我らにバルドラの大地を踏ませてくださる。戦によって分かたれた民の手をふたたびひとつに結び合わせてくださるのだ」
「災厄なんぞというものが、いつ我らを煩わせた? 〈魔力なきもの〉の王など――」
「カレニウス」
ジェラルドは立ち上がり、カレニウスに向き合った。カレニウスは口元を歪め、今にも何か叫び出しそうに見えたが、ジェラルドを凝視したまま沈黙を守った。
「おれは、妖精も人間も――マレビトも魔力なきものも、どちらもバルドラの民だと思っている。もとはひとつの民だったのだから当然だ。どちらかを踏みつけにするような政をするつもりはない。おれを認められないというものも、いて当然だ。……古代の災厄なんて、おれだってまだ信じられないくらいだ――信じてもいないものに立ち向かう王なんか、君たちからすれば無用の長物だろう。こちらの王宮にだって、おれを嫌いなやつはいるしな」
「……あなたは、〈そちら〉のバルドラの王子だろう。しかも、次代の統治者となることを予言されている。当人に悟れるほど表立って悪意を向けるものがいるとは思えないが」
「そうでもない――おれは次期国王だと言われてはいるが、第二王子だからな。兄やおれの意思とは関係ないところで勝手に派閥を作って、勝手に足を引っ張り合っている連中は少なからずいるんだ。……もちろん、そんなやつらばかりじゃないけどな」
カレニウスは押し黙り、耳を傾けている。彼が大人しくしているので、弓を持ったものたちもじっとこちらに注目していた。
「兄が無体なことをしようとしたのは、謝る。証拠もないのに君たちを疑い、無抵抗の娘を人質に取って君たちを従わせようとしたのだから、君たちが怒るのも当たり前だ。本当に申し訳なかった――しかし、おれたちは同じバルドラに生きるもの同士なんだ。こちらの兵は引かせる。兄が探していたのはおれだ。おれが責任もって説得する。……君たちも、どうか剣を収めてほしい」
カレニウスの側について戦っていた妖精たちは呆気に取られた様子でジェラルドを見ていたが、誰かが呟いた。
「乙女が斬られそうになったとき、この方が割って入って剣を受けた。供のものがいて、グラードたちが味方についているのに、自分で……。自分も斬られてしまったかもしれないのに」
妖精たちは顔を見合わせ、ひとり、またひとりと武器を手放していった。人間たちは話の行方は分からないまでも、場を収めたジェラルドを見つめた。
カレニウスは行き場のない感情を持て余しているような、何とも言えない渋い顔つきでしばらくジェラルドを睨んでいたが、やがて視線を逸らして言った。
「――王たるものが、たやすく謝罪を口にするものではない。愚かものの中には、それで自分が優位に立ったとつけ上げるものもいるだろう」
「おれなりの誠意だ」
ジェラルドは安堵を感じながら言った。ひとまず、最悪の事態は避けられたようだった。
「あなたならきちんと受け取ってくれると思った」
「………ああ、もう、これ以上言われるな。あなたを全面的に認めたわけではない」
カレニウスは不機嫌そうにそっぽを向いた。グラードが口元を緩め、ジェラルドに向かって片目をつぶってみせた――。
「……なんだ? 」
人々が怪訝そうに辺りを見回した。突然地面を振動が伝わり、足元が揺れた。一度では終わらない――どん、どんと連続する小規模な揺れは不気味だった。
前触れはわずかだった。〈誓いの間〉の床が下から持ち上がり、音を立てて崩れる。悲鳴が上がり、むき出しの大地から舞った土ぼこりが視界を覆った。
すぐ近くからリヒャルトたちの叫びが聞こえた。
「なんだ? 何が起きてる! 」
「分からない! 」
暗くけぶる視界を、何かが横切っていった。土ぼこりを悠々と攪拌する、不可視で巨大な何か――。
「……災厄だ」
よろよろと立ち上がったヴェルフリートが震えながら呟いた。
「災厄の〈ひれ〉だ……! あのときと同じ! 」
ジェラルドは兄に声をかけようとしたが、間に合わなかった。せめて誰かひとりの手でも掴めれば。そう思って伸ばした手は、誰の手にも触れることはなかった。
そして、〈誓いの間〉は崩壊した。
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