死闘
神と対峙してきた彼ら四人をあしらうなど、チェザーレ人形には荷が勝ちすぎていた。人形は少しの間抵抗を見せたが、最後はアンゼの魔法で動かなくなった。
モーチェスを振りほどいたルドヴィークが人形に近づく。
「お兄様っ…お兄様」
「まだよ。完全にとどめをさしていない。」
アンゼが杖を構えると、ルドヴィークはアンゼに飛びかかった。
「おまえっやめろっ」
「やらなきゃいけないのよ。憎むなら、私を憎みなさい。悲しまなければいけないのなら、自分を責めるより、他人にはけ口を求めるほうが、ずっと楽でいい。」
「…。(そうかもしれないが…きみは苦しいままだよ?)」
クリウスはアンゼに哀しみの目を向けた。不器用な彼女は、全ての責任を引き受けることでしか、今まで生きてこられなかったのだ。その結果が、今の孤独な女王。妹にすら信じてもらえないと自分の前で弱音を吐いた、あの姿だった。
『もういい。動かすのをやめるさ。その人間、魂を抜いて使っているうちに、体まで死んでしまったから。』
声が響いたかと思うと、チェザーレだったものはサラサラと崩れて砂になっていった。ルドヴィークがそれを掻き集めて号泣する。
「お兄様ーーーー!!」
アンゼはそんな彼女から離れて、小さく溜息をついた。
「また、悪役になりそこねたわね。格好悪い…」
「その方がいいよ。」
クリウスがアンゼの肩を抱いて頷く。
「…許せません…」
エミューナはぎゅう、と両の拳に力を籠めた。
『私はどこかにいるよ。さがしに来るといい。』
水晶の洞窟のようだった神殿は、上階へと進むにつれて段々と人工建造物のように成形された威容を見せ始めた。今、恐らく本物の、十字塔を登っているのだ。モーチェスは胸のロザリオに手を遣った。
こんな状況でなければ、神秘的な体験だと思っただろう。しっかり記憶して、ガザーリーに、できればフィルドゥーシーに語って聞かせてやりたいと思っただろう。しかし、彼が今腰につけているレイピア、ネヒティア初代国王の名を持ちチェザーレの遺品たるユイフィスレイピアが、油断するな、敵を討てと一歩ごとに彼に語りかけてくるようだった。
水の神を倒し、水晶の転移魔法陣を使った先に、その男はいた。
「ああ、とうとう来たか。」
普段目にしていた闇色のローブは羽織っておらず、真珠のような淡い七色の光沢を持つ白いロングチュニックに、鮮やかな紫色のベストを着て、銀の剣ではなく黒い竜をあしらった長い魔法杖を軽く右手に抱えている。
「おぬしが、神か?」
ソウが剣の柄に手を当てて尋ねる。男は肩をすくめた。
「今はまだ美の神にすぎないけれど。もうすぐ、世界がうつくしくなったら、私が主神となる。今の主神を消して。」
「そう、ちがうのですか。でも、たとえちがっても」
「ボクはおまえを許さない!」
エミューナとルドヴィークが武器を構える。
「もうすぐ、みんななくなるさ。そして、うつくしくなる。」
ヒト達の敵意など意に介さぬかのように美の神は両手を広げ、楽しげに笑った。
「うつくしい、とは何ですか?あなたはそのことばのもとに、いったい幾人を殺したのです?」
モーチェスが詰問する。美の神ははて?と首を傾げた。
「さあね。うつくしくないものは、消えていい。」
「少なくとも、消えるのはあなたよ。」
アンゼが杖を構えて前に出る。
「世界を壊した代償を…」
クリウスがアンゼの隣に立つ。
「お父様たちの仇を…!」
エミューナが先陣を切った。美の神に突進を仕掛ける。難なく躱した先をルドヴィークが狙撃する。命中して美の神の袖が赤くなるが、彼は意に介していない。
「ララ」
聞いたことのない短い詠唱。何もない空間が突如爆発し、足が、腹が、腕が、頭が、ことごとくが吹き飛ぶ。
(――まずい!)
モーチェスは不死鳥を召喚し、死が追いつく前に仲間たちのダメージを全て無かったことにした。代償に、ごっそりと体内の魔力を奪われる。
「ほう、今のを耐えるか」
美の神の顔が面白そうに上気する。アンゼの
(今までの神とは格が違う…!)
クリウスは愕然とした。生半可な攻撃では通用しない、そう察した彼はエミューナの武器を強化する。ルドヴィークもエミューナに武力強化の術を掛ける。ソウが絶え間なく斬りかかり、アンゼも惜しまず精霊召喚を行うことで美の神の注意を引く。そうするうちにエミューナの攻撃が徐々に当たり始めた。美の神が神聖魔法で回復行動を取る。モーチェスは聖歌を歌い、自分を含めた皆の魔力を補填し続ける。さもないと、そろそろきっと、
「ララ」
やはり来た、二度目の破滅の言霊。不死鳥に魔力を与え、場をつなぐ。聖歌では間に合わない、そう判断したモーチェスはヒールボトルを併用することにした。
クリウスのエミューナに対する武器強化が不発に終わる、強化上限になったようだ。ならばとアンゼに魔力を分け与える。炎の精霊王ジィンに
「──
ソウが腹をぶち抜かれながらニヤリと笑う。
次の瞬間、エミューナの大剣が美の神の首と胴を斬り離していた。
「バカな…私が…死ぬ?神は…私は永遠の神となる者であったはずだ…。」
首と胴が別れてなお言葉を発するその生き物に、気味悪さを覚えたアンゼ達は少し離れた場所でモーチェスに回復を貰いながら美の神が息絶えるのを待った。
「そこまでの存在だったってことよ。」
空間が滲み、美しい黒髪の女が姿を現す。
「リン…おまえの力で…」
美の神が女を床から睨みあげる。リンと呼ばれた女は彼を見下ろし、きっぱりと首を横に振った。
「そういうの、うつくしくないわよ、あなたのことばで言うと。」
「くっ…」
美の神は観念したように目を閉じた。そのまま、動かなくなる。
「さよなら。もうあなたに用はないわ。」
リンは少し寂しそうに目を閉じた後、美の神の遺体に手をかざす。一瞬で、水に溶けるように、遺体は跡形もなく消えていた。
エミューナが大剣を構えてリンに誰何する。
「あなたは何なのです?」
「剣をおろしてくれない?戦うつもりはないわよ。私はただの精霊。ラインハルトと契約してただけ。また新しい体をさがさないと。」
「契約?」
ルドヴィークが首を傾げた。
「魂にとりついてただけよ。もうあなたたちと話す時間はないわ。主神にでも相手をしてもらいなさい。」
リンはそう言うと姿を消してしまった。
「何だったんだいったい…」
クリウスがぽつりと漏らす。モーチェスがふむ、と眼鏡をかけて教師モードになった。
「精霊…は生き物ではありません。一種の霊力の集合と考えられています。そして、霊力の源はこの大地自身です。魔法の力も、大本は精霊と契約することによって行使されるものなのです。…炎の精霊から炎の魔法というふうに。」
美の神とリンは折り合いが悪かったのだろうか。アンゼがするような一時的な精霊召喚と違い、魂にとりつくような契約は〈死が互いを分かつまで〉となる。なれば契約者の死に際して何も手を出さないのは、契約者の死、契約の破棄を望んでいるということになるが…。
アンゼはリンの寂しそうな横顔を思い返す。
自分もフィーアールを処断した時は、そんな顔をしていたかもしれない、と思った。
「さっきの男は神ではなかったということか?だが、神の一人とは言っていたぞ?」
ソウがクリウスの方を向いて尋ねる。
「ああ、神の一人ではあっても主神とはちがうようだ。」
「主神?……拙者にはよくわからんが…」
「我々の信じる宗教はある種の多神教でしてね。本来は何人も神というものがいるのですが、それを統括している主神を便宜上『神』と呼ぶのですよ。」
「『異教の王』を殺したのは主神か?」
「そういうことになっていますが…美の神というあの男がやったのかもしれない。」
モーチェスが眼鏡を外して剣呑な表情になる。アンゼは溜息をついて部屋の外に続く水晶の渡り廊下を見遣った。
「神はあの男の勝手な行動を知ってらしたのかしら?まさか神が世界をこわそうとするとは思えない。今の状況をなんとかしてもらいましょう。」
「そうですね。」
エミューナが笑顔で頷く。
「…ここまで放っておいた神も同罪ですよ。」
モーチェスは怒りを抑えるかのように目を閉じた。
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