聖域の奥に
谷の奥にあった見通しのいい長い階段の踊り場で、ガザーリーが子どもたちに振り向いた。
「お弁当たべる?」
「うん。」
「ありがとうございます。」
ルドヴィークとエミューナが賛成し、即席ピクニックが開かれる。ガザーリーが用意したのは焼いた薄いパンのような生地にチーズや様々なペーストを好きに載せて食べるもの。肉と野菜の串焼き。小さなコロッケ。干した柿に近い果物だった。それなりに好き嫌いのあるルドヴィークは警戒したが、何も嫌いなものは入っていない。モーチェスが口を出したに違いなかった。
「ところで、ガザーリーさんが歴史の研究をしているのって…」
エミューナが食事をとりながら気になったことを切り出す。
「そ、弟がやりたがってたことだからね。それに、もし帰って来たら、いっしょにできたらいいかなーなんてね。」
「いいお兄様ですね。」
「いやいや。ところでモーチェスはね、今はこんなんだけど昔は派手で派手で。ゴテゴテだったんだよー。お金周りもよかったしね。あのときの服とかどうなってるの?」
照れくさいのを力業で話題転換するな、しかもこっちに変な話を振るな。そう言いたげな顔でモーチェスがガザーリーを睨む。
「着れたものじゃない。たんすのこやしですよ。」
「若いってのは素晴らしいことだったんだねえ。」
「あなただって言える立場じゃないでしょうに。」
お互いがお互いの黒歴史をよく知っているということは、どちらかが手を出せば必ずどちらもが傷付き倒れることを意味する。二人は押し黙った。ややあって、ルドヴィークが話を変える。
「モーチェス、これから行くのって聖域だよね。」
「そうです。十年もたってから何しに行くのか…。ただ、何もかも中途半端なままというのも許せなかった。ヴィークに来てもらったのは、話をするときに、真実が一番伝わると思ったからです。一人でここを越えるのはさすがに難しいというのもありますが。」
「そう。いろいろ教えてくれて、ありがとね。」
これで少しは気が晴れただろうか。モーチェスはルドヴィークの顔を何気ないふうに見た。ルドヴィークは美味しそうにお弁当を食べている。よし、今日は元気だな、と彼は安堵した。
階段を登り切ると、廃墟のようなものが現れた。
「この荒れ具合は一体…」
エミューナがそのありように驚いていると、ガザーリーが受け答えた。
「ここが、昔実際に戦闘のあった場所なんだ。勿論その後も何度か戦火に巻き込まれ…隔離する意味もあって神殿の一部に組み込まれた。だからここは遺跡の意味もある。フィルドゥーシーが見逃さないはずだ。」
「先に進みましょう。」
モーチェスが険しい顔で先導を始める。
やがて、眼前に鎖で入口を封印された建物が見えてきた。そこだけは場が荒れていない。到着したと見てよいだろう。
「聖域のようですが…入ってもよろしいのですか?」
エミューナがモーチェスに確認する。
「入ります。ガザーリーは?」
「行くよ。フィルドゥーシーが行ったんだ。」
ガザーリーも真剣な表情で頷いた。
中はがらんどうの聖堂だった。壁には文字らしきものが書かれているのみで、絵や図などの飾りは一切ない。
「フィルドゥーシー…いないよね?」
ガザーリーが無駄と知りつつ声をかける。エミューナとルドヴィークが辺りを見回す。
「なにもない…暗くて寒いですが。」
「特に歴史的に重要なものがあるというわけでもないね。」
ガザーリーは空洞に向かって声をかけつづけた。
「フィルドゥーシー、ごめん。いっぱい迷惑かけて、ここに来るにも十年ぶりで。あのときは奥まで入れなかった。」
まるで、声をかけつづければ、どこかからフィルドゥーシーが呼び戻されるとでも思っているかのように。
「もう戻って来れないかな?ごめん。…ごめん。」
「…。ごめんなさい、フィルドゥーシー。」
モーチェスも黙ってはいられず、謝罪の言葉を虚空に投げる。二人の声は、聖堂に虚しく響いた。
「ねえ、向こうに魔法陣があるよ。」
目ざとく発見したルドヴィークが、奥へ行く。
「ルドヴィーク、だめです!そこだけ時空が歪んでいる!」
「うわっ」
ルドヴィークがその声に慌てて飛び退ると、
「ああ、危ない。気をつけないとな。」
見たくもないが、探し求めていた黒髪の男がその姿を現した。
「あなたはっ!」
「おまえっ!」
エミューナとルドヴィークが武器を構える。
「久し振りだな。ずいぶんな顔だが。ああ、言わなくていいよ、何も。それより、ここがどんな場所が知っているかな?」
「うるさいっ!」
ルドヴィークが引き金に指をかけ、モーチェスは彼女を制した。
「やめなさい、ヴィーク。気持ちはわかりますが…戦ってどうこうできる相手ではない。」
「神父様はものわかりがいい。ここは、太古の戦いで我々が魔力を用いて北の最果てから、兵を行き来させたところだよ。我々のところからこちらには行けなくなったが…まだ魔力は残っているようで、時おり人間が向こうに落ちてくる。世界にそんな場所は数か所残ってるんだがそのひとつだ。」
ガザーリーはその言葉を聞いて、その男が「穢れし血の民」であることを認識した。その男が、自分の推測した歴史とは矛盾することを語っている。学者としての自分はもっとこの男に話を聞きたいが、それよりも今は。
「ということはフィルドゥーシーも…」
「そうかもしれないな。」
男は曖昧に微笑んだ。
「生きてるの?」
ガザーリーが念押しする。男は美しい眉を少しひそめた。
「いたとしても、魂は保証できないな。北の最果てに足を踏み入れた人間は捕えられ奴隷となればいい方だ。」
「……。」
十年。さすがに、希望は無かった。ガザーリーが諦めてしまったのを見た男は、今度はルドヴィークの方に微笑んだ。
「ルドヴィーク、いいことを教えてあげようか。君のお兄さんだ。」
「おまえが、お兄様を、お兄様まで殺したのかっ!」
ルドヴィークが激怒の叫びを叩きつける。
「そんなことは言ってないが…そうだな、教えてほしいなら私といっしょに来ればいい。」
「そんなこと信じられるかっ!」
「ならかまわないが…ゆっくり考えるといいよ、私はやりたいことがあるから。ただ…君のお兄さんのことがわかるのは今は私ぐらいだがね。ハハハハ。」
エミューナとモーチェスが心配そうにルドヴィークに近寄る。
「どうしたらいいんだ。ボクはっ…どうしたらいい?」
ルドヴィークは何度もうわ言のように呟いた。
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