最後の戦い

十字塔の最上階は、この極北の地にあって快適な温室になっていた。透明な天井の向こうに広がる空は黒に近い青をしており、雲などは遥か下界に置き去りにされている。

その部屋の中央に立っているのは水色のローブに身を包んだ黒髪の少年。ルドヴィークと年格好も背丈も同じくらいの、平凡でどこにでも居そうな、しかし漆黒の目だけが老成した、恐らく不老不死の神だった。

「失礼します。あなたが神、そう、主神ですか?」

アンゼが彼に問う。少年は無感動に彼女を見て、ゆっくりと口を開いた。

「ああそうだ。永遠の命を得し神、それが私だ」

「世界を救ってください。あなたならできるはずです。あの男が混乱におとしいれた世界を。」

アンゼが歩み寄ると、モーチェスが彼女を追い越して詰問した。

「そもそも、どうして止めないのです?そしてどうして自らを絶対として、罪のない者が命を落とすのを見ているのですか?神とは人を苦しめるものですか?

世界には多くの考えの人がいます。その人々が幸せに過ごせるようにするのが神ではないのですか?」

「救う? 私が世界を? ハハハハハ。」

主神は少し瞠目したあと、渇いた笑い声をあげた。ルドヴィークがいきり立つ。

「何がおかしいっ!」

「私にはなにもできないな。もう今は力などないよ。昔の話だし。それに、神を信じろなど、私はひと言も言っていない。神官と、ヒトたちが勝手にやっていることだ。」

「しかし、それを放っておいたのはあなただ。」

クリウスが口を挟む。主神はくたびれたように首を振った。

「もう力がないと言っているだろう?ただ死ぬことができないだけでこの座にしばりつけられて…私は世界が憎い。なくなってしまえばいい。世界は私に苦しみをおしつける。」

「どういうことですか?」

エミューナが声を低くする。

「ラインハルトはおもしろいことをしてくれると思ったよ。ハハハハ。あいつは永遠の命にあこがれていたからな。私を救ってくれるかと思ったがそういうわけにもいかなかったようだ。君たちのおかげでね。」

主神とアンゼの目が合う。アンゼは片眉を上げた。

「はい?救う気はないってことね。」

主神はアンゼ達に背を向けて、少し歩いて遠ざかる。

「私が生まれたときに予言があった。『混沌と変わりし世界、六つの光一つの光ともに神に集う』と。予言はそこまでで、六つの光が私を救うとも、一つの光が私を安らぎにいざなうともわからなかった。」

「それがどうした?主を殺したのはおぬしか?それとも美の神とやらか?」

ソウが主神の背中に問いを投げかけた。主神は振り返る。

「私は何もしていない。ラインハルトがやったことさ。ラインハルトがもういないのなら、世界をこわしてもらえない。もう私はつかれたよ。世界は、私が終わりにする」

「なに言ってるんだ!」

ルドヴィークが吠えた。

「消えたほうがいい。バカなヒトも神官も神も。混乱をつくるくらいはできる。そこから世界をこわすのはヒトたちさ。ハハハハ」

「やめてください!」

アンゼが悲痛な叫び声を上げる。クリウスが彼女の前に出る。

「やめてくれないなら…」

ルドヴィークも銃を構える。

「ボクはおまえを…」

モーチェスが先んじて不死鳥を召喚した。

「私は神などというものを許しません!」

主神は陰鬱な笑みをアンゼ達に向ける。

「ほう?おまえたちが私を救ってくれるというのか?」


主神が左手を広げると、彼の肩に巨大な翼を持つ美しい金髪の女精霊が現れた。

「ウェル。ラインハルトとリンを討った者たちだ。思うところもあるだろう。今一度私とともにこの苦痛を排除しよう。」

「…分かりました。」

主神と女精霊が言葉を交わす。途端に、星と直接接続されたかのように、主神の魔力が急激に増幅する。

その魔力の流れから、ララが来る、とモーチェスは見切った。ヒールボトルを準備し、カウンターで不死鳥を発動させる。

ルドヴィーク達も美の神戦で使った作戦を踏襲する。エミューナとアンゼに全ての強化を集めるのだ。

主神が右手に銀色の剣を生成し、詠唱する。

「呼応。善き精霊は光満つる昼に輝く。集結。其ははじまりの力。闇分かつ言霊。全て巡り還る処。収斂。守るは永遠、守るは理、其の無機なる営み。執行せよ、〈聖天の楽園/ホリィ・エリジウム〉」

光が満ちた。最上位全体神聖攻撃魔法、主神なれば禁忌など無意味。生命に対して特効を持つその魔法は、しかし主神の予想に反して、誰の膝も付かせることが出来なかった。

「…それは…精霊、聖獣の類か…?」

ソウの魔剣エクスキャリバーが。モーチェスのユイフィスレイピアが。ルドヴィークの銀色の銃が、クリウスの碧い片手剣が、エミューナが水の神から得た大剣が、アンゼの持つ美の神が遺した〈夜〉の杖が、新たな持ち主を守っていた。

アンゼが〈夜〉の杖を床に音高く打ち鳴らす。禁書庫で目にした精霊召喚の術式の数々。その中に記載のあった、精霊より強力な聖獣を利用する手法。今の詠唱を聞いて、思い出した。

「呼応。深淵は光を呑み夜に輝く。集結。其は七つめの力。常世の闇。生と死の姿。収斂。守るは人、守るは人為、其の生命の営み。執行せよ、〈闇の氾濫/ディアボロ〉」

アンゼが詠唱を始めたのを見てルドヴィークとクリウスが顔を見合わせ頷く。二人がかりでアンゼの術式強化を最大限まで行う。

エミューナとソウは目が眩んだままだったが、手を止める訳にはいかない。ソウがディスペルハーブでエミューナの目を治し、エミューナは精霊に斬りかかる。恐らく主神に力を与えているのは精霊の方だ。これを牽制しておけば主神は大技を出すことは──

「不死鳥よ!」

モーチェスがララを読み切り不死鳥を発動させ、ヒールボトルを空ける。魔力が無理矢理に補填されて目眩がするほど気分が悪い。しかし、神の横暴にはもう我慢がならなかった。

アンゼの詠唱が成立する。天が隠れ、闇が満ちる。主神の精霊が羽を拡げ、闇を阻まんとし、そのまま呑まれる。

「ウェル…」

主神が縋るように精霊を呑み込んだ闇に手を延ばし、

その手を、

首を、

胴を、

エミューナが旋風の如く刈り取った。

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