深淵の廻廊

「行く!つれていってよ!」

ルドヴィークが心を決めた。モーチェスが念押しする。

「ヴィーク、いいのですか?」

「ボクはお兄様に会いたい!モーチェスもエミューナ姫も一緒に来て!」

「…。はい。」

エミューナは静かに怒りを燃やしていた。目の前の男に落とし前をつけさせねば、ここまで送り出してくれたアンゼに申し訳が立たない。ルドヴィークが決意してくれたことは渡りに船だった。

「そうですか。ガザーリー、私たちはこの男について行きます。フィルドゥーシーのこともわかるかもしれません。」

モーチェスが淡々と旧友に説明する。ガザーリーは頷いた。

「そうだね。大丈夫、何とかして一人で帰るよ。フィルドゥーシーも一人でここまで来れたんだから。」

「すいませんね。いつもいつも。」

モーチェスが謝る。そんな殊勝な態度を取る奴は知らないな、とガザーリーは黙って微笑んだ。きみはもう、僕の知っているモーチェスじゃない。勝手に僕たちの人生に関わってきて、弟を奪っていった銀色の死。そして再び現れて、今度は僕の思い出を奪っていく。

好きにしろよ、とガザーリーは思う。きみはもう、振り返るな。今そこにある大切なものを守ることだけを考えろ。きみはそのけじめのために、再びこの街に戻って来たんだろう。

「気にしないで。」

笑顔で声を掛けることができた、と思う。あまり自信はなかった。

「ああ、来るんだ。フフフ。じゃ、こっちにおいで。」

黒い髪の男がルドヴィーク達に手招きする。

神々しい光を放つ魔法陣が発動して……。



「あら、お帰りなさい。大変だったようね。」

白く輝く水晶の宮殿、その一室に帰ってきた部屋の主に、夜の大精霊リンが声を掛ける。

「世界はうつくしくなるのか。だが、矢は放たれたよ。」

ラインハルトはリンに頷いた。ここから短命種同士がうまく潰し合って、世界が炎に包まれてくれれば面白いのだが。

「そうかしらね。あの子供二人と変な神父は?」

「深淵の廻廊に落としておいたよ。」

「殺したってことじゃない。」

リンが呆れたように言う。ラインハルトは深淵の廻廊の設定をいじりながら莞爾として笑う。

「いや、あそこをのりこえたら、お兄様と再会できるようにしておいたさ。」

チェザーレの状態を知っているリンは首を振った。

「バカみたいよ。」

ラインハルトはそんなリンを見向きもせず答えた。

「あいつらはうつくしくない。消えたっていい。私は飽きたんでね。」


ルドヴィーク達が転送されたのは、銀河のように小さな光が無数に輝く闇色の深海の中に浮かぶ大迷宮。彼らの立つ場所だけが白い水晶の床になっており、その他はうねるような細い道がいくつも闇の奥まで伸びている。何者も住めなさそうなこの極限環境において、あるはずのない気配は、蠱毒の中で生き延びる、よほど強力なモンスターの類なのだろう。

「ちょっと、ここどこなの?おいっ」

ルドヴィークの叫び声が、静まり返った迷宮に吸われていく。


『深淵の廻廊…北の最果ての神殿の最深部だよ。まあがんばってお兄様をさがすといい。今まで、そこから出られたものは誰一人としていないがね…。ハハハハ。』


男の声がいらえた。モーチェスが低く唸る。

「かつがれましたね。」


『大丈夫、お兄様はどこかにいるさ。』


ルドヴィークはフンと鼻を鳴らした。

「さがすよ。おまえなんかにボクの気持ちがわかるもんか。」

「行きましょう。…止まっていてもどうしようもないです。」

エミューナとルドヴィークは手を取って歩き出した。



その頃、ソウが滞在するボスペルにも、風雲急を告げる知らせが舞い込んでいた。

「何?異教の王がすべて殺されただと!?ということは将軍も…あの神官のもとへもどろう」

ボスペルの教会でそれを耳にしたソウは、リナレスの家に駆け込んだ。

「話がある!」

「どうしたんですか?」

リナレスが玄関に駆け寄ってくる。ソウは教会で聞いたあらましを彼女に説明した。

「…ということだ。神のもとへはどうやって行く?主が殺されたのならば、拙者にはその相手を斬る義務がある。」

リナレスはきっぱりと首を横に振る。

「申し上げられません。私は神官の掟を破った者とはいえ、神を信じなければいけない立場です。例え神が何をしたといえども…」

ソウはがばりとその場に土下座した。

「たのむ!」

リナレスはオロオロして、ソウの傍にかがみ込んだ。

「それに…私はあなたが死ぬのもいやです。」

「どういうことだ?」

顔だけを上げてソウがリナレスに尋ねると、彼女は少しためらった後、溜息をついて打ち明けた。

「私は北の最果てに行く方法をひとつだけ知っています。代々神官長となる者が伝えられる…私はその予定があったのです。ただ、それは人間を罰する方法…深淵の廻廊という、決して人間には越えられないような場所に人間を送る方法なのです。」

「…。それでもいい。たのむ。これは…拙者の最期の頼みだろう。神とやらを人間一人が相手にして勝てるとは思っていない。だが…、行かねばならぬのだ。」

リナレスはソウの黒く強い瞳に、自身の理想を見た。本来の神の民とは彼のように真っ直ぐで、私欲がなく、仕えるべき者に殉じる覚悟のある者たちだったのだろう。短命か長命かが重要なのではない。私たちは、どこで間違えてしまったのか。

「…。わかりました。一つは…ワーネイアの神官の資料室、そのさらに奥にある隠し通路を通った先にある魔法陣です。そこに行けばいい。もう一つは…魔法陣の補助なしであなたを送ることですが…これには多大な魔力を必要とします。私はもう魔力を使って神と話すこともないし…やってみましょう。なくなってもいい。」

「本当か?いいのか?」

「…。はい。あなたの命をかけたお願いなのですから。準備ができたら来てください。きびしいですよ、行ったとしても。」

「恩に着る。」

ソウは危険な場所に行くと聞き、いったんリナレスの家を離れて手持ちの資金で買えるだけのヒールボトルと、状態異常を治すディスペルハーブを買い込んだ。死地に赴くが、死にに行くつもりはない。必ず神をも仕留めてみせる。

「準備はいいですか?」

リナレスが家の前で神官服に着替えて待っていた。

「いい。」

「では…私の手をにぎってください。…ダーバラダスジャンマダスジャンマスハーダ!!」

ソウが光に包まれ、深淵の廻廊に転送される。

「ああ…。」

大魔術のあと、リナレスはその場にへたり込んだ。

神よ、あなたを信じています。どうか、信じさせてください…。

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