アンゼの思いつき

ルドヴィーク達が聖域に向かう前日、ウイニア国王の執務室にて、クリウスが今日の業務を終え、こっそりマンガを手に取ろうとしたところで、側近が扉の外から声をかけてきた。

「どうした?」

「クリウス様に会いたい、という客人が。」

「こんな時間に?」

クリウスは思わず眉をひそめる。もう日は暮れたのだが。

「はい。名前を言えばわかる、と。賤しい者にも見えないのでとりあえず取り次いだのですが。」

「まったく、だれだか…。名前は?」

「アンジェリカ、と。」

「…。通せ。」

ややあって、入ってきたのは美しく豊かな白曇りの金色の髪と、クリウスが夢にまで見た冷たい翠の瞳を持つ、彼の今一番逢いたかったひとだった。

クリウスは一瞬その姿が信じられず、ほうと溜息をついた。しかし、ここで呆けるのはあまりにも時間が勿体ない。彼は鉄の意志でいつもの笑顔を作り、席を立って彼女を出迎えた。

「やはりあなたか。ワーネイアの女王といえば面倒はなかったのに。」

今や臣下もほとんどいない中多忙極まるはずのワーネイア女王アンゼは、クリウスが差し出した手にも気づかず真っ直ぐにクリウスを見た。今まで彼女が見せたことのない、追い詰められたような目をしていた。

「個人的な訪問よ。つかれたのよ、私は。」

「そりゃあそうだ。遠かっただろう。政務は?」

クリウスが頷き、そっと背中を抱いて椅子に座らせる。アンゼはなすがままにされていたが、クリウスが隣の椅子に座ると、彼から目を逸らした。

「…。知らない。」

クリウスは瞠目する。自分の知らないアンゼがそこにいた。

「あなたがそんなことをするとはね。で、用件は?」

「…別に。つかれたって言ってるでしょ。話をきいてほしくなったのよ。」

畢竟、自分は彼女に信頼され、甘えられているのだ。クリウスは思わず顔をほころばせた。

「まったく、いつもいつも…」

常に想定外のことをして僕の心を揺さぶりにくる、本当に困った人だ。クリウスは鐘を鳴らして、二人の夕食を用意させた。


「エミューナ様さえ、私を信じてはいないのよ。別にそれは覚悟していたから構わないわよ。でも、私は結局悪役に徹することもできなかった。お父様を殺すつもりでも、結局は土壇場であんなことになって…どうしてか、あの黒い髪の男が憎くなって。私がやるつもりのことをやっただけなのに…。わからないわ。あなたは、弟君と父君を殺されて…」

アンゼは食後、何故か饒舌に本音を語りだした。おかしい、アルコール分は入れさせなかったはずなのだが…まさか、デザートのヨーグルトが駄目だったのか…。クリウスは彼女の話を聞きながら、独りで脳内反省会を開いていた。しかし、可愛いなら別にいいじゃないか、と身も蓋もない結論にすぐに至る。酔わせて迎え狼にならなければ、否、そんな風評が残らなければ問題ない。

クリウスのすごいところは、そんな下世話な思考と、真面目な思考を並列で行えるところだった。彼は真面目くさってアンゼの話に返答する。

「僕はどんな顔をすればよかったのか。父も弟も僕はきらいだった。…正直、殺されても何の感情もおこらなかった。ただ…『願いがかなう』と言われ、王位を手にして嬉しいのかというふうに見られ…それは違った。でも、結果的に僕は欲しかった王位を手にしている…。」

黒い髪の男に怒ったのは、殺したこと自体ではなく、そのやり口にだった。戦時の混乱下、今攻めれば全てウイニアのものになるというところでのあからさまな横槍。もう少し後で自分がやろうとしていたことを、されただけなのに。

「同病相憐れむといったところね。」

アンゼが彼の心を推し量り、悲しそうに微笑む。

「君はお父さんのことは…」

クリウスが尋ねると、アンゼは頬杖をついて窓の外を見た。

「別に。ただ私はきらわれてたのよ。家庭環境のこともあったし。かわいいエミューナ様を、お父様はネヒティアにまかせて逃がしてあげようと思ってたの。」

彼女は、前は見向きもしなかった王宮の庭をじっと眺めている。今はやめてほしいな、とクリウスは思った。前のように、自分の方を真っ直ぐに見てほしかった。我ながらあまりにも幼稚なわがままなので、おくびにも出さなかったが。

「親子関係のことはよくわからない、僕は人に言えたものじゃない。」

「ジャンプ読む?」

アンゼがポーチから分厚い冊子を取り出す。

「発売日の前日に買うから、もう読み終わってる。」

「そんなこともあろうかと月ジャンよ。」


クリウスがアンゼの思うつぼに嵌まって冊子をめくっていると、アンゼがすっと立ち上がった。

「ありがとう。もう帰らないと。」

「そう。泊まっていかない?もう遅いから部屋を用意するよ?」

クリウスがそう言うと、彼の背後からおっさんが出てきた。

「僕が温めてあげるよ。」

「あら、久しぶり。」

アンゼはおっさんを一瞥し、クリウスに向き直る。

「長い間あわなくったって君の体は僕を憶えているさ。」

「政務もなにも放りっぱなしなのよ。」

「え、ムシ?ムシはないって。」

「じゃ。」

「やっと出番来てこの扱いは何よ!?」

おっさんはクリウスに追い出された。

アンゼがそのまま応接間の出口に向かおうとすると、ウイニア兵が駆け込んでくる。

「大変です!クリウス様っ!!」

「どうした?」

「異教徒の国々が、神を信仰する国家に対して宣戦布告を。」

主語が、主語と目的語が大き過ぎる。クリウスは唖然とした。

「どういうことだ、突然!」

「『神』の名において、異教徒の王がみな残らず殺された、と。しかも全員同じ時間に。…そして、神がそれを認めたのです。徹底的に交戦せよ、との神官のことばです。」

アンゼがヒュッと鋭く息を吸った。

「うそっ!じゃあワーネイアも!!どうしよう、私のいないときに…国はどうなるの…。エミューナ様がセルジュークにいるのに。どうすれば…帰らなきゃ、帰らないと。」

「来て。ワーネイアの兵は君が整備したのだから統率がとれている。少しくらいの時間は大丈夫だ。」

クリウスがアンゼを再び席に座らせる。ひとまず彼女を落ち着かせるのが先だ。

「でも私が指示を出さないと…」

「考えよう。もう戦力は残っていない。戦っても勝てない。」

「同盟を組んで…まだ無傷の国と。」

「どこの国も結局大差ないんだ。神官が国を食ってる。」

二人は顔を見合わせ溜息をついた。神も、神官も、国を何だと思っているのか。

「それにしても…同時に殺される…もしかして…」

アンゼがふっと呟く。

「黒い髪の男?」

クリウスが眉をひそめる。アンゼはぐっと顎を引いた。

「まさか、あの男が今度は世界じゅうを?」

「世界をうつくしくすると言っていたのはこのことか。」

「まさかあいつが…神?」

神の名で殺し、神として認めたならば、つまりそういうことではないか。アンゼの発言にクリウスが頷く。

「それにちかしい者であることは間違いない。」

アンゼはおもむろに立ち上がった。

「決めたわ。行くのよ、北の最果てへ。」

「は?何を?」

「話をつけるわ、国のトップとして。もうがまんができない。あなたも来なさい、肉親を殺されたのよ、我々は?そのうえ国まであやうくされて…」

「どうやって行くの?」

「調べるわ。神官の一族がかつてやって来たのよ?行けないはずがないわ。」

それは確かに道理かもしれないが、あまりに発想が飛躍している。クリウスは呆れた。しかし考えてみれば、まともに異教徒達と戦争をするなど馬鹿げた話なのだ。あれが神なのだとしたら、そんな神は捨て置けない。異教徒の前にその首を持ち帰るくらいしなければ、もはや世界は収まらないに違いなかった。

「三日たったらワーネイアに来なさい。私がなんとかする。それまで国の防衛をととのえなさい。わかったわね、三日しか待てないわよ。じゃあ帰るわ。」

「やっぱり強引だ…エミューナさん達は…」

「三人を信じるわ。モーチェス神父は特にいろんな経験があるらしいから…何とかしてくれるでしょう。」

アンゼがふわりと笑う。諦めではない、今のエミューナならばきっと大丈夫だと、本当に信じている顔だった。彼女の中でも何かが変わりつつあるようだ。自分もその信頼を裏切らぬよう、精一杯努力しよう。

三日後、あなたの下へ。クリウスは彼女の右手にそう誓って、鐘を鳴らした。

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