フィルドゥーシーの思い出

彼は夢を見ていた。

かつての栄華、満ち足りて幸せだった頃を夢見ていた。

あいつらが私達を裏切るまでは…私達は確かに幸せだったのだ。

短命種どもが、聖獣などというふざけた存在を私達の輪に持ち込むまでは。

なにが聖獣。なにが主神の大精霊をも上回る力か。

かつては仲間だったはずの同郷を裏切りの罰として深淵の廻廊に落としたことで、主神は壊れた。壊れてしまった。

主神は民との交流を自ら断った。かつて美の神ラインハルトという名を与え、共に人を導き育んだ私にすら、何も語らなくなってしまった。ラインハルト、と優しく声を掛けてくれたあの方は、もう今は、抜け殻だ。


ある時、武神が和解派を引き連れて、短命種同士の争いに加担した。無駄なことをする、と思った。案の定、奴は短命種に裏切られて死んだ。しかし、第七聖獣、紫紺の犀を引き連れて黄泉路から帰ってきた。忌々しい。主神を選ばなかった愚かな聖獣が今になって別の神と契約するなど到底許せることではない。更に武神は裏切ったはずの短命種を再び許し、ネヒティア建国の守護神となった。

夜。夜だと。それはこの私のための形容詞だったはずなのに。

かつては主神が昼の大精霊ウェルを、私が夜の大精霊リンを使役して、世界を良くしてきたはずなのに。

薄情な短命種どもはそんな昔のことなどすっかり忘れてしまったようだった。

武神を始末したかったが、第七聖獣は強き者に強いというふざけた能力を持ち、私の剣を阻んだ。

面倒だと放置しておいた、それが揺らいだのはついこの間だ。

流れ着いた短命種と気まぐれに話をしてみたら、案外話せるヒトだった。長命種に興味があると言うので、しばらく遊び相手として置いておいた、それが、武神の弱点について、弱い短命種なら倒せるのでは?と提案してきたのだ。私は提案に乗って、それを操って殺させた。

結果、奴は呆気ないほど簡単に、その短命種に殺された。無様で面白かった。死に際に涙なんか流して。哀れな、と、そう言い残して。

死ぬ間際まで短命種を哀れむ余裕があるとは驚きだな、と笑うと、醜い赤い髪の短命種は、彼は君を哀れんだんだよ、と言ってきた。

私は驚いて、うっかりそれを殺してしまった。

やはり短命種とは相容れない。油断すると、すぐに余計なものを持ち込もうとする。この生き物のせいで、世界がうつくしくないのだ。姿ばかり私達に似せられた、紛い物たち。大いなる者が作った予備の欠陥品。何故そんなものに、私達が振り回されなくてはならないのか。

消してしまおう。私はそう決めた。全部うつくしくしてしまって、最後にあの方の成れ果ても斬り捨てて、私があの方の苦しみを断とう。そうして私はうつくしい世界で永遠の命を得るのだ。

世界を維持するシステムに組み込まれてしまった主神を救うには、自分が代わりになるしかない。

うつくしくする下ごしらえとして、目障りな者は長命種も短命種もきちんと自分の手で刈り取った。手抜きはない。それは自分の美学に反するからだ。

一番目障りだったのは武神について最果てを出た末端の長命種たち。同じ黒髪黒目を持ちながら、神官などといって短命種と交わり、雑種と化した彼らは、しかし最果ての声に聞き耳を立てる。もう千年より前に、主神は何も語らなくなっているのに。勝手におかしな契約をしてきた武神を立てて、今まで対応してやっていたのはこの私だ。だがもう奴はいない、もう私の好きにしていいだろう。

最後に全てをひっくり返してうつくしくする、その時まで、私は入念に仕込みを続けた。

「世界をうつくしくするのと、あなたのやっていることはつながるの?小僧をひとりつれてきたり、神官を殺してみたり。」

リンが尋ねる。

「うつくしくないね、何をしていても。彼らならいい遊び相手くらいにはなるかもしれないと思ったが、そろそろまた…」

今は仕方ない。最後に楽しみをとっておいているのだから。それまでの暇つぶし、遊び相手なら他にも良さそうなのがいる。

「うつくしい…どうなることかしら。」

リンが首を傾げる。私はいつもの微笑みを浮かべた。

「この世界で今うつくしいのは、私だけだよ。」



ルドヴィーク達が夜中に月を眺めた翌朝、モーチェスは二人に提案した。

「ルドヴィーク、エミューナさん、今日は私に付き合ってくれますか。おいおい話したいこともある。」

「いいよ。」

「はい。」

ルドヴィークもエミューナも頷く。

「この町の西に、深い谷があります。そこをどんどん進んでいくことになりますが。」

「お弁当つくったよー。おかしも買って来たよー」

「ガザーリーもいっしょです。」

エミューナがお約束を尋ねる。

「バナナはおやつに…」

「入るかもねー」

ガザーリーが笑顔でいらえた。


モンスターしかいない、人気の全くない谷を進み始めると、モーチェスが語りだした。

「私の父も、父の父もずっと神父をやっていました。私は生まれた町で神父をすると決まっていました。でも私はほかの世界を見たかった。我々の『神』のあり方に疑問を抱きはじめていたこともあったし、何より、父と折り合いが良くなかったのです。そのころは。」

ルドヴィークは、なるほど今日はそういう日か、と理解する。昨日モーチェスがはぐらかしたことでルドヴィークが傷ついたのを、彼はちゃんと気付いてくれていたのだ。嬉しかったので、何も茶々を入れず、ルドヴィークは黙って聞いた。

「私は国を出てあちこちを旅しました。そして、この町でガザーリーに出会いました。ガザーリーも私と同じように心の中に屈折した思いを抱えていた。お互いの鬱憤をはらすためなのか…私たちはちんぴら達とつるみ、安い酒を飲み…それがいつしか『赤い狼』と呼ばれる盗賊団にまで成長したのです。」

「僕にはフィルドゥーシーっていう弟がいてね。僕はただの不良だったけれど、フィルドゥーシーは学校にもちゃんと行ってたし、歴史を研究しようとしてたんだ。うちへ来た『赤い狼』の人たちの面倒見もよかったんだよ。」


そう、あれは追手から逃れるために、この谷にフィルドゥーシーと二人で逃げ込んだ時のこと。

「ねえ、モーチェス、この先にね、神の地とつながっているって伝承されている場所があるんだよ。たとえそれが迷信でも考古学的にも価値があるものはたくさんあるんじゃないかな。」

フィルドゥーシーはマイペースにそんなことを切り出した。

「でも、そこは聖域だろう?おまえたちの民族には。」

モーチェスが良いのか?という目つきで尋ねると、フィルドゥーシーは真剣な顔をして頷いた。

「そうだよ。でもそれにしては暗いんだ。ぼくは何かあると思う。しらべてみたいな。モーチェス、いっしょに来てよ。みんなは聖域には入れないけど、モーチェスなら抵抗はないでしょ?神さまが違うんだから。」

「あまりそれを大声で言うな。まあいい。ついていくだけは行ってやろう。」

「約束だよ。」


「ですが、約束の日…私は行かなかった。私の父が危篤だと、ネヒティアから使いが来たのです。フィルドゥーシーはひとりで聖域へ行って、戻ってこなかった。私はフィルドゥーシーを探す間もなくセルジュークを発ち、ネヒティアに帰りました。もちろん帰ったときには父と話すことなどできず…父とも折り合いが悪いまま、フィルドゥーシーとの約束も果たせず…それが十年前の話です。」

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