月のきれいな夜のこと

ルドヴィークはガザーリーに夕飯をご馳走になりながらもずっと考え込んでいた。いつものように神に怒りをぶつけるのかと思っていたモーチェスは意外そうに、しばらく彼女の様子を気にかけていたが、夜も更けてきたので今日のところはこのまま寝かせようと思ったらしく、ガザーリーにエミューナとルドヴィークの床を用意させた。

ガザーリーの家はスラムにある割には整っており、昔から人を泊めることもあったので寝具がないことはなかったが、二人の素性を聞いたガザーリーは、さすがに王女様がたを寝かせるようなところではない!と随分と渋った。結局、エミューナが北の大森林での野営について少し語って聞かせ、布さえあれば何でもいいです!と言い張ったので、ガザーリーも折れて仕方なく客間を提供してくれた。


夜半。ルドヴィークが目を覚ますと、家の中に誰もいなかった。おや?と思い念のため魔導短銃を装備してから家を出る。テラスで、エミューナが月を見ていた。

「二人は?」

ルドヴィークがエミューナに声を掛ける。エミューナは少し驚いて振り向き、相手がルドヴィークだと分かると少しバツの悪そうな顔をした。

「大人は夜遊びをしてきます、と。」

「そう…。」

別に二人が遊びに出かけたことでエミューナが後ろめたさを抱えなくてもいいのに。ルドヴィークは相変わらずお人好しすぎる元婚約者に呆れた。エミューナの隣まで出てきて一緒に月を眺めてみる。

異国の地にあっても月は変わらない。月はウソをつかない。でも、日によって姿を変える。毎日見逃さないようにしないと、翌日の月の形は分からない。〈夜〉の国、ネヒティアのしるべとするにはあまりにも不確かだ。

「元気がないですね?」

エミューナがルドヴィークを心配してくれる。ルドヴィークは思わず弱音を吐いた。

「…。わからないんだよ…。」

「…。」

エミューナは黙ってルドヴィークの次の言葉を待った。ルドヴィークはやがて俯いて、呻くように小さい声で話を続けた。

「ボクはウソつきは大きらいだ。ウソをつくヤツは信頼できない。でも、みんなこの世界ではウソをついてる…神さえも。…何を信じればいい?」

「でも、ルドヴィーク様は…」

エミューナが口を挟もうとすると、ルドヴィークはバッと顔を上げてエミューナに縋った。

「自分を信じればいい?でもボクは…、気づいてるよっ。ボクが一番のウソつきだって。生まれたときから、ボクは女なのに…国民をだまして、みんなをだまして…、自分で自分にウソついてっ。ボクはだれも信じられない…。…ボクのことを…だれも信じてはくれないっ…」

エミューナはルドヴィークの肩を抱いた。こんな小さい肩に自分自身を否定するウソを背負わせた世界のなんと非道なことか。でも、だれも信じてくれない、という言葉だけは否定しなければならなかった。

「わたくしは、ルドヴィーク様が女の子だと知っています。ルドヴィーク様はわたくしに一度もウソをついてはいません。」

ルドヴィークは頷かない。小さなウソならエミューナにだって他にもついてきた。ネヒティア城が落ちる前、国王に命じられてエミューナを人質にしようと部屋から連れ出した、その時にもウソの理由を話した。ワーネイア王がルドヴィークを女だと知っていたという話もウソだ。そして、今も。ウソをついていないと言ってくれる彼女に、本当のことを、言えずにいた。

「それに…モーチェスさんだって、ウソをつこうと思ったらきっとつける…でもそれがいやだから黙っていることは…わかりますよね。」

「…そうだよね。」

モーチェスがはぐらかす時はいつだって、ルドヴィークのことを気遣ってくれているからだ。ルドヴィークはそんな彼に苛立ちながらも、自分もそういう大人になるべきなのだろうと思っていた。

モーチェスはルドヴィークにとってずっと、理想の大人のひとりだったのだ。それだけに今日は、自分の知らないモーチェスを見て動揺してしまったのかもしれない。でも冷静になってみれば、昔は悪かった、とだけは彼もずっと教えてくれていたのだ。モーチェスに騙されていたわけではなかった。

「ルドヴィーク様はきっと…自分がずっとウソをついてきたことが許せなくて、だからウソをつく人のことを許せないのではないでしょうか…」

「…。」

そう、自分はウソつきだった。国のために、たくさんのウソをついてきた。そんな自分を受け入れてくれる人なんていない。エミューナだって、自分はウソをつかれていないと思ってくれているからそういう優しいことが言えるのだ。

「ウソをつくのがいやなら、すべてを今国民に話しますか?」

「ムリだよ…」

「それをしても、今はうまくいかないと思います。だから、きっとそのウソをついていた方がいい。

 それに…アンゼ様はたくさんウソをつきます。でも、アンゼ様がウソをつかなければ命がなくなってしまっただろうこともありました。ウソをついてくれたおかげで…わたくしは何もウソをつかなくてよかった…。

 あっ、だから…?(お父様のときも…わたくしが困らないために…?)」

エミューナは話しながら、アンゼの複雑な心の中に少しだけ触れられた気がした。とても、今更のことだけれど。今なら帰国しても、アンゼの傍に寄り添える気がした。きっと彼女のことだから、他にもたくさん優しいウソをついてきたのだろう。たとえば、フィーアールのことも…。わたくしから指摘されるのは嫌がるかもしれないけれど、一度しっかり話を聞いてあげたい。今はもう唯一の家族であるわたくしが、あの方を護らなくては。あの方が健やかに、もう要らぬウソをつかなくても、正しく国を導いていけるように。


「エミューナ姫?」

急に黙ってしまったエミューナを不思議そうにルドヴィークが見ていた。

「いえ…、だから、時にはウソをつかないとしょうがないときもあります。でもルドヴィーク様のようにウソを嫌うこともまた大切なことだと思います。」

「そう…」

エミューナはウソをつかれていても平気、ということだろうか。

エミューナはウソつきなボクのことを許してくれるのだろうか。

ルドヴィークは怖くて聞けなかったが、聞かなくても答えは分かっているような気がした。それなのに何故怖いのか…。結局、ルドヴィークは、自分を許すことが怖いのだ。

「自分を許してあげたらどうでしょうか?そのウソは…しょうがなかったことと思って。そうしたら…何かが変わるのではないでしょうか。」

エミューナがルドヴィークの想いと同じことを口にする。決定的だった。決定的に、ルドヴィークの中で何かが消し飛んだ。それはつまらないちっぽけな棘だったような気もするし、彼女のアイデンティティだった気もする。その価値を今は正確には分からないけれど、なんとなく、泣きたい気分だった。

「…。ちょっとだけ、なんか、うん。すっとしたよ。」

なんて、強がりを言ってみる。ウソから出たマコト、になってくれればいいけど。

「わたくしも、少しだけ、話していて、アンゼ様の気持ちがわかったような気がして。それは良かったです。」

エミューナが月を仰ぎ、柔らかく微笑んだ。ルドヴィークは大して眩しくもないのに、目を細めてエミューナを見上げる。

「アンゼさんはそう言ってたの?いつも。」

「いえ。アンゼ様は、ウソをつくことに対しては、はっきり割り切っていますから。真実と嘘は対極ではない、とも言っていました。」

ルドヴィークはうーん、と首を傾げて溜息をついた。

「あの人は頭がいいからね。よくわからない。ボクはあの人、好きじゃないもの。」

そんなルドヴィークを見てエミューナは苦笑する。

「アンゼ様はいい方なのですが…万人受けはしないようですね…」


モーチェスはルドヴィーク達の会話が気になって、物陰から出られずにいた。遠慮ない足音が近づいてきたので振り向く。久々の酒精にやられて遅れて帰ってきたガザーリーだ。モーチェスは彼を引っ張って家から離れた。まだなのぉ?とのんきな声を上げるので、川にガザーリーの頭を突っ込んでやる。がぶがぶと水を飲まされたガザーリーは、びしょ濡れになったターバンを解いてモーチェスに叩きつける。懐かしいじゃれ合いに、ガザーリーとモーチェスは二人してけらけらと笑った。

二人で河岸に寝転ぶ。あの頃と変わらない月が出ていた。戻りたいとは思わない。しかし、手放したくなかったものも、確かにあった。

「モーチェス、明日はどうするの?」

ガザーリーがおもむろに尋ねる。

「やり残したことをやって帰ろうかと。」

「そう、フィルドゥーシーも喜ぶだろうね。」

そんな素っ気ない言葉を交わす。

大人になった二人の道は、もう二度と、交わることはないのだった。

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